第8話 反省会
とんでもないハプニングがあったものの、大筋ではめーちゃんの独立が親から承認された形になった。ただ、あくまでも大筋なんだよね。ご両親がどういう条件闘争を展開してくるのか、まだ全く予測できない。丈二さんはずっと黙ったままだし、紗枝さんの『応援』にしても具体的な中身がない。松橋さんが間に入ってくれてるうちに、現実的な問題を一つ一つ解決していく必要がある。
感情が尖って針山状態になっているめーちゃんを実務的な話し合いに入れると、些細な行き違いがまた激しい衝動を引き起こしかねない。案じた松橋さんが親子別々に調整することを提案し、ご両親も了承した。
今回の話し合いはこれで終了。経済支援の件をご両親と松橋さんとで詰めてもらい、私、めーちゃん、父さんの三人は一足早く離脱して近くの喫茶店で反省会をすることにした。
席に着くなり、父さんがとんでもなく深い溜息をつきながら頭を抱える。
「ふうううっ。事実は小説よりも奇なりと言うけど、ここまで筋に凝らなくたっていいだろうに」
「予想外の連続なんて生やさしいもんじゃなかったよね」
「ああ。紗枝さんが成り行きの鍵を握っていたのは予測通りだったが、持っている手札は開くまでわからないからな」
「事実がほんの少ししかなかったもんなあ」
「そう。これだからライブは怖いんだよ」
忌々しげに父さんが吐き捨てた。不測の事態に備えていたはずなのに、大きなアクシデントが起こってしまったこと。たまたま結果オーライになったものの、父さん的には大失敗なんだろうな。
私も松橋さんも、丈二さんの行動や言動によって事態が動くと予測していた。父さんは丈二さんのアクションに紗枝さんが影響することは読んでいたけど、影響範囲を小さく見積もっていたんだ。予測が極端に外れることは、先を見通してケアプランを立てる父さんが絶対に避けたい最悪の事態だったんだろう。
でも、今回ばかりはしょうがないと思う。最初から事実がほとんどわかってなくて、話し合いの当事者も含め誰も全体像を見通せなかった。少ししかない事実を推測で目一杯膨らませたから、予想と事実とがひどく食い違ってしまったんだ。
皮肉なことだけど、一番親身になってくれた店長の推測のずれが一番事態をややこしくしたかもしれない。紗枝さんが丈二さんとめーちゃんから自主的に離れたというところまでは推測通りだったけど、理由が店長の予想とはまるっきり違ってた。
シェアハウスで激突した時、店長が丈二さんに叩きつけた言葉。
『娘は紗枝ちゃんじゃない。別人格だ』
『娘を紗枝ちゃんの代わりにするな』
それは店長の『紗枝さんが章さん似のめーちゃんを見るのが辛くて離れ、同時に丈二さんからも心が離れた』という推測を元にぶつけられた、激しい糾弾だった。店長は、丈二さんがめーちゃんを紗枝さんの身代わりにして過剰な愛情を押し付けたと考えたんだ。
でも、実質紗枝さんとの夫婦生活をずっと維持してきた丈二さんには、めーちゃんを紗枝さん代わりにする必要がない。丈二さんは、店長の糾弾を全く別の意味で受け取ったんだ。『紗枝さんとは別人格』と『代わりにするな』の部分だけ血が上った脳内でぶくぶく膨れ上がり、それまで辛うじて抑え込んでいた章さんへの敵対意識が爆発。店長の一言が、幽霊に過ぎなかった章さんとめーちゃんという実体を完全に融合させてしまった。
紗枝さんを章さんに奪還されるかもしれないという不安が、めーちゃんを監視下に置き続けようとする執着を異常なほど膨れ上がらせた……ということなんだろうな。
当たり前だけど、店長はあくまでもめーちゃんを守ろうとして言葉の刃を振るったんだ。店長の見立てが外れていたのを責めることは誰にもできない。私のシミュレーションだってとんでもなく大外れだったし。まさか丈二さんが私以上の貝になるなんてなー。
「それにしても。丈二さんは最初から最後まで何も言わなかったね。昨日までとは打って変わって完全黙秘」
私がそう漏らすと、コーヒーカップに口をつけた父さんがふっと視線を上げた。
「自分にとってひどく都合の悪い事実を突きつけられた時には、ひたすら黙るしかないこともある。それは一種の自己防衛なんだよ」
「自己防衛、かあ」
「事実は無視することができない。でも直視はどうしてもしたくない。受け入れることも拒絶することもできなかったら、おまえならどうする?」
言われてみれば、確かにそうだ。
「黙るしかないかも」
「だろ? それに、黙ってる時間は無為じゃないんだ。よく思考停止と言うが、何も考えずにただ黙り続けることはできないものさ。逆だよ。黙っている間こそ思考が動く」
「なるほどー」
「黙している間は、自ずと考え、消化せざるを得ない。お父さんの心境もそのうち変わっていくはずだ」
「憤りの行き場がなくて執着が再発しちゃうってことはないの?」
「絶対ないとは言えないが、まあ……ないだろうな」
びっしり書き込みのあるノートを何度もめくりながら、父さんが端的に説明した。
「お父さんと萌絵さんは、互いに強力なストレッサーだったんだ。目の前からいなくなれば心理的な負担は軽くなる。距離が空くことで、徐々に客観視する余裕ができるだろ」
「そうなんだよね。だから私も離れたかったんだ」
父さんがふっと俯いた。
「済まんな……」
「いや、うちはうまく行ってると思う。めーちゃんとこも、時間が解決するんじゃないかなあ」
「そうだな」
ぶち切れた上に自傷とはいえ刃物振り回しちゃっためーちゃんは、激しい自己嫌悪で沈み切っていた。
「迷惑かけて……ごめんなさい」
「まあまあ。一応いい方向にオチがついたみたいだからいいんちゃう?」
「うう……」
「それにしても」
改めて、二の腕のぷよぷよ筋肉を触って溜息をつく。
「はあ。もうちょい鍛えないとなあ」
苦笑した父さんが、フォローとは言えないフォローをした。
「力の足らないところを、熟慮と行動で補ってるってことさ」
「うーん、確かにそうなのかもしれないけど……」
「話し合い前に、おまえが席を入れ替えようと提案しただろ? 結果的に、あれが悲劇を防ぐ決め手になった」
そうか。父さんの最初のプランのまま行ってたら、テーブルの間が離れてたから父さんが気付いても間に合わなかったんだ……。今になってどっと冷や汗が出てくる。
「脳まで筋肉っていうのはスポーツバカを揶揄する言葉だが、脳を筋肉として使う発想は悪くないと思うけどな」
「ははは」
なんだかなあ。もう笑うしかないわ。
「さて」
父さんが伝票を持ってゆっくり席を立った。
「俺の出番はここまで。あとは松橋さんが仕切るだろう。入学式までの間に、しっかり準備運動しとけよ」
「いえっさー!」
「二人とも、お疲れ様」
「今日はありがとうございました」
めーちゃんが慌てて立ち上がり、ぺこっと頭を下げた。軽く手を挙げてそれに応えた父さんは、ゆっくり店を出ていった。後ろ姿をずっと見送っていためーちゃんが、羨ましそうに呟いた。
「いいなあ。すごく穏やかで、冷静で。よく話を聞いてくれて」
距離が離れた今は、私もそう思うよ。でも……。
「私は父のそういうところが大嫌いだったけどね」
「ええー? どして?」
「私の感情を理屈でべったり塗り潰してしまう。思考力に実力差があったら、絶対に勝てっこないじゃん。表現形が違うだけで、中身は丈二さんと大して変わらないんだ」
「そ……か」
すっかり冷めてしまった紅茶をかぽっと口の中に放り込んで、シートに深く座り直した。
「そうしたら、私は感情を隠さないと自衛できない。だから、こんな変てこな性格になっちゃったんだ」
「変な性格? そっかなあ……」
「喜怒哀楽の角が全部丸まってしまうの。感情の出方がのっぺりしてて、穏やかっていうより薄味なんだよね。自分でも嫌で嫌でしょうがない」
「ふうん」
「そこらへんは、めーちゃんの方がずっとストレートだよ。抑圧されてても感情の四隅がすり減ってない。羨ましいよ」
しばらく俯いていためーちゃんが、ふっと顔を上げた。
「自分にないもの。それがなんでも光って見えるのかもね」
「隣の芝生は青いってやつだなー」
「うん」
さて。反省会はこれまでにしよう。正直、反省するより前にしなければならないことが山積している。今はうだうだ考えるより手足を動かすことを優先しなきゃ。スマホで時間を確認してから席を立つ。
「店長に経過報告してから帰ろう。買い出ししないと食料の備蓄が足りない」
「う……そうだった」
「あと、洗濯機がすぐには調達できないから、コインランドリーを探さないと」
「ひいい、やることいっぱいあるー」
テーブルの上にべたっと潰れためーちゃんを見て、思わず笑ってしまう。
「あはは。何言ってんの。やることいっぱいあるから楽しいんじゃん」
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