第2話

(三)

 亡霊改めて大男が起きるまでの間、俺と聖女は礼拝堂とは名ばかりの小屋の近くにある河原で泥に塗れた身体と服を洗浄した。

「なあ、聖女様。俺、除霊なんかできないんだけど」

 川の水で全身の泥を拭い落とした俺は、河原で焚火をしている隻眼聖女──既に新しい衣服に着替えている──に話しかける。

「濡れたままだと風邪引きますよ」

「いいよ。俺、風邪引いた事ないから」

 彼女が差し出す鞄──旅に必要なものと俺と彼女の着替えが入っている──から目を逸らしつつ、俺は河原に落ちていた掌サイズの小石を拾う。

「で、俺は何をすれば良い訳?」

 拾った小石を川面目掛けて放り投げる。俺の投げた小石は、一度も川面を跳ねる事なく、水底に沈んでしまった。

「とりあえず、貴方は時間を稼いで下さい。その間、私は準備をしているので」

「準備?」

「除霊するための準備ですよ。貴方は礼拝堂の中にいる大男と適当に話して下さい。貴方が彼の気を惹いている隙に、私は最低限必要な事をやっておきます」

 言いたい事だけを告げた後、隻眼聖女は俺を置いて村の方に向かい始める。除霊するための準備って何をするんだろう。そんな事を疑問に思いながら、俺は礼拝堂と呼ぶには惨めすぎる小屋に向かい始める。

 彼女の言う事を聞く理由は至って単純。仕事だからだ。彼女が雇用主である以上、一部の例外を除いて、俺は彼女の指示に従う事にしている。明日の食べ物を得るために。故に先程の彼女の適当な指示も俺にとっては立派な仕事という訳で。

(亡霊相手に時間稼ぎって、何をすれば良いんだよ)

 とりあえず、あの大男と接触してみよう。何か良い考えが思い浮かぶかもしれない。

 考えがある程度まとまった所で、俺は礼拝堂と呼んで良いのか分からない程に小汚い小屋に辿り着く。そして、扉を小突く事なく、俺は小屋の中に突入した。

「起きたみたいだな」

 小屋の中に入った俺が先ず目にしたのは、神を象った木像に寄りかかる大男の姿だった。

「……放って置いてくれと言った筈だが」

「悪いな、俺は傭兵だ。雇われの身である以上、雇用主である彼女に逆らう事はできない」

「は、犬みてえな奴だな」

「言ってろ。で、何であんたはこんな所に留まっているんだ?」

「留まるのに理由が必要なのか?」

 『お前の所為で村人は外に出られない状況に陥っている』と指摘するのは簡単な事だ。だが、そんな事を言ったら、彼は逆上してしまうだろう。今の俺の役目は時間稼ぎだ。彼を殺す事じゃない。

「理由があるから、こんな所に留まっているんだろ?」

「ねえよ、理由なんて」

 男の口から漏れた言葉に中身なんてものは詰められていなかった。

「理由も意味も、過去も未来も、そして、生き甲斐も何もかも失ってしまった。今のオレには何もない。ただの死人だ」

「留まる理由を忘れたのか?」

「オレがここにいるのは、オレがここにいたいと願っているからだ」

 大男は淀んだ瞳で俺を睨みつける。

「理由、あるじゃん」

「別に良いだろ。誰にも迷惑かけている訳じゃないし」

「迷惑ならかかっているだろ」

「誰に?」

 大男の顔が少しだけ険しくなる。それを悟った俺は、彼の質問を敢えて無視し、別の話題を提示する。

「あんたも『西の戦争』経験者か?」

「……ああ、そうだ」

 『西の戦争』──数年前に終戦した大規模戦争──の名前を出した途端、大男の表情が曇る。多分、その戦争で多くのものを失くしたんだろう。亡くなった戦友を思い出しながら、俺は埃を被った床の上に尻を着ける。

「あんたはその戦争で死んだのか?」

「ああ、……そうだ」

 大男は目蓋を閉じると、全身の力を抜く。辛い記憶を思い出しているのだろう。彼の眉間には皺が寄っていた。

「オレはあの戦争で死んだ、いや、死ぬ筈だったんだ。なのに、何故かオレはここにいる。ここで過去の思い出を振り返っては、後悔し続けている。……何でオレなんだ? ……なんでオレだけが、……なんで」

 俺に向けていた筈の言葉が、自問自答へと変貌する。大男は額に脂汗を滲ませながら、疑問の言葉を口にし続けていた。話しかける。彼は俺の言葉に応えてくれなかった。ずっと自分に疑問をぶつけ続けている。その有様は自傷行為にしか見えなかった。

「なんで、……なんで、オレだけが、……なんで」

 大男の自問自答に耳を傾け続ける。が、幾ら聞いても彼の悩みを共有する事はできなかった。俺は座ったまま、子守唄代わりに彼の疑問の言葉を聞き続ける。当然、彼の自問自答は心地悪く、目は冴え切ってしまった。

 眠れないまま、俺はぼんやりした状態で大男と向き合い続ける。日が暮れても、月が昇っても、夜が満ちても、俺は彼と向き合い続けた。

 が、俺の頑張りは報われる事なく。隻眼聖女が除霊の準備を終える頃には、大男は再び眠りについていた。

「どうですか? 責務を全うできそうですか?」

「ぼちぼち」

 彼女の質問を適当に聞き流しつつ、俺は悪夢に魘される大男の顔を覗き込む。

(人って死んだ後も夢を視るんだな)

 そんな場違いな事を頭の中で考えながら、俺は隻眼聖女と一緒に礼拝堂と呼ぶに値しない簡素過ぎる小屋に背を向けた。


(四)

 焼き魚を頬張りながら、朝日に照らされた東の空を仰ぐ。肌寒いのか、今日の空は薄い雲を覆っていた。

「除霊の準備は整えました。あとは、あの礼拝堂という名ばかりの小屋に居座っている大男をどうにかしたら完璧です」

「どうにかって、具体的にどうすれば良いんだよ」

「あの大男を村の外に追いやって下さい。そうすれば、除霊を行う事ができるでしょう」

「……それを俺にやれと言ってるのか?」

「ええ」

「あれ、俺の声に耳を傾けないんだけど」

「そこは何とかしてください。あの人は私の手に負えないんで、貴方に縋るしかないんです」

「あんたでさえ手に負えない相手を俺みたいな人を殺すしか脳のない奴に何とかできると思うか?」

「できると思います」

 明後日の方を眺めながら、隻眼聖女は断言する。せめて俺の目を見てから言ってくれ。不安な気持ちになるから。

「大丈夫です。貴方は私と違って、人間ができているので」

 彼女は朝日を瞳の中に入れ込む。どうやら彼女も俺の話をまともに聞く気がないらしい。いい加減な事を言う彼女の言葉の所為で、胸の内から黒い感情が湧き上がる。俺の方が人間できている? 俺みたいな人を害する方法しか知らない人でなしが?

 焼き魚に齧り付く。さっきまで舌を楽しませていたそれは、彼女のどうでもいい一言で炭のような苦味しか感じ取れなかった。

「……んじゃあ、俺のやり方で行かせて貰うぞ。後で文句を言うなよ」

 焼き魚を胃の中に詰め込んだ後、俺は赤屋根の家──老人の下に向かう。河原から少し離れた所にある老人の家は、礼拝堂と呼ばれる薄汚い小屋よりも少しだけ小綺麗だった。扉を叩く。扉を叩いて十数秒後、老人は家の中から出て来た。

「おい、じいさん。交換条件だ。あんたが亡霊呼ばわりしている大男を除霊してやる。その代わり、あんたが知っている事を全て吐け」

 強めの口調で老人に交換条件を持ちかける。老人の顔の輪郭は昨日よりもぼんやりしていた。彼の顔面だけ霞んでいるように見える。俺の目がおかしくなったのだろうか。目頭を押さえる事で、目に映る景色を調整する。すると、老人の見窄らしい顔が俺の視界に映し出された。どうやら俺の目がおかしかっただけらしい。

「し、知りません」

「じゃあ、あの礼拝堂を焼いていいか?」

 俺の暴論を聞いた途端、老人の目が大きく見開かれる。

「あの礼拝堂は亡霊に乗っ取られている。さっさと対処しないと、この村だけじゃなく、この周辺にも危害が及んでしまう。早急に手を打たなければ、取り返しがつかなくなる」

 ありもしない嘘を並べ立てる事で老人の不安を煽りに煽る。彼の本音を引き出す事を目的にしているとはいえ、狡いやり方だ。背後の方にいる隻眼聖女の方を見る。彼女は俺の方をじっと見つめていた。どうやら俺を詰るつもりはないらしい。

「で、でも、……」

「そんな事を言っている場合じゃない。あんたがあの亡霊の事を知っていたら話は別だが、ヤツの情報を得られない以上、強硬策を取るしか方法がない。礼拝堂を焼くという行為はあまり取りたくないが、事が事だ。きっと神も許してくれる筈」

 老人の目が泳ぎ始める。彼の反応を見て、俺は理解した。彼はあの亡霊──大男について知っている、と。

「……知っている事があったら教えて欲しい。俺だって、なるべく平和的な解決手段を取りたいんだ。あんたが歩み寄ってくれるだけで、俺は穏便な選択肢を選ぶ事ができる」

 『俺に協力しないと、みんなに迷惑がかかる』という人の善意に漬け込んだ最低最悪の脅しをかける事で、老人の口から大男の情報を引き出そうとする。隻眼聖女は俺を詰らなかった。

(何が自分より人間ができている、だ)

 戦場で会得した最低最悪の方法で、俺は彼女の依頼を全うしようとする。所詮、俺はこの程度の人間だ。いや、人と呼ぶには相応しくない人でなしだ。人を傷つける事でしか求めている結果を得る事ができないケダモノだ。そんな俺を隻眼聖女は『自分よりも人間ができている』と言い切った。

(その認識、間違いだったって後悔させてやる)

「さっさと知っている事を教えてくれ。あまり時間が残されていないんだ」

 俺の脅しに圧倒された老人は嫌そうな表情を浮かべながら、重い口を開き始める。

 結論だけを述べると、老人は大男の事を知っていた。どうやら、あの大男はこの村出身らしく、十数年前に流行病で両親を亡くしたらしい。天涯孤独になった後、彼は一人で生きていくため、村を出たそうだ。

「……彼がこの村に戻って来たのは数日前の夕方だった」

 懺悔するかのような仰々しい動作をしながら、老人は口を動かし続ける。彼に何か思う所があるのだろうか、彼の顔面は罪悪感に満ちていた。

「彼は私達に声を掛ける事なく、礼拝堂の中に引き篭もった。私達は何度も彼に声を掛けた。けど、彼は私達の言葉に耳を傾けてくれなかった」

 大男の反応を思い出す。確かに彼は俺の言葉にも最低限にしか耳を傾けてくれなかった。あの態度を取るのは俺だけじゃなかったんだと心の中で思いながら、老人の独白に耳を傾ける。

「私は彼の気を引くために、彼の身体を触ろうとした。が、彼の身体に触れる事はできなかった。それでようやく悟ったよ。私達の力では彼を救う事ができない事を」

「だから、放置し続けたのか?」

「ああ、私達ができる事はそれくらいしかないから」

 そう言って、老人は罰の悪そうな表情を浮かべる。もう話す事はなさそうだった。必要最低限の情報を手に入れた俺は、背後にいた隻眼聖女を連れて、礼拝堂と個人的に呼びたくない廃墟に向かい始める。

「……こんな事をお願いできる立場じゃない事は分かっている。だが、これだけは言わせてくれ」

 足を止め、もう一度老人と向かい合う。彼の瞳を見た途端、彼の顔面に霧がかかった。

「どうか彼を救ってやってくれ、頼む。彼は私にとって孫みたいなものなのだ」

 その言葉に俺は違和感を抱く。そして、吟味する事なく、老人に疑問をぶつけた。

「孫みたいに思っている? だったら、何で彼を一人にした? 何で彼を村から出て行くのを黙認した? 何で両親を亡くした彼を保護しなかった?」

 俺の言葉に応える事なく、老人は口を閉じる。応える気はなさそうだった。これ以上、彼に利用価値がないと判断した俺は隻眼聖女を連れて、この場を後にする。礼拝堂に向かう途中、俺は彼女の瞳に視線を向けた。

 『お前はこれを見ても、俺の方が人間できていると言うのか?』と目だけで告げた。彼女は俺と目が合った途端、全力で俺から目を逸らした。彼女は一体何を考えているのだろうか。俺には全く理解できなかった。

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