第5話 セッティングを詰める

 私の懸念を裏付けるように、父さんが問題点を指摘し始めた。


「今回のケース、当事者の萌絵さんだけでなく、サポーターの俺たちにとっても本当に難しいんだよ」

「どうしてですか?」


 こそっと確かめためーちゃんを見て、父さんがさらっと答えた。


「お母さんのところが空欄になっていて、どう作用するかわからない。俺らは、当事者間の対立構造がどうなるかを事前予測できないんだ。もしご両親が結託して萌絵さんを連れ戻そうとすれば、最悪の結末になってしまう」


 あっ! 私とめーちゃん、同時に大声を出してしまった。


「お父さんだけでも手こずっているのに、母親にまで敵に回られたら萌絵さんには対抗手段がない。少なくとも、最後まで萌絵さん側にいる協力者がどうしても一人必要なんだ。そして、その役は俺にも松橋さんにもできない」

「どうして……ですか?」


 めーちゃんが、懇願するように父を凝視する。


「俺と松橋さん、揃って部外者だからさ。専門家として助言することはできても、誰かの『味方』にはなれない」


 父さんにしてはずいぶんと突き放した言い方だ。ちょっとむかっと来た。そんな私の表情変化を見て、父さんが説明を足した。


「まず。松橋さんの立ち位置を考えて欲しい。明日のはあくまでもフランクな話し合いであって、示談交渉じゃないんだ。今の松橋さんは、レフェリーはできても萌絵さんのセコンドにつけないということを理解してほしい」


 松橋さんが肩をすくめて見せる。その通りということなんだろう。


「示談というのは対立する相手との和解交渉だ。親子を一度敵味方に分けないとどちらかの側には立てない。それじゃ話し合いの意味がなくなってしまう。そうだろ?」

「む……う。確かにそうだけど」


 父さんの厳しい指摘が続く。


「それだけじゃない。今の条件だと、俺や松橋さんの立ち位置は中立にならざるを得ないんだ」

「条件、て?」

「よく考えてくれ。俺は萌絵さんに昨日の朝初めて会った。松橋さんに至っては、ついさっき会ったばかり、だろ? そして、俺らは萌絵さんとほとんど会話らしい会話をしていない」

「うん。それが?」

「ルイ。おまえが萌絵さんの立場なら、ほとんど初見に近い人を信用するか?」


 あっちゃあああっ。やらかしたー。父さんの言う通りだ。めーちゃんのガードの甘さを懸念してた私が、無意識にガードを下げちゃってた。まずいなあ……。


「本来なら萌絵さんから十分な聞き取りをし、互いに意思統一した上で時間をかけて話し合いに備える。俺たちの仕事は、入念な下準備と堅固な信頼関係があって初めて成り立つんだよ。その場の乗りでやるもんじゃない」

「確かに……」

「打ち合わせに時間を割けない俺たちは、立場的にオブザーバーしかできないのさ」


 父さんが、しかめ面のままめーちゃんを諭した。


「萌絵さん」

「あ、はい」

「世の中に、いい人ってのはほんの一握りしかいない。残りの人が全部悪人というわけじゃないよ。でも、自分を犠牲にしてまで関わってくれる奇特な人はいないと思った方がいい」


 父さんのと松橋さんの。二枚の名刺がめーちゃんの前に掲げられる。


「俺たちが名刺に刷っている肩書きというのは、あくまでも看板なんだ。必ずしも中身と一致するとは限らない。世の中には悪徳弁護士もいれば、エセカウンセラーもいる。肩書きを鵜呑みにしないで冷静にチェックしないと、まんまと食い物にされるよ」


 唇を噛んで、めーちゃんが俯く。


「お父さんのガードが外れたら、束縛がなくなる代わりに親という防御壁もなくなる。その分自衛の意識を高めないとだめだ。安易に人を信用しないようにね」


 確かにその通りだと思うけど。それじゃあ……。


「父さん、萌絵ちゃんに一人で戦えってこと?」

「無理だって言っただろ。さっき言ったように、一人は必ず味方がいる」

「うー、部外者でなくて、萌絵ちゃんの信用を得てる味方……そんな人、いるかなあ」

「いるだろ。目の前に」

「へ?」


 思わず目が点になった。


「わ、私?」

「そうだ。中里さんに聞いたぞ。シェアハウスで機転を利かせてお父さんを見事に押し返したそうじゃないか」


 うひー、恥ずい。顔から火が出るかと思ったわ。


「実際、おまえにしかこなせないよ。たった数日と言っても、萌絵さんとの連携期間がこのメンツの中でもっとも長い。一番密にコミュニケーションが取れてる」

「それはそうかも」

「シェアしていいと萌絵さんが考えたってことは、萌絵さんがおまえを信用したんだろう。危険を顧みずお父さんを押し返したアクションは、崖っぷちに追い込まれてもおまえだけは絶対裏切らないという確証につながった。そうだろ? 萌絵さん」


 これ以上ない嬉しそうな顔で、めーちゃんがぶんぶん頷く。


「はいっ!」

「心理的な余裕があれば、圧迫に耐えられる。昨日もそうだったはずさ」

「うん。ルイさんがいなかったら。わたしは……」


 めーちゃんが、ぽつりと言った。


「死んでました」

「まあまあ、そこまで思い詰めちゃいけないよ。気持ちはわかるけどね」


 苦笑した父さんの説明はまだ終わらない。


「他にもおまえでなければ務まらない理由がある。さっきも言ったが、話し合いの過程でどのような対立関係が生じるか、全く見当がつかないんだ」

「うん」

「起こりうる状況別に考えてみよう。両親が結託し萌絵さんが孤立するケースの場合、さっき言ったようにおまえが萌絵さん側に立つから一対二はならない。じゃあ、お母さんと萌絵さんが結託し、お父さんが孤立するケースの場合、おまえはどうなる?」


 そうかっ!


「わかったっ! 弁護士の松橋さんだと強すぎるってことか」

「あたり。おまえは萌絵さんと同じ寮の寮生。話し合いが不安だからついてきてくれる? そう頼まれて同席してると言えるだろ。場所が寮じゃないから、おまえは何の力も行使できない。立場的にはいないのと同じなんだ。二対一になっても三対一にはなりえないんだよ」

「うーん、すごい。父さん、策士だー」

「一応、プロだからな」


 ふっと一息ついた父さんが、残りのケースに触れる。


「お母さんが、萌絵さんからもお父さんからも中立の場合。萌絵さんとお父さんとは一対一になるが、おまえのところはゼロにならない。たとえコンマ1くらいの違いでも、お父さんより人数比が有利になるんだ。つまりおまえは、話し合いがどんな展開になっても萌絵さんにプラスに作用するんだよ」


 そのあと私を指差して、さらに言い足した。


「おまえでなければならない理由が、萌絵さんのサポートがこなせること以外にもあるんだ」

「えー? なんだろ」


 自分では全く見当がつかないけど。


「おまえには圧迫感がないんだよ」

「うあえ?」


 なんじゃそりゃ。


「男としてみれば貧相。女なら与し易し。つまり、お父さんをいたずらに刺激しないで済む。でも、おまえの内面はお父さんが考えているよりずっと強靭なんだ。恫喝されようが罵倒されようが、絶対に動じないよ。その内外落差は、お父さんには最後までわからないだろう。お父さんには過度に警戒されず、萌絵さんには大きな防波堤になるということさ」


 なるほどなー。めーちゃんに頼まれて現地まで付き添うってのはあるかなーと思ってたけど、それだと同席まではできないんだ。父さんが同席のメリットを裏付けてくれたから、私はポジショニングも心構えもしやすい。さすが、プロだ。

 父さんが、最後に話をまとめた。


「ということで、ルイ。明日は頼むな」

「おっけー。最後まで付き添うわ」

「話し合いのセッティングは俺と松橋さんとでもうちょい詰める。二人とも明日はシフトから外れてるだろ?」

「うん、一日フリー」

「時は金なり、だ。この機会を上手に使って事態を改善しよう。俺の役割は記録係、松橋さんはアナウンス係及びタイムキーパー。非常時以外は出しゃばらないからな」


 家族同士の話し合いだから、第三者は出過ぎるなということか。私の役柄は、岡田さんが務めてくれたのと同じで支えの『壁』。壁が動いたら台無しだ。しっかり肝に銘じよう。

 一度ぐるっと関係者を見渡した父さんが、その視線をめーちゃんのところでぴたりと止めた。


「ああ、萌絵さん」

「はい」


 父さんが、にやっと笑いながら私を指さす。


「ルイは曲者くせものだからね。十分用心するように」

「へっ?」


 目を白黒させてるめーちゃんを見て、頭を抱える。父さんてば、まあた余計なことを。まあ、いいけどさ。


「あっと。店長、もう閉店時間過ぎてます。閉めますね」

「せやな」


 父さん同様にやにやしていた店長に声をかけて、店の空調と照明を落とす。がらがらとやかましいシャッターの音で、今日一日のどたばたにけりをつける。昨日は緊張してよく眠れなかったけど、今日は大丈夫そうかな。


 点検を済ませて戻って来たら、店長と松橋さんは事務室に行ったみたいだけど、父さんはまだ下に残ってた。


「あれ? まだなんかあるの?」

「ちょうどいい。昨日話があると言っといただろ。それをしとこうと思ってさ。夕飯まだだろ? おごるよ」

「それはいいけど……母さんは?」

「今日は打ち合わせで遅くなるから食事はいいと言ってあるんだ」


 息抜きかな。父さんも疲れてるんだろう。まあ夕飯くらいならいいけど、めーちゃんどうする? まだ全然片がついてないから、一人きりにするのはちょっと……。

 察した父さんが、さっとめーちゃんを誘った。


「ああ、萌絵さんも一緒に来たらいい。二人も三人も同じだ」


 それならいいか。


「行くよ。めーちゃんもいいでしょ?」

「うん」


 まだ父さんとの距離感がうまく掴めないのか、めーちゃんの表情はどうにも微妙だった。ふう……。

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