第5話 押し返す

 仕方がない。このままなら最悪かつ不毛な形で膠着こうちゃくしてしまう。私にできる援護射撃をしよう。まず安全確保だ。

 正座していためーちゃんの腕を引っ張って立たせ、店長と岡田さんの後ろまでさっと押し戻す。強引に連れ去られるリスクを下げてから、すぐさっきのポジションに戻って丈二さんの前に立ちはだかった。どれ、それじゃあ一丁ぶちかますか。


「お父様ですね。寮生の小賀野です」

「なんだ、おまえは」

「耳、聞こえないんですか? ここのの小賀野です」

「どけ! おまえには関係ないだろ!」

「関係ありますよ。同じ寮生ですから。いいですか? 萌絵さんの入寮手続きはもう済んでいます。萌絵さんはすでに寮生なんですよ」

「それがどうした!」

「寮生への面会希望者は、事前に申し込みと手続きをする必要があるんです」


 ずいっと迫って、丈二さんの顔の前に指を突きつける。


「それは寮の規則です。たとえ親でも、勝手に寮に入って寮生を連れ出すことはできません。規則違反を見過ごしたら、私が責任を取らされて強制退寮になっちゃうんですよ。冗談じゃない!」

「そ……」

「言っておきますが、中里さんと岡田さんの面会申請は私が規則に従って許可を取りました。味噌もくそも一緒にしないでくださいね」


 まだ何かぐだぐだ言おうとしたので、でっかい重石を追加する。


「その上、部外者立ち入り禁止の寮敷地内に無断で入り込んでうろうろしましたよね。防犯カメラに全部記録が残っています」


 岡田さんが送ってくれた防犯カメラの動画を出して、目の前に突きつける。


「ほら」

「う……」

「私は寮監に、住居侵入および不退去の困った人がいると報告しなければなりません。寮監はすぐ警察に通報しますけど、よろしいですか?」


 一歩前に出て、丈二さんにきっちりプレッシャーをかける。


「よろしいですね?」

「こ、この!」


 拳を振り上げた丈二さんの前に、あえて顔を突き出した。


「手を上げるのは勝手ですが、それも全部防犯カメラに残りますよ。敷地内をうろうろするくらいなら微罪ですけど、暴行は重罪です。私は絶対に泣き寝入りなんかしませんからね」


 店長が最初に厳しく警告したことを、丈二さんは単なる口先だけの脅しだと思っているんだろう。だからまるっきり効果がなかったんだ。

 でも防犯カメラに記録されたあれやこれやは常識的な行動範囲を逸脱し、すでに犯罪領域に片足突っ込んでる。違法であることをきっちり指摘すれば、強引には出られなくなるはず。予想通り、丈二さんの口も足もぴたっと止まった。


「退去しないのなら、私が今すぐ警察を呼びますけど」


 映像と音声がくっきり残っている以上、しらを切ることも言い逃れることもできないよ。さあ、どうする? 丈二さん。


「この野郎……」

「野郎? 女子寮に許可なくずかずか踏み込んでおいて、失礼な言い草ですね」


 さらに侮辱罪を追加、と。背後で、店長と岡田さんが爆笑を必死に堪えてる気配がする。ったく。こんなの私の得意技でもなんでもないんだけどなー。さて、とっとと追い払おう。


 スマホを出して警察に電話する……ふりをする。


「あ、警察ですか? 私は萩野2の2の3に住んでいる小賀野と申します。うちの敷地の中を不審者がうろうろしていまして。申し訳ありませんが、至急来ていただけないでしょうか。はい。四、五十歳くらいの男です。グレーのジャケットを着ていて、痩せ型です」


 これでもまだ突っ込んでこようとするなら本当に警察に電話してやろうと思ったけど、そこまでの根性はなかったみたいだ。鋭い舌打ちの音を残し、何度か振り返りながら大股で遠ざかっていく。

 丈二さんが離れていく間も、電話をかけているふりはキープする。どこかに隠れて様子を見られると、演技だということがバレてしまうからね。


 スマホを構えたまま丈二さんと同じ方向に歩き、まだ時々振り返っている丈二さんに警官を誘導しているようなポーズを見せる。さすがに歩調が速くなって、すぐに視界から消えた。

 やれやれだ。ここまでしないと諦めないっていうのはすさまじい執着だわ。めーちゃんも大変だあ。


 念のため、通話している姿勢のままゆっくり家に戻る。いつもの雰囲気に戻っていた店長が、にやにや笑いながらひょいと右手を掲げた。


「ルイ、お疲れはん」

「もう少し常識的な人かと思ったけど、完全にイっちゃってますね」

「まあな」


 胸ポケットからタバコの箱を取り出した店長が、一本咥えてひょいと横を向く。隣にいた岡田さんが、高級そうなライターをぱちっと鳴らして火を点けた。流れるように美しい所作で、めちゃめちゃかっこいい。


「喫うか?」

「いや、いい」


 細く紫煙を吐き出した店長が火をつけたばかりのタバコを足元に落とし、靴先でとんと踏み消す。屈んで吸い殻を拾った店長は、それをティッシュでくるみながらぼそっと言った。


「なかなか思うようにはいかんわ」

「まあな」

「諦めてくれそうにない感じですね」

「正面突破が無理なことはさすがに覚っただろう。ただ、その方が後から厄介になるんだよ」

「そうですよね……」


 私たちの後ろで意気消沈していためーちゃんを慰める。


「大丈夫だよ。宣言は……意思表示ははっきりできた。あれがないと店長も岡田さんも私も動けなかったんだ。ぐっじょぶ!」

「うん」


 びくびくしながら周囲を見回しているめーちゃんに、今ならわかってもらえるかなと話を振る。


「岡田さんのところでさ、なんで実家に帰らないのって聞いたよね。覚えてる?」

「……うん」

「閉じ込められるからだって答えたら、もう成人してるんだから閉じ込めるなんて物理的に無理じゃないのって言ったでしょ?」

「あ……」

「わかる? 閉じ込めるのに、檻も柵も要らないんだ」


 丈二さんは退散したのに。もう目の前にはいないのに。猛烈な威圧感が私たちの前にずっしり居残っていた。その気配に向かって指を突きつける。


「閉じ込めようという意思だけで、出来ちゃうんだよね」

「そ……か」


◇ ◇ ◇


 岡田さんの作ってくれた看板を、手を合わせて拝む。ありがたやありがたや。この仕掛けが最後の最後に活きるとは夢にも思わなかったわ。店長の気迫もすごかったけど、岡田さんの備えが見事に功を奏したんだ。

 そして、店長が岡田さんとタッグを組んだ意味がよくわかった。視点や発想を倍にできるし、攻めと守り、剛と柔を使い分けることができる。多対一にできれば、相手の弱点を探して押し返す方法を『誰かが』思いつけるんだ。やっぱりサポーターは多ければ多いほどいいってことなんだなー。


 とりあえずめーちゃんの口からはっきり独立宣言が出たし、丈二さんに寮という制限を突きつけて防護壁を整えた。ただ、防護壁は家の外では効果がない。丈二さんの問題が片付くまでは、私が至近でフォローしなければならないだろう。

 家の周囲を見回り、丈二さんの撤退を再度確かめてから、全力でぼやく。


「はああっ。さすが、めーちゃんが逆らえないだけのことはあるわ。ありゃあ私の母クラスの難物だあ」


 店長がうんうんと頷いた。


「あんたのおかんもえっらい面倒やったな」

「そんなにすごいの?」

「大変なんだ。今もね……ふうううっ」


 足元に、溜まっていた緊張と愚痴を一緒に吹き流す。


「丈二さんはいわゆる頑固親父、パワハラ親父だよね。力尽くの姿勢をずっと剥き出しにしてるから、みんなの力があれば押し返せる」

「うん。すっごい助かる」

「でしょ? でも、母は弱者なんだよ。弱い私を捨てるのね。これだけ尽くしたのに見捨てるのね。もうだめ、わたし死にたい……って言われたら。どうする?」

「う……」


 防犯カメラを指差す。


「丈二さんが何をやったかは全部証拠が残ってる。丈二さんは明らかに加害者なんだ。でも、もし母がここにいたら」

「せやな。ルイが加害者や」

「ぐ……わわ」


 めーちゃんがしゃがみ込んじゃった。


「父は……植田さんは敵だったけど。私を敵視していたわけじゃない。もともと母が私のメンタルケアのためにつけてくれた人だから」

「そうなの? 知らなかった!」

「まじめで辛抱強くて、有能な人だよ。ちゃんと私のことは見ててくれた。でも、夫婦でしょ?」


 厄介さに気づいたんだろうな。呆然としてる。


「挟まっちゃったのかー」

「そう。私はこんなだからね。見た目がのほほんで、母のようにナーバスにはならない。私より、母の方がずっと危ないんだ。そうしたら、私は後回しにされてしまう」

「……」

「母を守るために、父が丈二さんみたいになっちゃったの。しかも相手はプロだよ。あんな単純な力押しじゃなく、巧妙に柵を巡らせたんだ」

「大変だったんだね」

「まあね。でも、父が本当の敵ではなかったことが切り札になった。母のケアから私を切り離すことさえできれば、父は母のケアだけに集中できるからね」

「すごかったで」


 店長が、一切のおちゃらけなしでめーちゃんに説明する。


「めーちゃんの宣言も覚悟の上や。大変やったと思う。せやけど、俺や岡田、ルイが後ろについとる。その分、いくらか気楽だったはずや」

「はい! でないとわたし……」

「せやな。ルイの時は逆や。その場にいたギャラリー全員敵やった」

「ええっ?」

「みんな、ルイに力尽くで言うこと聞かそ思てるろくでなしばっかや。俺も含めて、な」


 あの決戦の時のことを思い出して、思わず苦笑してしまう。


「それをルイが、一人で、全身全霊で押し返しよった。俺はびりびり痺れたんや。こいつはものが違うってな。ごっつ惚れたんや」

「そっか……」

「お互い様ですよ。私にとって、店長は両親以外の最初の理解者であり協力者、そして私のことを親身に心配してくれた人だった。私も店長に惚れたんです」

「はっはっは! 相思相愛やな」


 ひょろひょろの宇宙人とてっぺんハゲの河童が相思相愛というのも奇妙だなあと思う。でも、こういうのは理屈じゃないから。

 肩をこきこき動かした店長が、めーちゃんをじっと見つめながら話を続けた。


「俺らはこれでと言いたいとこやけど、俺と岡田からめーちゃんに大事な話をしとかなあかん」


 うん。そういうことだろうと思った。店長は、丈二さんとの対決が長引くとは思っていなかったはず。丈二さんに先制攻撃を食らわし、めーちゃんの宣言を引き出して撤退させればそれで目標達成なんだ。わざわざ臨時閉店するまでもない。バイトの子に「ちょっと出てくる」と伝えて、ヒットアンドアウェイでこなせた。つまり、さっきまでの攻防が本筋じゃなく、これからめーちゃんに話をする内容の方がずっと重要なんだろう。

 今日は距離を取るために私たちがサポートできたけど、今後どうやって丈二さんとの関係を調整するかは、めーちゃんが自力で考えないとならない。丈二さんはスポンサーだから、敵としてぶん投げたが最後めーちゃんには未来がなくなるんだ。冗談抜きに大事な話になると思う。


 めーちゃんが真剣な表情で頷いた。


「パパの……ことですよね」

「せや」

「店長、中で話しましょうよ」

「ええのんか?」

「女子寮に入れることなんか、滅多にありませんよ」


 混ぜっ返したら、みんなが一斉に大爆笑した。

 ぎゃはははははっ!


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