第2話 石動有素
そうして犬面の異形達と戦闘を終えた少女──動画配信者USAは地上へと戻ってきた。
「ふぅ~、疲れた~」
いいながら、肩を落とす少女。
すでに動画の配信は終了しており、完全に気の抜けた表情で彼女は迷宮入り口に設けられた小さな小屋──仮設のフィッティングルームへと入る。
部活動に使う部室のような狭くて、薄暗い空間に鍵付きのロッカーだけが並ぶそこに入るとUSAは、懐へと手を伸ばし、そこから一つの端末を取り出した。
《アンブロイド》だ。
どことなく懐中時計ともお化粧に使うコンパクトにも似た形状の端末を取り出すとUSAはそこに並ぶボタンの一つを指で押し込む。
瞬間、USAの体が光へと包まれた。
足元から頭上へと向かって浮かび上がる光輪。
それが完全にUSAの体を覆いつくし、そして大きな変化が起こる。
それまでの白い髪が黒色になり、赤色の目も同じく黒曜石のような色合いへ。
身にまとっていた戦闘用のジャケットはUSAが通う高校のセーラー服に変わり、顔には眼鏡までつけられた。
そうしてエーテル体から実体へと換装し終えたUSA──否、
「んん~。やっぱりエーテル体より、実体だよねえ~」
ふにゃり、と気の抜けた表情をする有素。
ふと、彼女が見やったのはスマホの画面だ。
カバーを開いて、電源を入れると、画面には本日の配信の結果が。
同時視聴者数50人ほど。
チャンネル登録者数はわずか3人。
それが有素の運営している動画配信チャンネル『USAチャンネル』の現状であった。
惨憺たる、とまではいかないが、とてもではないがインフルエンサーと呼ばれるほどの数には達していない視聴者数。
しかしそれを見て有素が浮かべたのは笑みだった。
「うへへ」
確かに3人というと少ないかもしれない。
多くの配信者にとっては取るに足らない小さな数でも、有素にとっては宝物のように貴重な存在である。
それこそ3人という数字だけで、今日も頑張っていこう、と思える程度には。
「っと、いけないいけない」
登録者数を見ていてついトリップしていた有素はようやっと我に帰り、慌てて荷物をまとめるとダンジョンの外へと出た。
そのまま有素はところどころに雑草が生えて亀裂の走ったアスファルトの上を駆け抜けると、その先にあった駐輪場へと駆けこむ。
砂利敷きの屋根もないような簡易な駐輪場に入ると同時に唯一留められていた自分の自転車にまたがった有素は、かごに鞄を突っ込み一気に加速した。
そうして得る加速の風に身を任せながら自転車を走らせる有素。
左右を木々に囲まれ、水っぽい草と土の匂いを感じさせる坂道をいっきに駆け下りると、道は丁字路へと合流した。
一気に視界が開ける。
まず見えるのは一面に広がった田んぼの緑色。
奥には雄大な山の稜線が見えて、その間にぽつねんと家が立ち並んでいる。
昔ながらの田舎町、といった風情の景色だ。
そんな景色が広がるこの町こそが有素の故郷である〝
そうして有素が大江町の中を自転車で駆けていると、畑からの帰りだろうか、田沼のお爺ちゃんが乗るトラクターが地面に泥濘の線を引きながら走っているのが見えた。
「おお、有栖ちゃん!」
「ごきげんよう、田沼のお爺ちゃん!」
こちらへと振り向いてその皺だらけの顔をくしゃりとゆがめるお爺ちゃん。
「今日も元気やのう、迷宮いっとたんか?」
「うん! そうだよ!」
有素が元気よく答えると、老人は孫ほども離れた年齢の彼女へ笑みを浮かべて頷き返す。
「そうかそうか! 若者はそうでないとなあ! 最近の若い奴らは、気骨がない! その点、有素ちゃんは、ほんとしっかりしとるわー! さすが石動さんとこの娘さんじゃ!」
「あはは、ありがとう!」
有素の父親は町議をしている。
そうじゃなくても、石動家は古くからこの周辺一帯の有力者として知られていて、そこの一人娘である有素も、町中ではちょっとした有名人だ。
もはや町内の人とは大半が顔見知りという有素は、そのまま田沼の老人の横を通り抜けると、さらに自転車を加速させる。
すると道が海岸線に差し掛かった。
遠く先まで広がる日本海の青い海。
美しい海岸線と、白い砂浜がどこまでも続き、潮風の匂いが鼻孔をくすぐる。
いまは春先ゆえ人がほとんどいないが、夏場ともなれば周辺の都市からも行楽客が訪れるようなそんな海岸。
その横に通る道を有素が自転車で駆け抜けていると、ふと視線の先に大きな建物が見えた。
ごみ焼却所だ。
この町のみならず、近隣の都市などから出たごみを処分するための巨大な建物が海岸線の美しい景色を遮るように建てられている。
「………」
無言でそのごみ焼却所を見やる有素。
建設時は、町を挙げての反対運動が起こった。
父ですら、あれを建てさせないことを公約に当選したというのに、結局お上の都合で建設は強行され、そこにあった海岸線ごと埋め立てられることに。
かつて、あそこには町の住民しか知らない隠れた浜辺があったのだ。
いまは亡き母と、まだ町議という肩書ではなかった頃の父と共に訪れたその景色を有素は脳裏に浮かべる。
その上で視線を向けるのは反対側に広がる田舎の景色。
町を歩くのはその多くが老人だ。
まだ16歳にしかなっていない有素の何倍も生きたおじいちゃんおばあちゃん達。
若者の多くは近隣の都市に出ていて、町には休日しか帰省せず。
一応は町に在住している有素の同級生達も休日となればここから電車でしばらく行った先にあるショッピングモールに入りびたりで、大江町にはほとんどいない。
このままでは大江町は衰退の一途をたどることだろう。
昨今は市町村の合併が進んでいるため、もしかしたら〝大江町〟という名前すらなくなる時が来るかもしれない。
それに、しかし危機感を抱いているのは有素だけだった。
ごみ焼却所の反対運動が失敗してから、かつて町民達が抱いていた熱意はもはや風前の灯火となり、若者達もこんな田舎に見切りをつけてほとんどが都会へ。
唯一ある町のダンジョンも有素以外にほとんど人が訪れず、町議会では民間へと売却することすら検討がなされている始末。
「……頑張らなくちゃ」
覚悟も新たに有素は呟く。
動画配信者USA。
それは、有素がこの大江町を救いたくて始めた事業であるのだから。
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