第5話 ダブルライフ

 紗枝さんの衝撃の告白を、脳裏で必死に整理する。店長が言ってたみたいに、家族のことはその家族にしかわからない。そのわからない部分を第三者が伝聞情報をもとに補完すると、事実と全く違う虚像が出来てしまうことがあるんだ。その虚像が一人歩きする恐ろしさを、今まざまざと思い知らされる。


 二十年鶏小屋に閉じ込められていたという私の事情は、なかなか第三者にわかってもらえない。ただ、私が無性であるということは裸体を見れば誰にでもわかる事実だ。その事実が異常事態の背景になっていることは理解してもらえる。あの決戦の時もそうだった。

 でも……。めーちゃんちの場合はその事実の部分に『幽霊』が挟まってしまった。章さんという幽霊が。しかもその幽霊、見える人と見えない人がいる。めーちゃんには。丈二さんには。紗枝さんには

 幽霊のせいで、家族のつながりが切れていたんだ。そんな風に切ったのは丈二さん。そしてなぜ切ったのか、理由をめーちゃんだけが知らされていなかった。


 店長が予想した通りで、亡くなった章さんに似てきためーちゃんが歪みの引き金になったのは事実だった。でも、紗枝さんが辛くなって逃げたんじゃない。丈二さんが、もういない三枝章という幽霊に激しく嫉妬したんだ。そして、敵対者としての章さんのイメージをめーちゃんに一方的に被せてしまった。

 店長は、紗枝さんが亡き夫に似てくる娘を見るのが辛いから離れたと類推していたけど、大外れ。紗枝さんが普通に母親として娘に接する姿を、丈二さんが一方的に邪推したんだ。俺より章が好きなんだろうと。

 でも、紗枝さんにベタ惚れしている丈二さんは、紗枝さんには直接嫉妬や怨嗟をぶつけられない。その反動がめーちゃんに向かった。幼い頃はべた可愛がりだったのに、急に躾と称してきつく当たり始めた。案じた紗枝さんがめーちゃんから離れると、元の優しいパパに戻る。紗枝さんは、自分の意に反してめーちゃんを遠ざけるしかなくなったんだ。


 めーちゃんから離れる、イコール丈二さんからも離れることになる。でも紗枝さん超絶ラブの丈二さんが紗枝さん不在を受け入れるはずがない。めーちゃんが幼稚園や学校に通うようになってからは、めーちゃん不在の間だけ紗枝さんを家に呼び戻した。家事のほとんどは、紗枝さんが家にいる間にこなしていたんだ。

 車での送迎はめーちゃんを囲い込むためではなく、紗枝さんとめーちゃんをきっちり切り離すため。学校以外の外出を一切認めなかったのも、丈二さんが外での母子接触を極度に警戒したから。

 それでも家で偶発的に起こってしまう「ばったり」の影響を小さくしようとして、丈二さんは紗枝さんに素っ気ない態度を取らせ、めーちゃんに「母親は尻軽で、オトコの間をふらついている」とさりげなく吹き込んできた。

 実態と違う悪い風評を紗枝さんに押し付ける。それってものすごく酷な仕打ちなんだけど、めーちゃん以外には影響しない。だって、めーちゃんがいない時には誰が見ても仲のいい夫婦なのだから。


 奇妙な二重生活ダブルライフが可能だったのは、丈二さんがクラブの経営者で家にいる時間を自由に調整できたからだ。どうしても調整しきれず外に出なければならない時には、外鍵をかけてめーちゃんを家に閉じ込めていたんだろう。


 夫婦水入らずと父子家庭を切り替えながら、家庭はめーちゃんと紗枝さんを切り離す形でなんとか維持されてきた。その間は丈二さんも満たされていて、演じることなく良き父、良き夫でいられた。

 でも、めーちゃんが中学に入ってから切り替えがうまく行かなくなってきた。めーちゃんは、行き帰りの送迎で友達と過ごす時間が確保できない、帰宅後の外出を許してもらえない、監視がすっごく息苦しいと不満を漏らすようになった。

 幼い頃なら「危ないから」で済んだ丈二さんの説明理由がめーちゃんに通じなくなり、自我を剥き出しにするようになっためーちゃんに対して丈二さんがまめで心配性な娘思いの父親という外面そとづらを保てなくなったんだ。


 そこで、丈二さんのめーちゃんに対する意識が『愛娘まなむすめ』から『章の落とし子』に切り替わってしまった。態度が高圧的になり、めーちゃんの不満を理屈と威圧でねじ伏せるようになった。

 丈二さんの敵視が直接めーちゃんに降り掛からなかったのは、紗枝さんが牽制したことと不満たらたらながらもめーちゃんが父親の制御に従ってきたからだろう。


 でも。誰がどう考えたって、極端に不自然な二重生活が長く続けられるはずはないよね。辛うじて保たれていた家族のバランスは、いつどんな風に崩れてもおかしくなかったんだ。

 そしてとうとう、めーちゃんの家出決行によって歪んだ家族の形が一気に崩壊した。不可逆的かつ修復不能なレベルで。


◇ ◇ ◇


 思わず頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまう。奇妙な家族関係が理解不能だったからじゃない。めーちゃんちのケースが、あまりに自分のケースと似通っていたからだ。それも、私にとってはとんでもなく予想外だった、

 両親の役回りが逆になっているだけ。片方の親が自分の思惑で子供を束縛し、もう一方が不在を装うことで安定を保つ……全く同じじゃないか。だけど、私たちは親の玩具おもちゃでも精神安定剤でもない。一人の人間なんだ。理不尽な束縛から逃れたくて脱出衝動が爆発するのなんか、当たり前だと思う。


「なんだかなあ……」


 思わず口から漏れてしまった。それは泣きながら告白を続けている紗枝さんを責めるつもりで言ったんじゃない。なぜこんなむごいことをするんだっていう、いるのかどうだかわからない神様にぶつけた文句だったんだけど。

 それまでずっと俯いていた丈二さんの顔が少しだけ上がって、私に強烈な敵意の視線が突き刺さった。紗枝さんがいなければ、躊躇なく私に襲いかかってきたかもしれない。でも、衝動を暴発させた途端に何もかも失う丈二さんは、ぎりぎり堪えていたんだろう。


 丈二さんが黙っているのは当前かもしれない。もし口を開けば、出てくるセリフは「おまえさえいなければ」だろうから。

 めーちゃんは自分の実の娘ではない。紗枝さんとの蜜月を邪魔する厄介者だ。紗枝さんと過ごす時間に必要だからだけで、娘として愛してきたわけではない。むしろ、妻が熱愛していた昔の男を彷彿とさせる悪魔のような存在。

 いつかぶっ壊してやる……それが本音だったんじゃないだろうか。


 めーちゃんは、丈二さんの怨嗟の堰が切れてぶっ壊される寸前に辛くも家を脱出できた。丈二さんは、厄介者がいなくなってせいせいする? そうはならないよ。めーちゃんがいなくなることで、紗枝さんを家につなぎ止める理由が消えてしまうから。

 紗枝さんが家で務めていた役割は、『見えない母親』なんだ。めーちゃんが去って母親としての役割が終われば、紗枝さんが自分を見捨てて家に帰ってこなくなるかもしれない。恐怖に駆られて、丈二さんの思考が縮んでしまったんだろう。とりあえず元に戻そう、それしかないと。

 めーちゃんが家を飛び出した時点で、運命の歯車は回ってしまった。元に戻すことなんか二度とできないのに、復元衝動が抑えられない。なりふり構わずめーちゃんを探し出し、連れ戻そうとした。


 連れ戻されたあと、めーちゃんはどうなる? 閉じ込められるならまだましさ。元のめーちゃんに戻らなければ、娘ではなく章さんの化身に過ぎなくなる。下手すると殺されていたかもしれない。ぞっと……する。


 経緯を話し終えた紗枝さんは、そのままテーブルの上に突っ伏して泣き続けている。紗枝さんの立場は、父と……植田さんと同じだ。丈二さんとめーちゃんの間に挟まって身動きできなくなってしまったんだ。

 歪んだ親子関係にしてしまった元凶は誰? もちろん丈二さんだよ。でも、丈二さんは紗枝さんへの献身だけは絶対に変えない。紗枝さんは丈二さんを責めることがどうしてもできなかったんだろう。そうしたら、紗枝さんは自分を悪者にするしかない。辛かっただろうなあ。


 店長や岡田さんの予測通り、確かに鍵になるのは紗枝さんだったけれど。あまりに予想外の事実を突きつけられて、私たちサポーターの思考が止まってしまった。


 どうしよう……と。


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