隣でささやく音無さん

りりん

第1話 音無さんは恥ずかしがり屋  




「わ、わたしの名前は音無小鳥といいます。す、好きな食べ物はうどんとご飯です。え~、えっと嫌いな食べ物は唐辛子です。しゅ、趣味は演劇鑑賞です。うう~。り、理由は役者さんがとても素敵だと思ったからで……。自己紹介の時点でもう無理です。わたしには、自己紹介の才能がありません。すみません、新藤君。ギブアップでお願いします」

「いや、まだ始まって三十秒も経ってないのに! もうギブアップはいくらなんでも早すぎるよ。音無さん」

「でも、やっぱり新藤君の貴重な時間を使ってまで、私のために時間を割くのは」

「時間は有り余るほどあるから。部活も月一だし、バイトもしていないし。本当にただの暇人だよ俺は」

「うう~。貴重な休暇をわたしの発表練習に使うなんて。わたし、百回土下座しても足りないよ」

「話が通じていないうえに、なんでそこまで自分に卑屈なんだよ!」



 突然だが、俺の自己紹介もしておこう。俺の名前は新藤大地。好きな食べ物は天ぷら丼。嫌いな食べ物はブドウ。趣味は部活で文芸誌を出すこと。


 さて、今の状況を解説するとしようか。現在、俺たちがいる場所は学校の放課後空き教室。


 窓からは暖かな夕日を差し込んで、教室をオレンジ色に染め上げている。外からは運動部の掛け声も聞こえてくる。大変ドラマチックな風景だが、俺たちがこの場所にいる理由には色気も何もない。


 なぜ二人きりでいるのかというと、音無さんが大勢の前でも発表ができるように特訓するためだ。そのためには、まず、一対一で発表することに慣れる必要があると考えた。


 で、その相手がなぜ俺なのか? 説明するには先週の朝まで遡る必要がある。

「わ、わたしはいったい何を差し出せば! そうだ! 腎臓。腎臓なら二個もある。一個は新藤君に渡しても問題はない筈だ!」

「問題大有りだよ! 文字通りに体を売ろうとしないで!」

 音無さんはひとまず置いておいておこう。本当に次こそ回想だよ。

 

 

 今日は俺にしては珍しく朝早く学校に着いてしまった。時刻は七時半。部活で朝練がある生徒以外は誰も登校しない時間帯だ。まだ誰も教室には居ないだろう。仕方ないので鍵を取りに職員室に行く。


 しかし、鍵は既に誰かが取った後だった。この時間に教室に居るとは。余程の学校好きと覗える。そういう俺は学校がいうほど好きではない。理由は単に勉強が好きではないからだ。


 教室の前まで着いたところで俺は一度立ち止まる。人が少ない教室はちょっと緊張する。

 あんまり話したことないクラスメイトがいたらどうしようとか。しゃべらないと気まずくないかとか。

 そんなことは考えても意味がない。潔く気持ちを切り替えて俺は扉を開いた。


 教室には音無さんが一番後ろの窓側の席に座って本を読んでいた。彼女は教室に俺が入ってきたことに気づいていないようだ。それだけ本に集中しているのだろう。挨拶ぐらい彼女にすればいいのだが、俺はこの神秘的な空間を壊したくない。それだけ今の彼女は絵になっているのだ。


  腰までかかる墨のような黒髪に。雪のように白く滑らかな肌。モデルみたいなスタイルに加えて、凛々しさの中に可愛らしさがある顔立ち。まさに日本の誇る大和なでしこそのものだ。


 そんな音無さんはときどき髪をかきあげながら、涼やかにブックカバーをかけた文庫本を読んでいる。窓から差し込んでる朝日は彼女を祝福しているかののようだ。このまま一時間ぐらい棒立ちして彼女を見つめ続けたい。しかし、実際に行動に移すつもりはない。そんなことをしたら気持ち悪すぎるからだ。俺は彼女に近づいておとなしく朝の挨拶する。


「おはよう。音無さん。」

 彼女は驚いたのか、体をビクッと震わせた。その拍子に本を床に落としてまう。

「ご、ごめん。ごめん。驚かせるつもりはなかったんだ」

 俺は床に落ちた本を拾い上げて彼女に渡す。

「すいません。新藤君。大げさに反応してしまって」

「いいって気にしてないから」

 そういって彼女の隣の机に腰を下ろす。幸運なことに俺は音無さんの隣の席だったのである。話の続きをするため、俺と彼女は椅子を向かい合わせた。

「新藤君はどうしてこの時間に学校に?」

「今日は目が覚めるのが早くてな。家にいても暇だし。どうせなら学校行くかってなった。そういうわけでただの気まぐれだよ。音無さんはいつもこの時間に?」


 するとなぜか赤い顔をうつむいて指をモジモジし始めた。

「あのーー。新藤君。笑わないで聞いてくれますか?」

「別に笑わないけど、どういうこと?」

 彼女は深呼吸してから俺の顔を見つめる。顔をさっきより赤くなってトマトのようだ。

 それでも彼女は勇気を振り絞って俺の質問に答える。


「新藤君も知っている通り、わたし集団が苦手なんです。普段も一対一の会話しかできない。でも、そのままではいけません。集団に慣れる必要があります。そのために、とりあえず学校の空間に慣れようと思いました。ひとまず朝早く登校して、長時間学校にいることに慣れることから始めようと」

 

 段々話しているうちに恥ずかしくなったのか、声が徐々に萎んでいるようだった。しかし、彼女は地道に今の自分を変えようと努力している。とことん真面目なのだ音無さんは。


「おかしいですよね? 笑っちゃいますよね?」

「いや、音無さんはとっても努力家だって事が分かったよ。十分魅力的なんだからもっと自分に自信もとう!」

「み、魅力的ですか? お、お世辞だとしてもそんなこと言われると。恥ずかしいです」

 

 そのまま音無さんは机に項垂れてしまう。ガッチリ顔を隠してしまいその表情は分からない。

「お世辞なんて言うわけないよ。音無さんはわが校が誇るべき逸材だ!」

「わわっ。新藤君それ以上は辞めてください。恥ずかしさで本当に死んじゃいます」

 音無さんは椅子から立ち上がり全力で俺の口を塞いできた。椅子に座った状態の俺では音無さんの勢いに抵抗できない。

「待って。死んじゃう。ストップ音無さん!」

「わわわ。ははわ」


 混乱しすぎたのか当然のように彼女には聞こえていない。俺はそのまま彼女に押されてしまう。しまいには椅子と机が段々がズレてきた。


 当然の結末として俺は真後ろに椅子から落ちて、机に頭をぶつけた。骨をぶつけた鈍い音がする。

「ゴフッ」

「わ、わたしはなんてことを! ほ、保険の先生!」

 

 音無さんが走る足音がどんどん遠ざかっていく。 どうやら先生を呼びに行ったのか?

 にしても今日の教訓は恥ずかしがり屋の女の子は褒めすぎないことだな。チーン。

 そのあと俺は無事に朝の会には復帰したとさ。

 

 

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