第2話 音無さんは努力家


「ごめんなさい。ごめんなさい。危うく新藤君を殺してしまうところでした」

 音無さんが何度も頭を下げるものだから、彼女の美しい黒髪が乱れてしまう。

「そんなに謝らなくていいよ音無さん。落ち着くんだ。土下座は辞めよう」


 保健室から帰還した俺に、音無さんはもう五回は謝っている。彼女はなぜか土下座を日本人の美徳だと思っているようだ。彼女に土下座なんてされた俺の体がいろいろもたない。


 ちなみにもうすぐ一時間目の授業が始まる。それまでには音無さんをなんとか宥めないと。彼女は頼られるのを嬉しがるから、宿題を教えてもらう方向にもっていこう。


「音無さんが暴走したのは俺が原因だから。それより、次の授業の宿題まだ終わってないからみせてもらえないかな?」

「そんなことでいいなら。わたし全力で新藤君の宿題のサポートをします」

 俺の目論見通り、彼女は意気揚々として宿題を鞄から取り出した。そして、俺の机にピッタリと机を寄せてきた。名誉挽回しようと頑張っている姿がなんとも可愛らしい。


「さあ、宿題よ。どんとこいです」

「言葉遣いが微妙に古くないか?」

 


 そうしているうちに朝の授業は過ぎて時刻は昼休みになった。食堂に行く者、購買にいく者、教室で弁当を食べる者に分かれて生徒は移動する。 


 俺はというと教室で弁当だ。俺が作ったものではもちろんない。母親の愛情手作り弁当だ。高校生にもなって母親の弁当は恥ずかしさもある。

 ただ、母親が栄養面が気になるからは弁当は作ると言ったのだ。俺はそれに甘えている状況だ。さすがに来年になったら弁当は自分で作ろうと思う。


 音無さんも同じく弁当だ。ただし、彼女の場合は自分で作っている。今は、隣の机をを離れて友達の近くに移動している。数は少ないながらも彼女にも友達はいる。


 基本的に聞き役ではあるももの、時節会話に参加する。その時は隣の人に話す内容を囁いて、代わりにみんなに聞こえるように伝えてもらっているようだ。そんな姿が健気でなんともいじらしい。


「おっす、新藤。どうした。気絶した後遺症か?」

 俺が音無さんのことを考えている間に、友達の小坂が購買からパンを買ってきたらしい。

「違う。俺は元気だから問題ない。あと後遺症とか言うな。音無さんが気に病むだろ」


 小坂は俺の前の席の椅子を借りて、机越しに俺と向き合う。いつも昼食は小坂と二人だ。なんとも味気ないがそれほど嫌いでもない。男同士のほうが気楽な面もあるからだ。


「相変わらずの音無さんloveだな。早く告白すればいいのに」

「仮に告白するとしてもかなり先の話になるな」

「え、なんで? 早いに越したことはないだろ。音無さんに彼氏できたらどうするんだ!」

「断言できる。今の彼女に彼氏が出来る筈がない。」

「ええ~。好きな人にその発言はあんまりだと思うぞ」


「音無さんを侮辱する意図はない。しかし、彼女の以上に恥ずかしがる癖を直さないと朝の俺の二の舞になるのは確定だ」

「ああ納得。彼氏とイチャイチャするのは音無さんには無理ってことね」

「そういうことだ。彼女は初々しいカップル特有の甘い空気に耐えられない」

「悲しい業だな」

 小坂は何とも言えない顔で音無さんのいる後方を振り返った。



 楽しい昼休みも時間は終わりを告げた。生徒たちは無気力ながらも各々の席に座り、次の授業の準備をする。そんな誰もが授業を恨めしく思っているなかで、ただひとり音無さんだけは違った。


「よ、ようし。きょ、今日こそはみんなの前で発表するんだ!」

 

 音無さんは次の授業である社会科の発表に異常な熱意を見せていた。内容は地元の祭りについて。こればかりは人の内容をパクれないのもあって、俺を含めたクラスメイトは渋々ながら真面目に調べた。

 

 そんななかでも音無さんは我々を遥かに上回る量の資料を机に出している。

 A4用紙十枚程にびっしり文字が書いてあった。そのうえ分かりやすいようにグラフや写真まで貼られている。


「そこまで張り切らなくてもいいんじゃないかな?」

「今までどおりわたしが新藤君に発表してもらうことになったら、わたしはボルボックス以下の存在に成り下がる。だから、今日こそはわたしが!」


 音無さんは人前で大声を出すのは苦手だ。そのため、彼女が授業中に先生から指名されたときは代わりに俺が発表していた。もちろん、彼女が俺に耳打ちした内容そのままをだ。


 今回のような場合は彼女から受け取った資料を基に発表するのが常だ。しかし、今の彼女は自分で発表するつもりだ。そのうえ前に出て発表するする形式の今回に。彼女はそれだけ社会の授業に全力投球しているとわけだ。


「まあ、ちょっとは落ち着こう! 音無さんの出番は最後の方だし、力は温存するべきだ」

「そ、そうでした。わたしの出番はかなり先でした。少々調子に乗りすぎていたようです。諫めてくれてありがとうございます」

 照れながらも音無さんはいつもの調子に戻ってくれたようだ。よかった。よかった。


 そのやり取りから間もなく授業を告げるチャイムが鳴った。それと同時に教師も教室に入ってくる。 教師の合図で日直は号令を始める。いよいよ授業が始まった。


 さあ、ここから音無さんの勝負がいよいよ始まる。果たして結果は?



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