第4話 思わぬ助っ人

 とんでもない龍虎激突があったあと。せき止められていた水がどっと押し寄せたみたいにお客さんが次々に来て、てんてこまいになった。嫌な出来事があった時は、何も考えず仕事に集中した方が気が紛れる。

 悩みがあってバイトに身が入らないこともあるけど、逆にバイトの忙しさに何もかも背負わせることもできる。身を置く世界が一つじゃないというのはありがたいなあとしみじみ思う。私の場合、長い間世界が一つしかなかったからね。


 午後六時。閉店一時間前になって、ようやく客足が途絶えた。これからの時間帯は、新規のレンタル申し込みはほとんどないはず。返却、問い合わせへの対応だけだな。カウンターの上にばったり上体を投げ出して、脱力する。


「ぐはあああっ。寝不足もまだ残ってるし、しんどいー」

「うん」


 めーちゃんは、まだ元気がない。そうだよね。店長と松橋さんが丈二さんを追い返したものの、とても問題解決したと言える状況じゃないからなあ。


 最後通牒はあくまでも理屈の壁だ。無理が通れば道理が引っ込むじゃないけど、丈二さんがぷっつんしちゃうとなんの抑止力にもならない。見るからにブレーキが壊れている今の状態だと、丈二さんが接近禁止の警告を受け入れるかどうかがすごく微妙なんだ。

 普通は沸騰している双方の感情がある程度落ち着いてから話し合いってことになるんだろうけど、今回に限っては丈二さんがまだうちにセッティングする必要があるはず。話し合いは、ずっとあとにではなくすぐ行われると思う。

 そして……話し合いの行方は丈二さん次第だから落としどころの予測がつかない。いくら松橋さんが同席してくれると言っても、めーちゃんには心理的にきついんちゃうかなあ。


 カウンターの上に顎を乗せ、すっかり濃くなった藍色の宵闇を上目で見やりながら、そんな心配をしていた。


「お、よかった。まだいたな」

「あれ?」


 頭上に聞き慣れた声が降って来て、慌てて顔を上げた。


「ありゃ、父さん。仕事帰り?」

「まあな。昨日おまえが気になることを言ってたから、どうなったかなと思ってさ」


 なんだっけ。ああ、そうだ。めーちゃんのXデーの話をしたんだ。昨日今日のとんでもないごたごたを思い返し、全力で顔をしかめる。


「ダメ。ものっすごくこじれちゃった。うちと違って、かなり時間かかるわ」

「うーん。そうか……」


 そのまま親子して腕組み考え事モードに入る。私たちを見比べていためーちゃんが、こそっと突っ込みを入れた。


「なんか、そっくりだね」

「え? そう?」

「うん。シンクロパントマイムみたい」

「ははは。うまいこと言うね」


 屈託無く笑った父さんが、白髪頭を掻いた。


「俺の型がついちゃったのかな」

「親子ならそんなもんちゃう?」

「うう」


 今度は、めーちゃんがべたりとカウンターに潰れる。


「わたしも、パパみたいに強情なのかなあ」

「どうだろ。全然そんなことないと思うけど」

「そう?」


 苦笑しながら父を指差す。


「似てるっていっても、あくまでも型だけの話。性格とか考え方とかは、真似にすらなってないと思う」

「そうだな。ルイはルイだ」

「うん」


 ほっとする。植田さんは、人格否定だけは今まで一度もしたことがない。暗示によって私の思考を制限しようとしたのも、引っ張ったのはむしろ母だ。私を操縦コントロールしてきたと言っても、私を丸呑みしようとする母と違って植田さんはずっと『外』にいた。幼い頃から今に至るまで、私を母とは別個の独立した存在として尊重してくれた。だから私はぎりぎり壊れずに済んだんだ。

 私が植田さんを父さんと呼べる理由は、その一点だけにあると言ってもいい。


「お? 親父さんが来とったんか」


 店長が、松橋さんと連れ立って下に降りて来た。


「はい。父にもめーちゃん絡みのことをちらっと話してあったので。店長と松橋さんは上で話し合いのセッティングをされてたんですか?」

「せや。松ちゃんが言うには、めーちゃんの手続きのこともあるさかいできるだけ早い方がええそうや」

「やっぱり。そうですよね……」


 とか店長と話をしている間に、父さんが松橋さんにアプローチしたんだろう。さっと名刺を交換してプロ同士の会話に入ってる。やっぱ専門家っていうのは一味違うよなあ。かっこいいよ。


◇ ◇ ◇


 バイトが上がりになるまで、父さんは店舗の真横で店長、松橋さんとずっと突っ込んだやり取りを続けていた。で、閉店直前に、カウンターに並んでいた私とめーちゃんに話し合いのことを切り出した。もちろん、隣には店長と松橋さんがいる。父さんは、当事者とは別の視点で話し合いの問題点をチェックしたんだろう。


「中里さんと松橋さんから詳しい事情を伺ったが、おまえが言ったみたいに厄介な状況になってしまってるな」

「うん」

「松橋さんが、明日ご両親との話し合いの場を設けることにしたそうだ。でも……うーん」


 父さんは、そもそも話し合いが成立しないという見立てなんだろう。私もそう思うんだよね。


「丈二さんがぷっつんしちゃってるから、話し合いにならないんちゃうかなあ」

「ああ。感情を冷ます時間が足りない。実りあるものになるかどうかが極めて微妙なんだ」


 丈二さんがあれだけ意固地になってると、念仏のようにひたすら原則論を繰り返すだけで終わりそうな気がする。対立構造が固まることで、かえって丈二さんの強硬姿勢が強くなっちゃうかもしれない。それが心配なんだよね。

 父さんも同じ心配をしたんだろう。どうやってまともな話し合いに持っていくかのポイントを説明し始めた。


「松橋さんに言ったんだが、本来なら親子三人だけでの話し合いが一番望ましいんだ。部外者がいると本音を吐けないことがあるからね」

「でも……」


 そんなの論外だという私の口出しをさっと制して、父さんが補足する。


「わかってる。今のお父さんと萌絵さんの力関係は、話を聞く限り対等という形にはなりえない。だからどうしても立ち会い人がいるんだが、誰でもいいというわけにはいかない」

「松橋さんが立ち会ってくれるんですよね」


 私が確かめると、父さんが首を振った。


「松橋さんじゃだめなんだ」

「え? どうしてですか?」


 目をまん丸にして、めーちゃんが聞き返す。


「松橋さんが女性だからだよ。話し合いの展開をちゃんと読んでおかないと、不測の事態に対応できなくなる」


 どういうこと? 考え込んだ私を見て、父さんがすぐに補足した。


「萌絵さん、お母さん、松橋さん。三人が女性で男はお父さんだけだ。万一女性三人対お父さん一人の対立構造ができてお父さんの理性が吹っ飛ぶと、話し合いどころか修羅場になりかねない」


 うう、確かにそうだ。昨日今日とすでに暴発の徴候があるからなあ……。


「なので、俺も立ち会うことにするよ」


 おおっと! それは意外。思わぬ助っ人登場だ。

 のけぞった私を見て、父さんが理由を説明する。おちゃらけは一切なし。


「俺は弁護士の松橋さんと違って重石にはなれない。筋論でお父さんにプレッシャーをかけることはできないんだ。その代わり、男だから実力行使に対する心理的抑止力にはなる。それと……」


 路面に置いてあったカバンから父さんが取り出したのは、大学ノート。鶏小屋にいる時、いやと言うほど見続けてきた大学ノートだ。懐かしいなあ……。


「記録係をやるよ。言った言わないの水掛け論が一番不毛だ。記録を残せばそれを防げる。お父さんの衝動を抑える効果もある。松橋さんの事務所から二人出るという形にすれば、不自然にはならんだろ。俺の聞き取りと兼用にできるから、あとで萌絵さんにアドバイスをする際の判断材料も備わる。一石二鳥だ」

「さすがその道のプロねえ。惚れ惚れするわ」


 感心したのか松橋さんがうーんと唸っている。そう、父さんを味方につけるとこれくらい心強いことはないんだ。冷静で、どこまでも理性的だから。

 でも。父さんの表情はものすごく厳しい。あとは俺に任せとけという流れにはならないんだろう。


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