第6話 優先順位

「おおおっ! なんやねん、これえ!」


 リビングに入った店長が、外見とアンバランスのきれいな内装を見て大仰に驚いている。


「岡田ぁ、めっちゃきれいやないか!」

「まあね。中だけでもきれいにしないと、いつまでも『事故』のままだからな」

「せやけど、なんぼ狭いいうたかてエアコンなしかい」

「あ……」


 岡田さんが、しまったという顔をした。てんちょー、ナイスアシスト! ありがたくてありがたくて涙ちょちょぎれますー。


「済まん。急いで手配する。今ならオフシーズンだからすぐ付くよ」

「私たちで揃えなくていいですか?」

「あとのこともあるからこっちで整える」


 椅子にどかっと腰を下ろした岡田さんが、難しい顔になった。


「住人が長居してくれないところにエアコンを入れると、設備投資が無駄になる。機械がどんどん古くなってしまうからね。少なくとも年単位で住んでくれる見通しが立たないとエアコンを入れられなかったんだ」

「ああ、そういうことやったんか」

「二人とも、他に足らないものは何かあったかい?」


 ちょうどいいや。めーちゃんと二人で昨日チェックしたリストをテーブルの上に広げて、もう一度おさらいする。


「リビングのカーテンは私たちで調達します。ホムセンの安いやつがあると思うので。あとの二室は前のところで使ってたのがそのまま行けそうです」

「照明は?」

「客間と仏間、どっちにもソケットがあるので、リサイクルショップで中古を見てこようと思ったんですけど」

「特に好き嫌いがないのなら、他の物件から出たセコがただで出せるよ」

「あ、助かりますー。私はそれでいいです。めーちゃんは?」

「わたしもいいですー」

「じゃあ、用意しとこう。電化製品はどうだ?」


 リストを指でなぞる。


「ええと。できるだけ早く揃えたいのは電子レンジかな。冷食やお惣菜をあっためたいので」

「安物でいいなら在庫があるよ。持ってくる」

「やりぃ!」

「洗濯機はどうする?」

「欲しいんですけど、置き場所がきついですよね」

「ユニットにパンがある。スリムな縦型なら入るよ。そっちはリサイクルショップでチェックして」

「おっけーです。干し場はないですよね」

「外には干せない。場所がないし、防犯上も好ましくないからな。下着は各自の部屋で。大物はリビングでいけるだろ。エアコンをドライで回しておけば意外に早く乾くよ」

「わかりましたー」


 浴室乾燥を使うとかコインランドリーの乾燥機を使うという手もある。なんとかなりそうだな。

 掃除機も、岡田さんが事務所で使っていたのをあげると言ってくれた。これで初期投資がうんと少なくて済む。ほっとする。


「あとは家具だな」

「キッチンに普段使いの食器を入れておくカラーボックスかカップボードが欲しいなと思ってます」

「確かにな。カラーボックスはセコでよければ山のようにある」

「そうなんですか!」

「あれを喜んで使うのは学生だけだよ。ほとんどの場合、就職を機にもうちょいましなやつに買い換えるからね。捨てるっていうやつが多いからもらってる。畳めばそんないかさばらない」


 店長もどけちだけど岡田さんも負けてないなあと思ったその時、これまで疑問だった諸々のことがすぱっと一本線につながった。

 そうか。家の外見の印象がちぐはぐになるのなんか当たり前だ。バストイレユニットと同じように、ドアもサッシも瓦も全部再利用品や流用品なんだろう。見た目より実を取る……オフィスで言ったことを例外なく適用してるんだ。物件そのものが再生品だもんな。徹底した実利指向にうならされてしまう。


 岡田さんは視野も広かった。私とめーちゃんとで作った足りないものリスト。優先順位の高い順にずらっと並べてあるのを何度か目で追っていて、それでいいのかという苦笑を浮かべた。


「なあ、二人とも。どこでどうやって勉強するんだ? あんた方の部屋には何もないよな」

「あっ!」


 ちーん。全然考えてなかったー。


「そっかあ。先生とシェアしてた時はダイニングテーブルを使ってたけど、元々共用だもんなあ」

「実家の机は持ち出せないし、大きすぎるし……」

「試験やレポート提出の期間がズレてると、共用部分を使うことがストレスになってくる。小さな机か座卓くらいはあった方がいいぞ」


 慌ててリストに書き加えた。


「あと、好みがあるからなんとも言えないが、リビングにテレビを置くかどうかだな」


 うーん……私はほとんどパソコンで情報を集めてたからテレビを見るという習慣がない。先生もテレビは嫌いだったから部屋にテレビがなかったんだ。めーちゃんはどうだろ? ちらっとアイコンタクトしたら、小さく首を横に振った。


「わたしは見ないんだけど……」

「よかった。じゃあ、私も不要。なし、で。その代わり……」

「ああ、ネット回線だろ? 光の安いプランがあるから紹介するよ。ワイファイでもいいけど、このあたりは電波がいまいちなんだ」

「光で引いて、室内はワイファイで飛ばせばいいですよね」

「そうだな」

「うーん、今風やなあ」


 店長の想定が、私たちの要不要の基準とだいぶ違うんだろう。やたらに感心している。


「ははは。若い人とこういう話をすると、時代の変化を痛感するよ」

「せやなあ」


 店長が、私の肩をぽんと叩いた。


「足らんところは順調に埋まっとるいうことやな」

「あはは。物は、ね。人はこれからです」

「!」


 めーちゃんが、何かに気づいたという感じで目を見開いた。そう、レンタルショップで店長が言ってたでしょ? 私が貪欲なのは『足りない』からだって。足りないものはいっぱいあるの。でも一番足らないのは人なんだ。

 家に閉じ込められていた私には、友達がいないだけじゃなく、常識とか生きる知恵を授けてくれる先輩や先生もいなかった。これからコミュニケーションスキルを上げてたくさん人脈を作っていかないと、いつまでたっても社会になじめないまま。自分の首を自分で絞めてしまう。


 私ほど極端ではないにしても、めーちゃんも似たり寄ったりだろう。独立宣言の時に言ってたよね。囲い込みがきつ過ぎて、孤立してたって。そう、柵を出るのはそんなに大したことじゃない。それより、出てからの方がずっと大変なんだ。


 足りない『物』はそんなに多くない。なければないでなんとかなるから。でも新生活開始と同時に外に触手を伸ばしていかないと、ハンデのある私たちは必ず出遅れる。それだけは回避したい。

 私はまだいいんだ。店長のところでだいぶ訓練できたからさ。ハンデは、なにかと目立ってしまう美少女めーちゃんの方がずっと大きいと思う。


「んー……」


 それにしても。電化製品、家具、雑貨、ネット系……だいたい優先順位ごとにチェックできたと思うんだけど、何か忘れてるような。それも、ものすごく肝心なことを……。


「あ、しまったあ」

「どした? ルイ」

「すごく大事なことを忘れてました」

「住民登録とかそっち系やろ?」

「はい」


 そうなんだ。役所、郵便局、銀行……肝心な手続き関係が全部これからだ。忘れないようにこなしていかないと。


「ルイは、もう経験済みやけど、めーちゃんは初めてやな」

「う……はい」

「普通はそこんとこ、親がやるんや。少し前まで高校生やった子供が、そんなんスムーズにできるわけないからな。せやけど、丈二を頼りたないんやろ」

「……はい。自分でやりたいです」

「わかるで。でも住民票以外にもいろいろと手続きが必要なんや。健保やらなんやら、親の扶養に入っていれば親任せで済むとこを、ほんまに自立するならなんでも自分でこなさなあかん。手続きだけなら最初が面倒なだけ。でもぜえんぶ銭絡みや。しんどいで」


 店長が、めーちゃんから私に視線を移した。


「ルイもやな」

「もちろんです」


 どうしようもなくでかい溜息を転がす。


「ふうううっ。先生と同居していた時、私は住民票を移していません。実家のまま。あの家に住んでいたのは行政的には先生一人。私は単なる居候だったんです」

「え? ど、どして?」

「アパートだと住民登録が部屋ごとに別々なの。でもシェアハウスの場合は微妙なんだよね。学生同士、もしくは稼ぎのある人同士の場合はそれぞれを世帯主として登録するんだけど、私は浪人生だったから学生でも社会人でもないでしょ?」

「せやな。立場も稼ぎも中途半端や」

「予備校にもバイト先にも実家から通った方が近い子となぜシェアするの? 周りからそう思われると、私じゃなく先生が説明できないんですよ。親族じゃないから」


 先生は私をこっそり置いておくことしかできない。一緒に住んでいたけど、対外的に私はその家にいないはずの幽霊だったんだ。


「そういうめんどくさいことが、これからいっぱい関わってきちゃう。店長が言ったみたいに、お金に絡むことも多いんだよね」

「調べたんか?」

「調べました。本当はあの時、もっと時間をかけて離陸するつもりだったんです。でも、母の精神状態が想定以上に悪くて」

「丈二と同じで、ルイを全力で取り込みにかかったちゅうことやな」

「そうです。究極の二択で、脱出を優先させました。その分、自立に必要な時間をしっかり確保できなかった。先生にすごく迷惑をかけてしまいました」

「そうか……」

「似てるでしょ?」

「うん」


 ふうっ。


「それでも手続きってのは紙切れ上のこと。なんとかなります。どうにもならないのはお金なんだ」

「ルイはどうやって調整した?」

「母はダメですよ。お金を持っていないのに束縛だけはしようとするから」

「そうか。親父さんと調整したゆうことやな」

「はい。母の夫ではなく、私の父ときちんと位置付けし直した上で、持っている手札を全部見せてどこまで自力でできるかを正直に申告しました。どこまでやりたいか、ではなく。どこまでならできるか、ですね。自分を必要以上に膨らませても自滅するだけなので」

「賢明や」


 うんうんと頷いた店長が、岡田さんに自慢する。


「な? すごいやろ?」

「だな。D大にはもったいない」


 にこりともせず答えた岡田さんは、俯いていためーちゃんを静かに諭した。


「頭の良し悪しってのは、何を知ってるかで決まるんじゃない。知っていることをどう使うか、応用できるかなんだ。さっき丈二に引導渡したのなんか、見事の一言だよ」

「うん。すごかったです」

「ここを女子寮に見せかけるというアイデアは最初に話してあった。でも、それだけじゃ全然足りないんだよ。看板しかないからね。俺も心理的抑止力としてしか期待してなかった。怨霊退散のお札と大して変わらん」

「そうですよね」

「小賀野さんは短時間でロジックを整え、ただの看板を見事な防御壁に変えたんだ。親で未成年の庇護者という丈二の切り札を、寮の規則を使って無効化した。寮監という第三者の存在を匂わせることで丈二の攻め手を鈍らせた。防犯カメラの記録を犯罪に直結させて丈二をびびらせた。そうそうライブでできることじゃないよ。本当に頭がいい」


 めーちゃんの尊敬のマナザシが痛い。そんなんじゃないって。


「でも小賀野さんのそういう能力は、生まれつきのものじゃないと思うよ。脱出しようと決意したその時から、こつこつ練り上げられてきたんだろう。それと……俊のサポートだろな」

「はっはっは。俺はなにもしてへんよ。分けてやれるのは、ルイに足らん経験則のとこだけや」

「十分だよ。それが彼に一番足りない部分だからな」


 岡田さんがうっすら笑った。


「矢口さんも、これからどんどんトライすればいいのさ。トライを重ねれば重ねるほどスキルが上がる。単なる知識が武器に変わる。学生だろうが社会人だろうが関係ない」


 人差し指でテーブルの上のリストをとんと叩いた岡田さんは、苦言をストレートに置いた。


「最後まで挑み続けろ。安易に諦めるな。それをリストの一番上に置いて、ずっと動かすなよ。リストを自ら破棄しない限り、必ずなんとかなる」


 顔を見合わせた店長と岡田さんが、そろってめーちゃんの方に向き直った。


「さて。ここからが本番や」


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