第5話

(七)

 次の日、俺と隻眼聖女が礼拝堂と呼称するにはお粗末過ぎる小屋に辿り着くと、朝日を見つめる大男と鉢合わせた。心ここに非ずと言わんばかりの間抜けな表情で春天を仰ぐ大男に声を掛ける。

「探し物は見つかったか?」

「見つかったように見えるか?」

 立ち上がった大男は顎を僅かに上下させながら、俺の方に視線を向ける。彼の瞳の澱みは少しだけ取れていた。彼はゆっくり俺達に背を向けると、思い出探しを再開する。俺と彼女は彼の後を追い始めた。

 歩いて、歩いて、歩き続けて。俺達は村から徒歩十数分離れた所にある小高い丘に辿り着く。丘には人差し指よりも短い草が生い茂っていた。特に目新しさを感じない丘を大男は恋人に向けるような目つきで一望する。彼の心境は故郷を持たない俺にとって奇行にしか見えなかった。

「あ、あの」

 今の今まで沈黙を貫いていた隻眼聖女がついに口を開く。

「わ、私達が聞きますよ、貴方の思い出話を」

 さり気なく巻き込まれてしまった。俺を巻き込むなよと心の中で思いながら、俺は大男の目をじっと見つめる。彼の淀んだ瞳に僅かな光が宿った。

「……つまらないだろう、オレの思い出話なんか」

「貴方の思い出は『なんか』で片付けられる程、安っぽいものなんですか?」

 大男は視線を空に向ける。空は薄い雲を羽織っていた。

「嫌いだったら、ここに来る事も留まる事もしません。ここに思い出がなかったら、二日連続で思い出を探したりなんかしません。話す程に思い出がなかったら、『つまらない』という単語よりも先に『話せない』や『話す価値がない』という言葉が出て来ると思います」

 俺の背後に隠れていた彼女は、大男の方と目を合わせる事なく、言葉を連ねる。俺はというと、彼女の代わりに大男と向き合った。

「貴方にとって、ここで過ごした日々は価値あるものなんでしょう? 連日で探索する程に価値程の価値があるんでしょう? だったら、私達は聞きますよ。人に話す事でしか思い出す事ができない思い出もありますし」

「……変わった奴等だな、お前ら」

「私達にとって、これが普通です。普通の人間だったら、これくらい普通にやります。ね、傭兵さん」

 俺の陰に隠れながら、彼女は首を縦に触れと暗に命じる。依頼主からの依頼だったので、俺は恐る恐る嘘を吐いた。

「あ、ああ、普通の人間はやるぞ、うん」

 生まれて初めて、攻撃的でない嘘を吐く。誰かを傷つけるための嘘じゃないにも関わらず、罪悪感を抱いてしまった。そりゃあ、そうだ。誰かを思いやったものだったとしても、嘘は嘘。それがどんな意図の嘘だったとしても、人を騙している事実に変わりない。

「話したいんだったら、好きに話せよ。本当につまらなかったら、聞き流してやるから」

 相手の気に触るような発言を吐きながら、俺は大男の方を見る。彼の瞳の澱みは少しだけ解消されていた。

「……ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせて貰おう」

 柔らかい笑みを浮かべながら、大男は自らの半生を語る。彼は語った。自分はこの村で生まれ育った事、十数年前に流行病で両親を亡くした事、天涯孤独になった後は生計を立てるために傭兵になった事、沢山の戦場を渡り歩いた事、そして、沢山の人を殺した事。彼は自らの半生を淡々と語りながら、村の中を練り歩いた。

 俺達は相槌を打ちながら、彼の後を追い続ける。村人達はというと、家の中から俺達の様子を眺めていた。

「あ、あそこだ。あそこにオレの家があったんだ」

 何もない平地を指差しながら、大男は苦笑いを浮かべる。

「家族で住むには狭い家でな。毎晩、箱に詰められた野菜みたいな格好で寝ていたよ。冬は良いんだけど、夏場は本当地獄だった。朝起きたら、熱中症になっていた事もあったなぁ」

 噛み締めるように大男は幼い頃に体験した出来事を口にする。幼さを感じさせない風貌をしているというのに、今の彼は玩具を自慢している子どもにしか見えなかった。

「あそこに廃屋があるだろ? あそこに初恋の女の子が住んでいたんだ」

 彼が廃屋呼ばわりした少し小汚い煉瓦の家を見る。中から人の気配を感じ取った。おい、大男。多分、あれ、廃屋じゃないぞ。俺の感覚が正しければ、あの中に人がいるぞ。

「その子の作る料理が本当に美味くてな。もし彼女が生きていたら、良いお嫁さんになっていただろう。……もう一回、彼女の手料理を食べたいなぁ」

「そんなに美味しかったんですか?」

「ああ、色んな所で色んな料理を食べたけど、彼女の作る手料理以上の料理は食べられなかった」

 少しだけ声を濁らせながら、彼は薄い雲に覆われた青空を仰ぐ。

「……いや、彼女の作る手料理よりも美味しいものがあった」

「何の料理ですか?」

「母の料理だ」

 嬉しそうで悲しそうな表情を浮かべる大男を見て、俺は黒い感情を抱いてしまう。そんな八つ当たりに近い感情を抱く俺に構う事なく、彼はこの地に宿った思い出を延々と語り続ける。

 この村で一番の暴れん坊だった友人は狼の遠吠えを聞く度に震え上がっていた事。独楽が一時期村で流行っていた事を。父から独楽の回し方を教えて貰った事。そして、春は木の実を取りに行き、夏は川で遊び、秋は収穫の手伝いに駆り出され、冬は積もった雪を利用した遊びに熱中していた事を。

 彼の昔話は日が暮れる時間帯になっても続いた。河原で石を投げながら、大男は昔話を語り続ける。無邪気な様子で思い出に浸る彼を見て、俺は羨ましいと思った。彼に嫉妬した。彼みたいに俺も故郷や思い出が欲しいと思った。……居場所が欲しいと心の底から思った。

「幼馴染のお父さんが教えてくれたんだ。平たい石を横に投げると、石が跳ねやすくなるって」

 大男は拾った平たい石を川面に投げつける。彼が投げた石は跳ねる事なく、川底に水没してしまった。

「下手くそ」

「久し振りだから感覚が鈍っていただけだ。もう少し練習したら、五回くらいは跳ねる筈」

 今までの仏頂面が嘘だったかのように、無邪気な笑みを浮かべながら、大男は平たい石を探し始める。童心を取り戻した彼を見て、俺は劣等感のようなものに苛まれた。かつての居場所を誇らしげに語る彼の所為で、俺は自分が孤独である事を痛感した。

 そうだ、俺はいつだって一人だった。父と母の顔を知らない。友達もいない。幼少期に過ごした思い出の地もない。俺の孤独を埋めてくれたのは、血に塗れた戦友(おとな)達と人の命を奪う事に長けている鉄塊だった。

「……」

 羨ましい。居場所を持っていた大男が心底羨ましい。何で俺が持っていないものを彼は持っているんだろう。生まれた所が悪かったんだろうか。或いは俺の運が悪かっただけか。どちらにしろ、俺にとって気持ち良い話じゃなかった。

「ああ、……あの頃は楽しかったなぁ」

 大男は掠れた声を発しながら、藍色に染まりつつある夕空を仰ぐ。過去を振り返る彼の姿は眩しくて、とてもじゃないけど見ていられなかった。

「……答えは見つかりましたか?」

 大男の話が途切れて数分後、今の今まで聞き手に徹していた隻眼聖女が口を開く。

「ああ。オレは、あの頃に戻りたくて、ここに戻って来たんだ。オレは、あの頃の幸せを取り戻したくて、ここに留まっていたんだ」

 大男は俺達に顔を見せる事なく、湿っぽい声を発し続ける。

「後ろ向きな理由だ。思い出に囚われている。でも、オレは取り返したかったんだ。失われた幸せを。オレは失ったものを取り返したくて、ここに戻って来たんだと思う」

 彼の拳が石のように硬くなる。それを見て、俺はようやく彼が痛みに耐えている事に気づいた。喪失の痛み。味わった事のない痛みだ。どんな痛みなのだろうか。想像する。幾ら想像しても、経験した事がないので想像できなかった。

「……なあ、オレは、……どうしたら良いと思う?」

 大男は俺達に背を向けたまま、答えようのない疑問を口にする。彼の痛みを理解できない俺には答えられないものだった。

「貴方にとって大切なものを大切にし続ければ良いと思います」

 けど、隻眼聖女は違った。彼の痛みを理解した上で、彼女は大男の疑問に答える。既に彼女は俺の陰に隠れていなかった。大男の方に歩み寄りながら、彼女は言葉を紡ぐ。

「別に良いじゃないですか。後ろ向きでも横向きでも。大切なものを大切にし続ける。その在り方自体は悪じゃありません」

 大男はゆっくり隻眼聖女の方に視線を向ける。久し振りに見る彼の頬は濡れていた。

「自分の大切なものを大切にしつつ、他人の大切なものも大切にする。他人の大切なものを害さない。それさえ出来ていれば、人は何をやっても良いんです。少なくとも私は、そう思っています」

 彼女の語る言葉は俺にとって耳の痛い話だった。

「難しく考えるから、思い悩むんですよ。貴方は貴方の選択をすれば良い。それが誰かの大切なものを害する行為であれば、私が咎めますから」

「だ、だが、……」

「貴方の大切なものは、貴方が大切にしない限り、誰にも大切にされませんよ?」

 大男の潤んだ目が少しだけ大きくなる。彼は隻眼聖女と自分の硬くなった右拳を交互に見ると、視線を地面に落とした。

「……そう、だよな。もうオレしかいないもんな」

 大男は右の拳を柔らかくすると、山陰に隠れようとする夕陽に視線を向ける。隻眼聖女はそれ以上言葉を紡ごうとしなかった。

「……んじゃあ、後ろ向きに頑張らせて貰いましょうか」

 沈み行く夕陽から視線を逸らした大男は、少年のような笑みを浮かべる。もう彼の瞳は澱んでいなかった。

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