第4話

(六)

 結局、隻眼聖女は大男に話しかけなかった。西の空に沈み行くお日様を眺めながら、俺は川で獲った魚を焚き火で炙る。『今晩も冷えそうだ』的な事を心の中で思っていると、焚き火で暖を取っていた隻眼聖女が俺に話しかけてきた。

「……故郷がないって本当ですか?」

「ああ、本当だ」

 夕日から焚き火に手を翳す隻眼聖女に視線を向ける。俺と目が合った途端、彼女は視線を地面に落とした。

「……もし差し支えなければ、話して貰えませんか? 貴方の身の丈を」

「別に良いけど、特に話す事はないぞ。というか、話す程の価値がない」

「それで良いです。私は貴方の事を知りたいんです」

 恐る恐る彼女は視線を俺の瞳に向ける。彼女の口周りの筋肉は岩みたいに強張っていた。俺に対して気を遣っているのか、或いは彼女の中にある何かを見つめているのか。彼女との付き合いの浅い俺では、彼女の考えている事を全く理解できなかった。

「さっき語った通りだ。俺は物心ついた時から戦場で生活していた。俺は人を殺す事で生計を立てていたんだ」

 焚き火を俯瞰しながら、俺は自らの罪を告白する。

「雇い主に言われた通り、敵兵を殺した。人を殺さなければ、食べ物を手に入れる事ができなかった。だから、俺は人を殺した。自分のために人を殺し続けた。男、女、子ども、老人、……勿論、あんたみたいな聖職者を殺した事だってある。俺は生き残るために人の命を奪い続けた。目の前の命を貪り続けた。自らの生を優先した。俺は他の人に犠牲を強いる事で、自らの生存を勝ち取り続けた。その結果がこれだ」

 我ながら酷い半生だと思う。まるで獣だ。いや、獣の方がマシかもしれない。俺は自分のために誰かを害し続けた。何かを破壊する事でしか生き残れなかった。

「その生き方は戦争が終わった今でも変わらない。俺は生きるために傭兵を続けている。もし雇い主が人を殺せって言ったら、躊躇う事なく、人を殺すだろう。俺はそんな人間……いや、人でなしだ。地獄に落ちて当然のケダモノだ。多分、神様は俺の事を忌み嫌っているだろう以上、俺の身の丈はお終い。これで満足か?」

「一つ質問です」

 焼き上がった川魚を隻眼聖女に差し出す。彼女は川魚に目を向ける事なく、俺の目を真っ直ぐ見据えた。

「どうして私の依頼を引き受けたのでしょうか? なぜ誰かを害するやり方しか知らないのに、私の護衛という依頼を引き受けたんですか?」

「依頼を選んでいたら、生きていけないから」

「貴方は誰かを害する以外の方法を得るために、私の依頼を引き受けたんじゃないんですか?」

 ……俺の底が浅いのか、それとも彼女の目が肥えているのか。僅かな付き合いであるにも関わらず、彼女は俺の本音を見抜いてしまった。

「だったら、どうする?」

「傭兵さん、私は幽霊を視る事ができます」

「は、はあ、……それは知っているけど」

「今まで沢山の幽霊を見てきました。けど、一度も神様を見た事なんてありません」

 そんな事を呟きながら、彼女は俺の瞳の奥を覗き込もうとする。生まれて初めての経験の所為で、俺の思考は少しだけ止まってしまった。

「恐らく、この世界に神なんていう都合の良いものは存在しないんでしょう。だから、この世界は不公平かつ不平等なんだと思います」

「……この世界が不完全だから、あんたは神を信じないのか?」

 俺の質問に対して、彼女は俺の目を見つめながら力強く頷く。その姿は皮肉にも神に身を委ねる聖女にしか見えなかった。

「だから、貴方は地獄に落ちないと思います。神も天国も地獄も人類が生み出した願望に過ぎませんから」

「……多分、神様はいないっていう結論は間違っていると思う」

 彼女の瞳から目を逸らしながら、俺は彼女の主張をやんわり否定する。

「この世界が不公平かつ不平等なのは、きっと神様がいるからだ。神様がいるから、この世界は不完全なんだと俺は思う」

「どうして、その結論に至ったのですか?」

「神様が価値を見出しているのは、多分、人間という種だ。個人に価値を見出していない。恐らく人間という種が存続できない状況に陥ったら、神様は俺達を救ってくれると思う。けど、誰か一人を贔屓にしたり、特別視したりなんかしない。そんな事をする程、神様は俺達を見ていないし興味を抱いていない」

「……つまり、どういう事ですか?」

「多分、神様は俺達人間に干渉していない的な事を言いたいんだと思う。……この世界が不公平かつ不平等なのは俺達の選択によって生じたものだ。神様の所為じゃない。この世界が不完全なのは人間の所為だ。俺達が自分勝手な選択を選ぶから、富とか運とか偏っているんだと俺は思う」

 自分でも何を言っているのか理解していない。多分、彼女以外の聖職者が聞いたら怒り狂うだろう。俺の述べている事は唯の暴論だ。加えて、何の根拠もない。

「なるほど。人類が滅亡しそうになった時にしか神は現れない、と。」

 俺の言いたい事を簡単に要約しながら、彼女は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「もしそれが真理だったら、神なんていないも当然じゃないですか」

 拗ねた子どものように隻眼聖女は唇を尖らせる。

「あんたは神に救って貰いたいのか?」

 思った事をそのまま口にする。彼女はそっぽを向くと吐き捨てるように、こう言った。

「いいえ。だって、神なんて信じていないんですから」

 彼女の人生が凝縮された一言により、俺は疑問の言葉を口にしそうになる。だが、俺はその疑問を敢えて呑み込んだ。理由は至って単純。これ以上、彼女の領域に踏み込んだら嫌われると思ったからだ。

 彼女と一緒に欠けた月を仰ぎながら、常に月が満ちている夜を妄想する。すっかり冷めた焼き魚を頬張っていると、彼女は唐突に口を開いた。

「……とりあえず、明日、頑張ってみようと思います」

「そうか」

 彼女の覚悟を追求する事なく、俺は欠けない月を妄想する。幾ら妄想しても、欠けない月は完璧過ぎて、面白味がなかった。

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