第3話 音無さんはネガティブ 


 放課後の空き教室。部活動に勤しむ者、下校する者に分かれるそんな時間帯。結果として教室に残ったのは俺と音無さんの二人だけしかいない。理由は音無さんは動ける状態じゃないし。俺は彼女を放っておくこともできない。


「ワタ、ワタシハボルボックスイカデス」

 このセリフは音無さんのものである。まるでロボットのようにカタカナで独り言をつぶやいているが、可憐な音無さんである。滑らかな白い肌も墨を流したかのような黒い髪も逆作用して貞子になっている。さらに悪化した彼女は、机に頭を突っ伏して足をガタガタいわせてる。


「ワタシ、ダメニンゲン」

 彼女がこうなった原因を一応説明しておくと、結局彼女は発表ができなかったからだ。



 直前まではみなぎるやる気が彼女にはあったものの、いざ大勢を前にすると硬直してしまった。俺は音無さんが発表できない状態だと判断し、いつものように代わりに発表した。

 発表内容そのものはクラスで断トツの出来だったと思う。発表後の拍手も盛大なものだった。それでも、彼女は真面目だから俺に任せてしまったのを気に病んでいるのだろう


 いや、今回は己の不甲斐なさを悔やんでいるのか。


「音無さん、今までは前に立つのも出来なかったんだ。それが、今日はみんなの前に立てたんだ。音無さんは確実に成長しているよ」

 彼女は俺の声に涙でグシャグシャに腫れた顔を上げた。

「新藤君……。ごめんね、こんなわたしに付き合ってくれて」

「いやいや、むしろ二人きりでいられてご褒美だよ」

「ご、ご褒美!」

 音無さんはその言葉に驚きすぎて、悲壮感が嘘のように吹き飛んでしまったようある。


「言葉を間違えた。もっと真面目な話をするはずだったんだ。音無さんは発表するのに苦手意識があるんだよね? まずは目の前にいるのが一人の場合なら、発表できるように頑張るところから始めてみるのは?」

「一人ですか?」

「うん、そこから徐々に二人、三人、五人、十人というかんじで最後にはみんなの前で発表できるようにしていく」

「それなら、わたしにもできるかも」

 彼女の顔がひまわりのようにパァーと明るくなった。

「そうと決まれば。最初は俺の前で発表する練習だ」

「は、はい。よーし、頑張るぞ!」

 音無さんは完全に悲しみから立ち直った。ここからは彼女が這い上がるのみだ。


 そうして話は一話目の冒頭に戻る。

「ワタシハダメニンゲンデス」

 一週間前のポジティブな彼女は現実に打ちのめされてしまい、またまたネガティブモードを発動している。

「音無さん、落ち込まないで君は悪くないよ」

 一日目は一言も出なかったのが、今日は三行も言えたのだ。


「ワタシハダメニンゲデス」

「完全に壊れてしまったか。どうしよう」

 俺の作戦は間違えていないはずだ。人数を徐々に増やして慣れさせるのは理にかなっているし。自己紹介から始めたのもそれが一番簡単だからだ。だって自分のことだし。

 うーん。音無さんはなんで自己紹介をするだけでやたらテンパるんだろ? もしかしたら、それがわかれば解決に向かうかもしれない。


「音無さんは自己紹介が苦手なのか?」

「はい、苦手です。自分のことを言うのがたまらなく恥ずかしくて。そういう理由で同じく自分の意見を発表することができないです」

「それをもっと早く聞くべきだった。無理させてごめん」

「新藤君はとても頑張ってくれています。謝る必要はありません」

「気づいたんだが、音無さんは音読なら大丈夫?」

「音読は音読で自分の声をとても聴かれている気がして苦手ですが、発表よりは確実にできる自信はあります」


 そら音無さんの声ならみんな耳を澄まして聴くに決まってる。天上の女神のような気高さと優しさに満ちた声なんだから。まあ、実際には音無さんが音読するのをまだ見たことないけどね。


「なら自己紹介は辞めて音読の練習をしよう」

「そのほうが自信はありますが、何を音読しますか? やっぱり定番の国語の教科書でしょうか?」

「わがままは承知の上で、俺の書いた小説を音読して欲しい」

 この機会を逃したら一生音無さんに俺の小説音読してもらえないだろうし。ちょっとぐらいは私情が混じっても音無さんは許してくれると思う。


「し、新藤君の小説! 読みたいような、読みたくないような。……悩ましいよう」





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