第7話 仮免
いつになく真剣な表情で、店長が話を切り出した。
「先に言っとくわ。これからすんのはごっつきつい話や。堪忍な」
「はい」
「まず説教や。めーちゃんにだけやない。ルイにもや」
「私にも、ですか?」
「せや。そもそもの話やからな」
店長の説教は、遊びがなくてきつい。覚悟しよう。
「高校生までは親の丸抱え。そっから社会人になるまでの間ぁ、いろんな形で実社会の水に体ぁ慣らしていかなあかん。ハタチ前後ちゅうんは仮免期間やな。俺や岡田かてそうやった。せやろ?」
「ああ」
厳しい表情で岡田さんが頷く。
「バイトは山のようにある。稼ぐのなんか簡単やん。そんな勘違いしとる若いのんが多くてな。仮免中一番大事なんは、給料取りの真似ぇすることやない。社会のナマを自分の肌で知ることなんや」
「社会のナマ……ですか」
ぴんと来ないのか、めーちゃんがひょいと首を傾げた。
「そう。教科書にはきれいごとしか書いてへんで。せやろ、ルイ」
「レンタルカレシの時に、しっかり勉強させてもらいました」
「はっはっは! ごっつハードな授業やったからなあ。せやけど、ルイが経験したんは社会のナマ。紛れもない現実や」
そうか。世間知らずだから危なくて独立させられない。丈二さんは必ずその弱点を突いてくるってことだ。そして、弱点に攻め込んで来るのは丈二さんだけじゃないんだよね。柳谷さんも詐欺おばさんもそうだった。めーちゃんだけじゃなく、私も今のうちにしっかり備えておかないとならないんだ。
「社会は甘ないで。財産、家柄、学歴、職歴、特技、才能、人望、美貌。あればあるほど得やし、なければ損や。持ってへんやつから金ぇふんだくって、持ってるやつをどんどん太らす。それが世の中や」
一呼吸置いて。店長が私を引き合いに出した。
「ルイには人扱いの高い才能がある。せやけど、まだ完全自活は無理や。もう成人しとってもな」
「どうしてですか?」
「持ってるもんより持ってへんもんの方がずっと多いからや。それやと、まともな職がなかなか見つからへん」
「学歴、職歴が両方とも足りないから……ですよね」
「せや。ルイやめーちゃんくらいの年格好で、働きながらガッコ行ってるやつはおるで。そういう子らはもう十分職歴と経験値を備えてる。ルイはまだまだ手持ちのタマが足りひん」
岡田さんが低い声で店長の話を引き継いだ。
「経験不問で雇ってくれる職場はあるよ。でも、そういうところはきっちり人の足元を見る。仕事がきつくて給料が安いんだ。学業との並立が難しくなるどころじゃない。食っていくだけで精一杯になる」
店長と岡田さんが、揃ってめーちゃんをじっと見つめる。めーちゃんは、顔を上げられなくなった。
「小賀野さんと同じで、矢口さんもまだ仮免取ったばかりなんだよ。持っているものよりも持っていないものの方がずっと多い。自立のとば口に立ったばかりだということをしっかり自覚してくれ」
「でも……」
めーちゃんが不満そうに呟いたのを見て、岡田さんがなだめる。
「もちろんわかってる。丈二の軍門に降れば一生奴隷だ。でも丈二を蹴り倒せば人生の選択肢が極端に狭くなる。スポンサーとしての丈二を頼っても頼らなくても、矢口さんの出口がなくなってしまうってことはね」
「そこでや」
とんとテーブルを拳で叩いた店長が、そこから指を一本立てて私に向けた。
「なあ、ルイ。変やと思わへんか」
「なにがですか?」
「めーちゃんは片親やないで」
「あっ!」
そ……うか。うっかりしてた。
「俺はめーちゃん家のプライベートをよう知らん。岡田にしてもそうや。ルイもわからんやろ」
「もちろんです」
「丈二とめーちゃんの関係が現状どうかだけ。他は何もわからんのや。特に」
私に向けられていた指が、めーちゃんに向け直される。
「あんたのおかん、紗枝ちゃんとあんたとの関係がな」
店長が、ふっと短く息をついた。
「さっき岡田が言うたように、丈二を頼ってん突き放してん結果はネガにしかならんやろ」
「じゃあ、お母さんの方は、ということですか」
「せや。ただな。紗枝ちゃんの態度も最悪なんや。娘とダンナぁ放っぽらかしてずっとふらふらしとんのは、丈二以上に無責任で薄情やからな」
「あてになりませんよね」
「普通は、な」
店長と岡田さんが揃って背筋を伸ばした。つられて私もめーちゃんも居住まいを正す。
「これから俺らが話すことは、おそらくめーちゃんが知らん話やと思う。少なくとも丈二が自分から口にすることは絶対ないやろ。あいつは紗枝ちゃんにベタ惚れしとるからな」
ええっ? ちょ、ちょっと。もしかして岡田さんも店長も、最初からめーちゃんの両親をよく知ってたってこと? ……そうか。岡田さんも店長も、矢口っていう名前を知った時のリアクションがなんか微妙だったんだ。そういうことだったのか。
「ご両親の過去の話、ですか?」
確かめてみる。
「せや。俺らは紗枝ちゃんの若い頃を知っとる。めーちゃん……あんたが生まれた経緯もな。まさかルイがめーちゃん引っ張ってくるとは思わんかった。ほんまにびっくりしたわ。まあ、これも縁ちゅうことなんやろ」
苦笑いした店長が、その笑いを消して窓の向こうに険しい視線を送る。隙を見て入ってこようとする丈二さんを威圧するかのように。
「丈二はダメや。時間かけて説得する目ぇはあってん、今のままやと先にめーちゃんが干されてまう。どうしてもあんたのおかんに
めーちゃんは、店長の推測を素直に認めた。
「はい。正直に言っていいですか」
「ああ」
「ママは大嫌いです。パパの方がずっとましです」
「せやろな。ただ、めーちゃんにはまだ紗枝ちゃんの背景が見えてへん。めーちゃんがまだ生まれる前のことやからな」
顔を見合わせた店長と岡田さんが、揃ってめーちゃんに視線を戻した。
「めーちゃんが知らん二人の過去を知っといてほしい。俺らかて、あいつらの全てを知っとるわけやないで。せやけど俺らの記憶には色がないんや。黒くも白くもない。透明や。それぇ頭に入れて、紗枝ちゃんと丈二のことをもっぺん考えてみてくれ。ほしたら、めーちゃんの使える切り札が一枚増えるはずや」
店長が私に確かめる。
「事実を切り札にする。ルイも決戦の時そうしたやろ?」
「はい。相手が理詰めで来る植田さんでしたからね。私の一方的な思い込みや推測は武器にならない。理屈を理屈でねじ伏せるためには、どうしても事実が必要だったんです」
「はっはっは。せやったな。なあ、めーちゃん」
「はい」
「ルイは宣言の時に、カウンセラーのおっちゃんとおかんが実は夫婦やったとギャラリーの前で暴露したんや。おかんは、その事実をルイに伏せてた。シンママちゅう同情買いやすいポジションをずっとキープしてたんや。ルイは住民票の世帯主がカウンセラーのおっちゃんになってることを確認して、事実をばしっと突きつけた。親を陥落させる切り札として、な」
「すごい……」
「せやろ。事実は嘘をつかん。使いようによって強力な切り札になる。もちろん、事実はひっくり返せんから痛みを伴うこともあるで。それは覚悟してほしい」
そうなんだよね。できればあの札は切りたくなかった。紙切れが封筒の中に畳まれたままシュレッダーで粉々になるのが一番望ましかったんだ。でも植田さんの理詰めを押し返すには、植田さんの感情を事実の
めーちゃんにその覚悟があるだろうか。覚悟をできるだろうか。切り札として使う前に、自分が事実に潰されてしまうというリスクもあるんだけどな……。
じっと目を伏せていためーちゃんが、観念したように頷いた。
「はい」
「ほなら、俺らの昔話を聞いてんか。長なるで」
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