第47話 エニグマを背負いし者

「──とりあえずUSAちゃんが無事でよかったよ」


 目の前に座る飛鳥からの言葉に病室の寝台に寝ころぶ有素は、そちらへと視線を向ける。


「あ、はい。どうも……」


 口にした言葉はなんとなしに容量を得ず、それ以上の言葉が続かないので、飛鳥もそれ以上はなにかを呟くことはできない感じで、きまずい空気が二人の間に流れた。


「えっと、飛鳥さん」


「なに、USAちゃん」


 気まずい空気をなんとかしようと無理やりに口を開いた有素へ、飛鳥がまっすぐと彼女を見つめて問いかけてくるので、そのまっすぐさに有素はなぜだか、うっ、と言葉に詰まってしまうぐらいだ。


「えっと、その。あっと……私はどうしてここにいるんですか?」


 有素が問いかけた曖昧な言葉に、飛鳥はしかし正確に意図を察して言葉を発してくれる。


「……私達が《緊急脱出》をした後、私達はすぐにエーテル体を修復して再突入を試みようとしたんだけど。その前に気絶したあなたを士道君が連れて出てきたの」


「………」


 飛鳥の言葉に、とっさになにかを告げることができなくなる有素。


 おそらくそうなのだろうとは思っていた。


 あの場に残っていたのは、有素と士道だけで、病院に有素がいるということは士道が有素をたすけたということにほかならない。


 ほかならないからこそ、有素には士道への憤りが思い浮かぶ。


「……なんで、士道君は私を助けたんですか?」


「え?」


 有素の言葉が予想外だったのか、飛鳥が目を丸くして有素を見るので、彼女は両手をギュッと握りしめた状態で、飛鳥にもう一度問いかける。


「だから、どうして士道君は私を助けたんですか……! あの人はだって自分勝手じゃないですか! 私から迷宮探索のことを奪おうとしたりッ。私を遠ざけようとしたりッ! 私の気持ちなんてなにも考えていない!」


 病室の中に響き渡るほどの絶叫を上げてそう告げた有素に、飛鳥は言葉に詰まったよう二の句が継げなくなっている様子だ。


「……USAちゃんの言い分はわかるよ」


 その上で飛鳥が告げたのはこのような言葉だった。


 彼女は一度瞑目した上で、ふう、と息を吐きながら言葉を紡いでいく。


「士道君ははっきり言って自分勝手で他人への思いやりがなくて、スケコマシで、朴念仁で、性格が悪くて、印象が最悪で、清潔感がなくて、わがままで、秘密主義が行き過ぎた自分勝手な人だけど──」


「え、あ、はい?」


 なんか、すさまじい勢いで士道への悪口が口にされて、有素は一瞬だけ憤りを忘れ、ぱちくりと目を瞬かせながら飛鳥を見た。


 そんな有素の視線を受けながら、飛鳥はさらに言葉を続ける。


「まあ、はっきり言って、士道君の人間性は最悪だけど……でも、理由のないことはしない」


 顔を上げ、もう一度有素をまっすぐと見つめてそう告げる飛鳥に、有素は思わず神妙な表情で飛鳥を見やった。


「……嘘です。だったらどうして、あの人は私を大江町ダンジョンから排除しようとしたんですか?」


「それはあのダンジョン内で士道君が言っていた通り、あなたの身が危険だから。高難易度迷宮っていうのは、そもそも大きな危険が伴うの。事実──」


 とっさに出た有素の言葉に、飛鳥は落ち着いた声音で反論を口にしていく。


 そうして次に告げた飛鳥の言葉は、有素にとっても衝撃的なものだった。


「──今日、遠くフランスのブルターニュにある無限迷宮を攻略していたユグドラシルのチームが壊滅して、大きな被害を出した」


「え──」


 驚く有素。そんな彼女に飛鳥はことさら意識して声から感情を廃しながら説明していく。


「ブルターニュ攻略チームには現在の七星剣第一位である〈皇帝〉御剣みつるぎ勇栄ゆうえいを含めて世界でもトップランカーと言える冒険者が数多く投入されていた……でも、ふたを開けてみれば攻略は大失敗。新たな未踏破エリアに到達するどころか大勢の死者を出しながら命からがら撤退するのでやっとという状態に陥ったの」


 ギリッと有素の耳に聞こえるほど音を出して、歯を噛みしめる飛鳥。


 その上で彼女は、血を吐くような言葉でそれを告げてきた。


「犠牲者数は約24人……その中には、現狙撃手ランキング第一位にあたる〈鷹の目〉相沢あいざわ祥吾しょうごも含まれている」


「そんな」


 彼女が告げた人は、どういった人なのかは有素にもよくわからない。でも、トップランカーと呼ばれる人達が犠牲となるほどの事態が起こったのは有素でもよくわかった。


「大江町ダンジョンは、それほどの犠牲者を出したブルターニュ無限迷宮の深層とも同等の難易度だと見積もられている。それもまだ第一層とかそこらへんの段階から」


 その評価を下されたのは間違いなくあの天使が原因だろう。


「……士道君はそれを肌感覚で……ううん。おそらくは私達とは比べ物にならない経験から、それを理解していたんだと思う」


「そう、ですか」


 飛鳥の言葉に、有素は、そう頷きつつもしかしその表情は納得したような表情ではない。


「でも、だったらどうして私にあんな言葉を向けたんですか? それが理由だったら最初からそう告げればいいじゃないですか」


「……そこが士道君の悪いところ。あの時、士道君はあえて無茶なことを言ってUSAちゃんに自分を悪者にしようとしたの」


「は?」


 あまりにも予想外すぎて、さすがの有素も目を丸くしてしまう。


 そんな有素に、飛鳥もその口の端から息を漏らしてみせ、


「あの状況でUSAちゃんに退場を勧告するのは私か司ちゃん、あるいは道目木さんだった。士道君は、そうなった場合、例え言葉を尽くしても私達がUSAちゃんを排除しようとする行動で私達とUSAちゃんの間に隔意が発生するのを危惧したの」


「それは……」


 ない、とは言えないのが有素にとっても気まずいところだ。


 確かに、あの状況で司や道目木に、今の事情を説明されて排除を口にされていても、なにかしらの不満を覚えていただろう。


 有素自身の悪い癖として、感情に任せて突っ走ってしまうというところがある。


 町のために冒険者となったことや、その他にもいろいろ。


「だ、だけど。それでもあんな風に言うことはないんじゃ……」


「そうだけど、でも、あそこで士道君が悪者になったことで、あなたは私達に悪印象はもっていないでしょ。士道君の狙いもそれ。将来、もしUSAちゃんが正規の方法で大江町ダンジョンに入れるようになったとき、絶対に私達グノーシスと付き合いが発生するから」


「───。それって──」


 驚いて目を見開きながら飛鳥を見る有素に、飛鳥は頷きながらそれを告げる。


「そう。USAちゃんがプロ冒険者になった時につき合いが発生する私達グノーシスとの仲が悪くならないようにしようと、自分にUSAちゃんのヘイトを集めようとしたの」


 思わず言葉を失う有素。そんな有素に同調するように飛鳥もまた呆れたように首を振って、


「まったく、おせっかいと言うか……いや、あれはむしろ我儘だな。自分が悪者扱いされれば、周りが上手くいくからって、普通自分にヘイトを向けるか、あの子は。普通自分がもうすぐ死ぬ身だからってそこまでするか」


 飛鳥ですら憤りを覚えるように、そう告げる最中、有素はしかし先ほどの飛鳥の言葉で気になったところがあって、目の前に座る彼女へと問いかけていた。


「あの、士道君がもうすぐ死ぬってそれはどういう……?」


 有素の問いかけに、ようやく飛鳥も自分の失言に気づいたのだろう。


 あ、と声を上げて口を覆う飛鳥に、有素は依然から抱いていた確信をますます強めた。


「やっぱりそうですよね。士道君の体って実はそんなにいい状態じゃありませんよね? むしろものすっごく悪いんじゃないですか?」


 とういか、


「士道君って、もしかして──じゃないんですか?」


 問いかけた有素の言葉に、しかし沈黙をもって答えとする飛鳥。


 それはだが有素にとって何よりも明確な答えであった。


「……やっぱり、そうなんですね?」


 言葉の上では問いかけの形を保っているが、実際には確信をもって口にされた言葉に、飛鳥はなんとも言えない表情で嘆息する。


「まあ、隠せないか。うん、そうだよ。士道君はエニグマ病を患っている」


「───ッ」


 その瞬間、有素の脳裏に思い起こされたのは今は亡き母の最期。


 あんな悲惨な末路をたどったのと、同じ病を士道が抱えているということに、それまでの憤りも忘れて有素はなんとも言えない表情になった。


「進行度は? まだ動けているということは、軽症の方なんですよね……?」


「……残念だけど、士道君のエニグマ病はもう末期。辛うじて薬を打つことで日常生活をおくれている状態で、もう治療することは不可能な状態になってる」


「そんな」


 両手で口を押えてショックを隠せない有素に飛鳥もまた目を伏せながら告げる。


「士道君がプロを引退したのもそういう理由。エニグマ病を患って、日常生活すら満足に送れないようになったから、引退せざるを得なかったの」


 薬があれば、進行は遅らせられる。それは母がエニグマ病を患った時から知っていた。


 だけど、それはあくまで遅らせられるだけで、進行を止めることはできない。


 その状態で、普通に生活していた士道はどれほどの胆力なのか。


 体の中をエーテルが侵し、神経が狂って激痛が常に走る中で、平然としていた士道。


 彼のそんな頑張りに、有素は拳を握りしめ、


「あとで絶対──ぶん殴ろう」


 と、心に決めた。

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