第5話音無さんは演技派


 説明しなくてもわかると思うけど俺たちがいるのは放課後空き教室だよ。

「音無さんこのシーンを本当に今から読むの? 別に読めるなら別に問題ないんだよ。それにしても、これを音無さんが読めるのか俺は不安だけど。」

「大丈夫です! わたしはこのシーンが本当に大好きなんです。それを読むのに恥なんて感じません」

 音無さんは子犬のようにキラキラした目で俺に至近距離で訴えかけてくる。かなり心臓に悪いなこの状況。彼女の髪の匂いまでする。


「そうならいいんだが。告白シーンを選ぶとはかなりのチャレンジャーだね。」

 音無さんが選んだのは「君と居た教室」という青春恋愛小説だった。映画化もされた人気作なので俺も知っている。内容は高校三年生の男女の心の動きを繊細に描いた学園もので、非日常な要素は一切存在しない。俺には書けない正統派ものである。

 で、その肝心の告白シーンは卒業式に女の子が男の子に告るというこれまたベタなものだ。 


「新藤君に青春恋愛もの良さを知ってもらういい機会だと思いまして。あ、あと距離近づきすぎましたね。すみません、離れますね」

 音無さんは今になって恥ずかしくなったようで俺から急いで離れた。欲を言えばもう少しだけ近くにいて欲しかったな。

「俺は気にしてないよ! そ、それより音無さんそろそろ読み始める? 結構読む量あるんだよね?」

 音無さんは読むのに三十分はかかると思える量の原稿を持ってきている。

「そ、そうですね。頑張って読みますね」


 音無さんは教壇の上に立って読む気合の入れっぷりである。俺はというと教室の真ん中あたりの席に座っている。あんまり近くにいっても緊張するだろうしな。

 現に彼女の原稿を持つ手が遠目からでも震えているのが分かるほどだ。好きな作品を読むので素人の作品を読むのとは別の大変さがあるのだろう。うーん。今更だけど国語の教科書を読んでた方がよかったかな。変に奇をてらわずに。けれど、俺の心配はすぐになくなることとなった。


「明日は卒業式だ。この教室で居られるのも今日が最後の日。この制服に腕を通して彼と登下校することはもうないのだ。避けられない未来に私は胸が締めつけられた」

 俺の心配をよそに音無さんはまるで役者のように流暢に読んでいる。こんな彼女を俺は見たことがない。

「ああ、もう。隣でにこやかに笑う彼を見ることはないのだろう。私をからかう彼を見ることはないのだろう。私に感情をぶつけてきた彼を見ることはないのだろう」

 音無さんは音読しているだけなんだと頭では分かっている。分かっているがこれではまるで彼女の独白を聞いているみたいだ。

 俺が知らないだけで、彼女の声ってこんなに凛々しかったんだ。


「私にはそれが耐えられない。彼をどうにかして私の手元に置いておきたい。それにはやはり告白するしかない」

 音無さんと俺の目がその瞬間あった気がした。これはあくまでただの音読だ。でも、内容が内容だけにこのまま聞いていたら勘違いしてしまいそうだ。

 もちろん、気にしているのは俺だけで彼女はその後も変わらずに読み続けた。その間も彼女は一度も止まることはなかった。

 そして、ようやくクライマックスである卒業式後の告白シーンにまでたどり着いた。


「わたしたちいつもこうしてふたりで……。」

 あ、あれ。音無さんが急にいつもの調子に戻ってしまった。

「ど、どうしたんだ。音無さん具合悪くなったのか?」

 俺は音無さんに駆け寄って彼女の顔色をうかがう。見てみると、彼女は赤く汗ばんでいた。

「音無さん、そんな状態で読んでいたのか! 俺が連れて行くから今すぐ保健室にいこう」

 俺が音無さんを保健室に連れていくつもり満々でいると彼女に突然腕を掴まれた。

「し、新藤君! ち、違うの。これはしんどい訳ではなくてだね。さっきまで普通に読めたんだけどいきなり現実に引き戻されたというか。すごく恥ずかしくなってきたというか。と、とにかくわたしは元気だから心配無用だよ」 


 早口で音無さんはそれだけ言い切ると慌てたように俺の腕から手を離した。なんだそういうことか。音無さんが体調不良じゃなくて本当に良かった。

 しかし、音無さんが困っているのだ。解決するために俺にできることは……。

「音無さんここまで来たんだから、当然最後まで読み切りたいよね」

「は、はい。頑張ってこれから続き読みます」

 音無さんは健気にも一人で読み切る覚悟を決めていた。それでも、俺は力になりたいと思った。 


「それ、俺も一緒に読んでいい?」

「すいません、どういうことですか? 新藤君も一緒に読むって?」

「音無さんだけ恥ずかしいのはフェアじゃない。俺も恥ずかしくなれば音無さんの恥ずかしさも軽減されるはずだ」

 俺にしては明暗が浮かんだものだ。これなら恥ずかしさも中和されるはず。


「い、いいんですか? わたしは嬉しいですけど」

「うん、それでいい。二人で恥ずかしくなれば問題ない! それと、俺の分の原稿をコピーしに行きたいから原稿貸してくれないか?」

「大丈夫です。原稿ならもう一つありますから、貸しますよ」

 そう言って、音無さんは鞄から原稿を取り出して俺に渡してくれた。

「あ、ありがとう。それにしてもなんで二枚も持っていたんだ?」


「も、もしもの時のための予備分なだけです! それ以上の理由はありませんよ! あわよくばとか考えて準備してませんよ!」

 音無さんのことだから準備をしっかりしてきたんだなと感じたが、途中の内容はどうしたんだろう? ずっと読み続けていたから疲れが出たのかな。

「そ、そうか。と、とりあえず始めようか、音無さん」

「あっ、はい。始めましょう」

 音無さんのテンションがおかしくなっているが、何はともあれ告白シーンの音読開始だ。

 

 















 


 

 

 

 

 

 

 

 

 




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