第3話 最後通牒
昨日と違って岡田さんがいない。店長一人で丈二さんを押さえ込めるんだろうか。万一に備えて逃げ場は確保しておこう。
レンタル品を小脇に抱え、ぶつくさ文句を言いながら帰っていくじいちゃんを見送る。その後ろ姿が雑踏に飲み込まれたのを確かめてから、めーちゃんの腕を引っ張ってそろそろと店の外に出た。盾が店長一枚なのは不安だなあと思ったけど、さっき出来た人垣は全部なくなったわけじゃなかった。肩で息をしている丈二さんの前に、店長以外にも人が立っている。
いつの間に呼んだのか、白いヘルメットをかぶったお巡りさんが二人。それにもう一人、ダークブルーのスーツを着てキャメルのクラッチバッグを両手で抱いている温和そうな丸顔のおばさんが店長のすぐ隣にいた。みんな、困ったなーという表情で丈二さんを見つめている。
昨日とは対照的に、店長が穏やかな口調で丈二さんに話しかけた。
「なあ、丈二。昨日あれだけ警告したのに、つらっと無視しよったな。いくら娘でも力尽くはあかん言うたやろ。それぇ、もう犯罪なんや。ことぉ荒立てたくなかったから、警告で済ませたんやで」
続いておばさんが、軽く会釈をしたあとで身分を明かした。
「矢口丈二さんですね。私は弁護士の松橋と申します。お嬢さんから、お父様の過度の束縛にどう対処したらいいかわからないというご相談を承りました」
弁護士さんだったのか! 偶然居合わせるはずなんかない。岡田さんが丈二さんの抑えは店長に任せると言ってたから、店長が呼んだんだろう。
そういや最初レンタルカレシに登録する時、店長が言ってたっけ。トラブルに直接関われない時には人をかますって。その『人』の中には弁護士さんも入っているということか。すごいな……。
一歩前に出た松橋さんは、柔らかい声で、でも怖いことをさらっと言った。
「親が子供に対して行う
泣きそうな顔をしていためーちゃんににこっと笑いかけた松橋さんは、微笑んだまま丈二さんに向き直った。
「もちろん、お父様がこれまでしっかりお嬢さんを育ててこられたことはよく存じております。ご両親とお嬢さん、それぞれにおっしゃりたいことがあるでしょうから、一度きちんと話し合いをされてはいかがでしょうか」
「……」
警官と弁護士さんのいる前じゃ、首に縄をつけてでも家に連れ戻すとは言えないわなあ。警告を無視して同じことを繰り返すなら、次は本当に警察沙汰になっちゃうだろう。店長が松橋さんと警官を連れてきたのは、丈二さんに対する最後通牒だと思う。
松橋さんが、丈二さんの返事を待たずに畳みかける。
「昨日お嬢さんに話し合いを提案されたそうですが、話し合いであればその場でもできたはずです。どうしても家に帰らなければできないお話でしたか?」
「……」
「一対一の話し合いが成り立たないからこそ、思い詰めたお嬢さんが家を離れるという選択をされたんですよ? 原因と結果の順序が逆です」
店長のような激しさは伴っていないけれど、松橋さんは店長以上に容赦無く丈二さんを追い詰めていった。
「当然ですが、これからの話し合いにおいてお父様が一方的に持論を押し付けることは許されません。それではそもそも話し合いになりません」
「……」
「ですので、話し合いの場所は私どもの方でご自宅以外に設定させていただきます。また、話し合いには私も同席いたします。もし話し合いにおいてお父様が脅迫に準ずる行動、言動をされた場合は、和解の意思なしとみなし、即座に話し合いを中止いたしますのでご了承ください」
情に裏打ちされていない、冷たい宣告だなと思う。でも丈二さんがそんな一方的、高圧的な言い方はないだろうと抗議すれば、そっくり自分自身に返ってきてしまうんだ。
昨日店長が岡田さんと組んで突きつけたのと、どやしの中身は全く同じなんだよね。おまえだったらこんな風にがあがあやられて嬉しいか……っていうどやし。松橋さんのは言い回しが違うだけだ。
松橋さんは攻め手を緩めない。丈二さんの反論を許さず、さらに追撃する。
「もう一つ申し添えます。今現在お父様のされていること……本人の同意なくつきまとうという行為は、ストーキングとみなされます。違いますか?」
「く……」
「それが身内であろうがなかろうが関係ありません。つきまとわれた方が強い不安や恐怖を覚えれば、紛れもなく被害なんです。行き過ぎた行為はストーカー規制法に基づく処罰対象になりますので、お気をつけください」
昨日の店長や岡田さんの牽制には熱と奥行きがあった。店長たちが道理と情で丈二さんを説得しようとしたからだ。
でも松橋さんの警告は冷たくて鋭利。二人のお巡りさんの視線もこれでもかと厳しい。三人の視線が、容赦無く丈二さんに突き刺さる。
「お帰りください」
ずっと微笑みを絶やさなかった松橋さんが、真顔になると同時にぴしりと引導を渡した。絶対に反論は許さないという強い意思のもとに突き立てられた、短刀のような命令。
昨日は渋々撤退したのが見え見えだった。でも、今日は違う。立場的に丈二さんが太刀打ちできない人から突きつけられた最後通牒の威力は絶大だった。放心したようによろけながら、丈二さんが遠ざかっていく。
◇ ◇ ◇
「まーあ、困ったもんだわ。頑固親父もいい加減にしないと」
さっきの氷のように冷たい通告が嘘のように、松橋さんの表情が外見通りの人のいいおばさん風に変わった。その変化についていけなくて戸惑っていたら、松橋さんがお巡りさんに向かって深く頭を下げた。
「すみませんねえ。別件に引っ張り込んじゃって」
え? なんじゃとてっ? べ、別件? どういうことだろうと首を傾げた私とめーちゃんを見て、店長がしらっと言った。
「さっき丈二が柳谷のじいさんと揉めたやろ。ギャラリーの誰かが通報したみたいでな」
「あ、それで」
そっか。松橋さんと店長は、喧嘩の仲裁に来たお巡りさんをすかさず利用したんだ。すごいなあ。
お巡りさん的には、直接関与する場面がなかったからまあいいやということらしい。松橋さんが仕切ってくれたから僕らは楽できたなー、みたいなリラックス感だ。二人のうち背の高い方のお巡りさんが、状況をささっと手帳に書きつけながら松橋さんに答えた。
「お嬢さんの方も大したことはなかったみたいですし。なんにせよ、丸く治ってくれればそれが一番なので」
「お世話をかけました」
「いえいえー。じゃあ、私たちはこれで戻ります」
「ありがとうございました」
二人のお巡りさんは警察無線で何やら報告をしてから、ミニバイクに乗ってとっとこ帰って行った。残された私たちは脱力。何もかもいっしょくたに混ぜないでほしいと、運命の神様に文句を言いたくなる。
「かなんわー」
作業服の胸ポケットからタバコの箱を引っ張り出しながら、店長がひとしきりぼやいた。
「丈二にも困ったもんや。あいつに理屈が理解できひんわけないやろ。がっちり変なスイッチ入ってもうてるなあ」
「そうなのよねえ……。まあ、話し合いの中でオチを探るしかないわね」
きょろきょろ辺りを見回した松橋さんは、しょんぼりと肩を落としてべそをかいていためーちゃんに歩み寄り、そっと肩を抱いた。
「大丈夫よ。話し合いってのは決別するためじゃなくて、落としどころを探すためにすることなの。今まで互いに知らなかったことが話し合いの過程で見えてくれば、流れが変わる。なんとかなるから安心しなさい」
「……はい」
腕組みして頷いていた店長が、くわえたタバコをぴこぴこさせながら松橋さんを目一杯持ち上げた。
「さすがぁ松ちゃんや。俺らじゃなかなかこうはいかへん」
苦笑した松橋さんが、おいおいという感じでそれに答える。
「そりゃあ、揉め事さばいてご飯食べてますから。それより、お店の方はいいの? お客さん来てるみたいだけど」
おわっ!? まずいっ!
ダッシュでカウンターに戻る。めーちゃんもまだ目は擦ってるけど、気持ちを切り替えたらしい。いつもの態勢に戻った。
「お待たせして大変申し訳ありません。何をお探しでしょうか?」
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