第2話 龍虎激突
丈二さんに家を急襲されるかもしれないという恐怖とは別の、重苦しい緊張感をずっしり両肩に乗せてバイトを始める。幸いお客さんがすごく多くてめーちゃんと二人で必死にこなす状態になったから、いくらか気が紛れた。そのまま勤務時間明けまでなだれ込んでくれればよかったんだけど、残念ながらトムの懸念はぴたりと当たった。
午後四時半。通りの奥から、小柄な
杖を頼りのよたよたした足取りと恐ろしく好戦的な表情がアンバランスで、どうにも気味が悪い。つり上がった眉。孤立峰のようなへの字口。ビームが発射されそうなぎょろ目。いつものように、相手が誰でも全力でしばき倒してやると敵意剥き出しだ。
「来た……」
「え?」
パソコンで検索作業をしていためーちゃんが、ぎょっとして振り向いた。
「いや、わいじーだよ。めーちゃんはそこから動かないでね」
「う、うん」
ものすごくうんざりする。
レンタルカレシで私の客になった六人のうち、私に興味を無くした肉欲女王のメリーと証拠品の奪還にきた詐欺おばさんとはその後一度も会っていない。私は会いたいと思わないし、向こうもそうだろう。今は無影響だ。
トムやユウちゃんとは交流を深めることができた。先生ともシェアを通して互いに助け合えた。関係をウインウインに持っていけたんだ。
つまりあの時の出会いは、私にとってニュートラルもしくはポジティブなものになった。でも、柳谷さんのところだけがべっこりネガティブなんだ。
私がカミングアウトした時、あの場にいたほとんどの人は私の特殊性を少なくとも『理解』してくれたはずだ。その『理解』すらする気がない柳谷さんとは、そもそも接点の作りようがない。
コミュニケーションを取ろうとする意思のない人は相手にしませんよと、あれだけ厳しく突き放したのに。まあだ私の周りをうろうろしてる。うっとうしい。
柳谷さんの標的は必ずしも私一人じゃない。このレンタルショップでバイトしてるスタッフは全員、一度は柳谷さんの爆撃を受けてる。ただ、押されても安易にへこまないタイプのスタッフがどうしても集中砲火を浴びるんだ。私とか私とか私とか。はあ、困ったもんだ。徹底してやり過ごすしかないんだけどね。
世界に必要なのは俺様だけだという尊大な態度をむき出しにして、じいちゃんがカウンターの前でこれでもかと踏ん反り返る。
「いらっしゃいませー」
「語尾を伸ばすなうっとうしい!」
ほら始まった。
「何をお探しですか?」
「余計なことを言うな! 借りたいものがあるから来ている!」
ほんとは違うよねー、バイトをなぶり倒すためだよねー……とは言えないのが辛いところ。スルーして手続きを進めるしかない。
申し込み用紙とレンタル契約の説明書をセットにしてじいちゃんの前に置き、リクエストを聞く。
「ご所望のものをおっしゃってください。在庫のないものはお取り扱いできませんので」
「ここにあるのがわかってるから来ているんだ! ごちゃごちゃうるさい!」
「申し訳ありません。お客様への説明は必ずしなければならない規則なので」
「融通の効かないやつだ!」
これだよ。説明を省くと「客をバカにしている、騙すつもりだな」と騒ぎ出す。パターンが決まってるから対処できるけどね。
リクエストが出てこないと次のアクションを起こせないから、一度だけ催促する。
「申し訳ありません。何をレンタルされたいのか教えていただけませんか?」
ここでさらにゴネ続ければ立派な営業妨害。私が店長を呼びに行くことになるから、お楽しみが強制終了になってしまう。まだ口撃を続けたいじいちゃんが、渋々リクエストを口にした。
「ちっ! 蝿帳だっ!」
「はいちょう?」
なんだそれ? 聞いたことのない言葉に戸惑う。しまった、平常心を保てなかった。私がわずかにきょどったのを見逃してくれなかったじいちゃんが、
「けっ! 蝿帳も知らんのか! 間抜けが!」
ま、まいった。
「申し訳ありません。在庫を調べてまいりますので、少々お待ちください」
「ほう? 知らんものを探せるのか」
くそう……本当に嫌味なじじいだ。
だからと言って不快感を顔に出しちゃうと、この店は店員の教育がなっとらんと喚き出す。忍の一字。だけど、じいちゃんのリクエストがどういうものか全く見当がつかない。本当に困った。
すんなり反応できなかった私の背中に、めーちゃんの声がぽんと当たった。
「蝿帳、あります。Eの1023、です」
お、すげえ! めーちゃん、ナイスアシスト! これで一気に形勢逆転だ。
「在庫があるようなので、今お持ちしますね。申し込み用紙への記入をお願いいたします」
ぎりぎり歯噛みしているじいちゃんに営業スマイルを一つくれてやって、ヤードに向かう。めーちゃんの背中越しにディスプレイを確認した。
「蝿に帳簿の帳で蝿帳か……初めて知ったわ」
レンタル品に番号がついていなければ、探し出すのは絶対に不可能だ。どんなものだか全く見当がつかないもの。
ものが何かわかっている場合はすぐに格納場所を見つけ出せるんだけど、まだ登録番号しかわからないからいつもより探す時間がかかることを覚悟しないとならなかった。
「Eというと一番奥だな。利用率の低いレンタル品が置いてあるところか」
そういえば。店長はバイトをあっさり見切るけど、回転の悪いレンタル品をリストから落とすことには慎重なんだよね。いつか理由を聞いてみたいな。
棚の上に素早く目を走らせて、番号を確認していく。Eの棚にはあまり大物がないから、思ったほど時間はかからなそうだ。
「おっ! これだな。Eの1023。間違いない」
それは畳まれた捕虫網のような形をしていて、何にどう使うのか全くイメージできない。答え合わせはあとですることにして、すぐ持って行こう。
ビニールカバーのかかったレンタル品を引っ張り出して振り返った途端、店頭が急に騒々しくなった。
めーちゃんの「きゃあっ!」という大きな悲鳴。
じいちゃんの「なんだおまえはっ!」という喚き声。
そして……カウンターを乗り越えようと身を乗り出していたのは丈二さんだった。
「帰るんだっ! わがままもいい加減にしろっ!」
しまった。家にアクセスできなくなったからこっちに出撃して来たんだな。こっちだと寮だからという防御壁が使えない。どうしよう。
店長に援軍要請するには一度カウンターの外に出ないとならないけど、今の状況では私もめーちゃんも動けない。店長が騒動を聞きつけて下に降りてくれればいいんだけど。
ヤードの奥から駆け戻り、めーちゃんを背後に隠して応戦態勢を取る。店内に入られたら非常ベルを鳴らすしかないな……。
と、目の前の丈二さんの姿がぱっと消えて、どすんと何かが倒れるような音。続けて、じいちゃんのでかい怒鳴り声が響き渡った。
「俺が先に手続きしているんだ! 順番を守らんかっ! そもそもおまえは客か? 仕事の邪魔をするろくでなしはとっとと帰れ!」
そうか。背後から丈二さんを引きずり下ろしたんだな。じいちゃんの融通の効かない筋論が、こんなに頼もしく聞こえたことはなかった。
かっとなった丈二さんは、立ち上がるなりじいちゃんに殴りかかろうとして拳を振り上げ……てそのまま固まった。そう、ここは寂しい住宅街じゃない。街中だからずっと人通りが多いんだよ。小柄なじいちゃんを殴ろうとしている男がいれば、周りの目が一斉に白くなる。あっと言う間に二人の周囲が十重二十重の人垣で埋まった。
丈二さんがうろたえたのを見て、じいちゃんがここぞとばかり挑発する。
「けっ! 阿呆はすぐに暴力でなんとかしようとする。人間のクズそのものだな」
丈二さんもじいちゃんも揃って筋と理屈が通らない超俺様。まさに龍虎激突なんだけど、戦況はギャラリーを味方につけているじいちゃんの方が圧倒的に優勢だ。
敵同士が睨み合っている今が絶好のチャンス。めーちゃんの手を引き、人垣の後ろに隠れるようにして店舗から出ようとしたら、店長のてれっとした声が聞こえて足が止まった。
「はいはいはい。そこまでなー。商売の邪魔になるさかい、店の前でもめんといてんかー」
かっぱ頭のすっとぼけ店長が登場して、場の緊迫感が一気に緩んだ。野次馬ギャラリーの輪がゆるゆる
「柳谷はん。まだ手続き終わってへんねやろ?」
「ああ」
「ルイがレンタル品持って来たから、そのまま手続き済ませといて」
「ちっ!」
店長はいつものようにじいちゃんをあやすと、私とめーちゃんに目配せをした。あとは俺に任せろということだな。ほっとする。丈二さんの暴力に対抗するより、口撃専門のじいちゃん相手にする方が百万倍ましだ。
カウンターに戻って書類を確認し、レンタル品を渡して料金を受け取る。いつもならその間中嫌味爆裂になるんだけど、じいちゃんは無言で店長と丈二さんの方をずっと睨み続けている。私たちにはノーリアクションだ。丈二さんという大きな獲物をみすみす取り逃がすことになるのが本当に悔しいんだろう。
どうやら、予期せぬ龍虎激突は双方痛み分けという形で終わりそうだ。
主役の私とめーちゃんを置き去りにしたままで。
なんだかなあ。
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