第42話 エニグマ病

「むう」


 父が来訪して、どういうわけだか士道が連れていかれてからしばし。海水浴場から帰ってきて旅館のご厚意で有素も含めたグノーシスの面々が体の汚れを落としたのち。


 有素は旅館の休憩スペースに座って難しい顔をしていた。


「どったの、USAちゃん。そんな可愛い顔をしかめっつらにしちゃあ──可愛いいイイイイイイイイイイイイいいッッッ‼」


「はいはい、飛鳥さんはそろそろ落ち着きましょうね。USAさんにも他の旅館の方々にも迷惑ですから、ほんとマジで」


 しかめっ面をする有素の方へと近づいてきてもはやお約束となってきた会話を交わす飛鳥と司。二人はしかし有素の前へ座ると、今度は真面目な表情で問いかけてきた。


「しかし、私としても気になりますね。なにか懸念することがありましたか?」


「あ、えっ……そ、その。父と士道君の件で……」


 小さな声で、そう有素が白状すると、飛鳥と司は納得した表情で頷く。


「ああ、確かに。あれは気になりますね」


「USAちゃんのお父さんと士道君がお友達って話だっけ? 士道君にあんなおじさんのお友達がいたとはね意外……でもないかな?」


 ポツリ、と飛鳥が呟いた言葉に、有素と司はそんな彼女を見やった。


「……? それはいったいどういうことですか、飛鳥さん」


「んー。士道君ってなんていうか、秘密主義? みたいなところもあるし。そういう知り合いがいてもおかしくないかなって感じだから。そもそも士道君って交友関係というか過去があんましよくわかんない感じの子だから」


「過去がわからない?」


 飛鳥の言葉に有素がそう疑問を返す。それを聞いて、うん、と頷く飛鳥。


「士道君ってもともと代表が五年ぐらい前にどこかから連れてきた子なの。代表が実質保護者みたいな感じで面倒見てて、それ以前のことは私もよく知らないんだよね」


 自分の淡い色合いをした毛先をいじりながらそう告げる飛鳥に、しかし有素はそんな飛鳥の言葉に首をかしげて彼女を見やった。


「え。士道君、前に自分はカムロ社CEOの子だって言ってましたよ」


「「えっ」」


 有素の言葉に大きく目を見開く飛鳥と司。


 二人は互いに顔を見合わせて、驚きもあらわに言葉を交わす。


「飛鳥さん、知ってました?」


「いや、知らない。え、でたらめじゃないの? 本当に士道君がそんなことを言ってたの?」


 本気で疑っているらしく、目をぱちくりさせて問いかけてくる飛鳥に有素は首を縦に振って二人へ肯定の意を返した。


「え、ええ。士道君が以前、そのようなことを」


「えー、そんなこと聞いたことないんだけど……。あー、でも、あり得ないことじゃない?」


「??? どういうことですか、飛鳥さん?」


 飛鳥の呟きを拾って司がそう問いかけ、有素もまた疑問の表情を飛鳥に向ける。


 一方の飛鳥はそんな二人の視線を前に、彼女にしては珍しく、なんとも言えない表情で言葉をためらった後、ややおずおずとした調子でこう発言してきた。


「えーとね。あまり知られていることじゃないんだけど、いまのカムロ社のシャッチョサンとウチの代表である誠さんは昔同じ冒険者パーティーで活動していたって時期がある……と、まあ、そんな風な話を聞いたような聞いてないような……」


 言葉尻を曖昧にしながらそう告げる飛鳥に、有素と司は目をぱちくりとさせた。


「つまり、カムロ社の現CEOとグノーシスの代表であるまこてゃさんがお知り合いだと?」


 ちなみにまこてゃとは、グノーシス代表である住良木すめらぎまことが有素の運営するチャンネルで使用するハンドルネームだ。


 そんな有素の問いかけに飛鳥はコクリと首を縦に引きながら答える。


「うん。まあ、そういう話を以前聞いたというだけだけどね? でもそれが真だとすると年齢が合わないんだよね。いまのカムロ社のシャッチョサンて確か60代近いおじいさんだから」


「60代の方をおじいさんと呼ぶかは賛否がありますが……確かに年齢としては微妙ですね。士道君はいま17歳ですから、少なくとも50手前で生んだ子供ということになりますし」


「な、なるほど」


 ちなみに士道は、自分は愛人との間に生まれた子供だ、とも言っていたのであながちそうであってもおかしくはないが、そこまで言及するのはさすがの有素にも躊躇われた。


「それにおかしいのはもう一つあるでしょ。士道君がカムロ社のシャッチョサンと血縁関係だったら、凛音ちゃんはどうなんのよ」


「??? リンネちゃん……???」


 いきなり出てきた謎の人物の名前に、有素がそう疑問を口にするのに、飛鳥と司は顔を合わせて、ああ、と口にし、


「……士道君の恋人ですね」


「いや、あれはもはや夫婦だったでしょ」


 司、飛鳥の順でそう告げる二人に、有素はますます疑問をその顔に浮かべた。


「えっと? もしかして私が聞いたらダメな内容だったりします?」


「いや、聞いたらダメじゃないんだけど、なと行ったらいいか……」


「……結論だけ言いますと、凛音さん──黒輝くろき凛音りんねさんは、士道君と同じく代表が連れてきた女の子なんですが、その子は、その去年にお亡くなりになりまして……」


「え」


 沈痛な表情でそう告げる司に思わず有素の喉からそんな声が出た。


「凛音ちゃんは有素ちゃんと同じぐらい可愛い子でね。とはいっても冒険者じゃなくて、普通の女の子って感じだったんだけど、その重い病気に罹っちゃって」


「……その病気、というのは……?」


 有素の問いかけに、はたして飛鳥が答えたのはこのような言葉だ。


「エニグマ病」


「───ッ」


 その病名に有素が息を飲む。一方の飛鳥はそんな有素の様子に気づかず、言葉を続ける。


「通常は大気中で霧散するはずのエーテルがどういうわけだか人間の体内に沈殿してしまうって原因不明の難病でね。その際、皮膚の表面に薄緑の光を放つ〝痣〟ができるから聖痕エニグマ病って呼ばれてるの」


「体内に沈殿したエーテルはその内、神経系にも侵食してその機能を大きく狂わせます。手足が動かなくなるのはもちろん、内臓にまでエーテルが達した場合は最悪心筋梗塞で……」


 死亡する、とは司ですら口にできなかった。


 当たり前だ。


 エニグマ病を患った人間の最後は、見るに堪えないほど悲惨なものになる。


 最初に手足の神経が侵食されて動かなくなり、次に内臓が機能しなくなって、胃が消化不可能となり、ご飯を口に入れることすら難しくなり。


 果てにエーテルが全身の神経系を乱し、すさまじい激痛と痙攣が体中を襲う。


 最後の最後まで苦しみ続けた挙句に、全身を激しく痙攣させ、他人の耳を引き裂くような絶叫をあげ、体中から血を吹き出しながら死ぬのがエニグマ病だ。


 なぜ、そんなことを有素が知っているのか?


 理由は簡単。


 有素の母──石動いするぎ咲夜さくやがその病気を患って五年前に病没したからだ。

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