第8話 空白を埋める
重くなった空気を嫌気したように、店長が金髪のウイッグをむしり取った。
「蒸れるー。こんなん、ようせんわ。あーしんど」
でもって、ウイッグで顔をぱたぱた仰ぐ。それまでかちこちだった場のクウキが一気にだれて、私もめーちゃんも危うく吹き出しそうになった。
カツラうちわを苦笑混じりに見ていた岡田さんが、ひょいと店長を指さす。
「こういう機転を、わざとらしくなくさらっとこなせるのが俊だ。俺は最後まで敵わなかったな。てっぺんは取れなかった」
「あ。さっきの話ですね」
「そう。ホストというのは極めて高度な接客業だよ。一流という称号を獲得するには、才能と不断の努力が要る。それはホストだけじゃなく、キャバもそうなんだ」
「せやな。めーちゃんのおかん、紗枝ちゃんもええ腕やったで。美人いうだけやない。操れる話題の幅と深さ、客の欲しいもん読む勘の良さ、ホスピタリティ、客あしらいの上手さ、どれもぴか一やった。ただ……」
「ただ、なんですか?」
めーちゃんが、がっちり食いついた。
「性格が尖ってたんや。外から丸見えではないにせよ、な。俺らは紗枝ちゃんの子供時代のことはよう知らんで。ただ、えらく屈折しとるっちゅうのは滲んで見えた」
「うーん」
「なんや、ルイ」
「ホストとキャバ嬢って、どこに接点があるんですか? 客層が全く違うような気がするんですけど」
「はっはっはあ! さっすがルイや、一発で見抜いたな。俺らが紗枝ちゃん知ったのは、歓迎できひんことぉしよったからや。紗枝ちゃんなあ、俺らがいた店のホストぉ壊しに来てたんや」
ぐげ。び、びっくり。めーちゃんもびびってる。
「壊す言うてん、こういうんは駆け引きや。紗枝ちゃんは、標的にしたホストに夢中になったふりして逆に引っ掛けよんね。ホストからしてみれば、貢がれるはずが逆に貢ぐはめになる」
「あの……もしかして店長や岡田さんも……」
「はっはー、あんな見え見えのかまかけにだあれが引っ掛かるかいな。やられるのはとっぽいアホだけや」
身も蓋もない。えぐーい。
「裏表ぇ見抜けんやつは、ホストには向いてへん。仕掛けてくる女ぁ上手にさばかな、ホストなんかできひんわ。ただな」
「はい」
「えげつない魂胆で店ぇ通い詰めとった紗枝ちゃんが、ぴたっと来んようになった。どないしたんやろーってみんなでがやがや話しとったんやけどな。どうも決まったオトコが出来たらしいと聞いた。誰や、それ。気になるわー。あんだけの壊し屋を落とした男は誰やねんて」
「それが……パパですか?」
「丈二やない。あんたの実のおとん、
「えっ!?」
めーちゃんが全身を硬直させた。自分の実の父親のことはほとんど知らなかったんだろう。離婚したということしか……。
「俳優……」
「誰でん知ってる有名人ちゃうで。まだ売り出し中のぞろ俳優や。せやけど男前で演技もうまかった。事務所のプッシュもあって、ぼつぼつ芽ぇ出始めてたんや」
「その人が、紗枝さんの勤めていた店に来てたってことですか?」
「せや。大物俳優が若いの何人か連れてて、その中の一人ってことやな。そこでふぉーりんらぶ、や」
ゆさっ。店長が足を組み替えた。
「露出度上がってきたぁ言うてん、章ちゃんは元貧乏劇団員や。生活の苦労を骨の髄まで知り尽くしとるから地に足ついたしっかりもんでな。事務所は独身イケメンで売りたかったはずやけど、紗枝ちゃんとの付き合いは最初から大っぴらにしとった。所帯持ちになるからこれまで以上にがんばる言うて、籍ぃ入れた時には俺らの店にまでわざわざ挨拶に来た」
「それなのに、なんで離婚?」
めーちゃんが真っ青になってる。
「まさか、ママが」
「いや、紗枝ちゃんはほんまにベタ惚れだったんや。生まれて初めて心底好きな男と巡り会えた。男は一生章ちゃんだけでええ言うてな。キャバもやめるつもりやった。めーちゃんがお腹にできて、あとは普通の家庭を築くだけ」
店長が、ゆっくり視線を落とす。声が……小さくなった。
「その幸せが突然消えた。あっちゅう間や」
「ど……して、ですか?」
「ガン。進行が恐ろしく早かったんや。若かったからな」
「……」
病気で亡くなったのか……。
「じゃあ、離婚というのは」
「章さんの配慮やと思う。未亡人にするよりバツの方がまだましやと。財産も身分も残せん。面倒ごとだけを残してまう。死んだ夫に操ぉ立てられたもんなら、紗枝ちゃんを壊してしまうかもしれへん。行末を案じたんやろな。優しい……ほんまに優しい男や」
完全に黙りこんでしまっためーちゃんを心配そうに見下ろした店長は、ゆっくり続きを話し始めた。
「めーちゃん生まれた時ぃ、章さんはもう仏さんや。俺らは紗枝ちゃんと深い付き合いがあるわけやないけど、常連客やったから知らん仲でもない。生まれたばかりの赤んぼ抱えて、呆然としとる紗枝ちゃん放っとくわけにもいかんやろ」
「店長がサポートしたんですか?」
「実家も頼れん。親しい
「あっ!」
めーちゃんと揃って声を出してしまう。
「そ、そうか」
「紗枝ちゃんが章さんにベタ惚れだったのと同じやな。丈二は紗枝ちゃんにベタ惚れやった。章さんと違うのは想いの向きや。紗枝ちゃんと章さんは双方向。丈二のは片想いや。それでん結婚ちゅうとこまで行ったんは、丈二が紗枝ちゃんに見返りを求めんかったからや。俺は側にいられるだけでいい、言うてな」
「だからって……」
「ああ、めーちゃん。紗枝ちゃんがダンナ、子供を放っぽって好き勝手してるように見えるやろ?」
「違うんですか?」
「違う」
店長がきっぱり言い切った。
「あのな、めーちゃん。同棲とかヒモとかとちゃうねん。ちゃんと籍ぃ入れとんねん。章さんに人生全部ぶち込んでた紗枝ちゃんが、章さん以外のオトコと所帯持つんや。紗枝ちゃんにもきっぱり気持ちぃ切り替える覚悟はあったはず。せやけどな」
店長が、じっとめーちゃんを見つめる。愛しそうに。でも、悲しそうに。
「めーちゃんは、章さんに似過ぎとんねん」
!!
そうか。そういうことだったのか!
「美男美女の組み合わせ言うてん、普通は母親の血ぃの方が強う出る。せやけど、育つにつれて章さんにどんどん似てきた。もしめーちゃんが男の子やったら……」
「悲惨だっただろうな」
深い溜息とともに、岡田さんがぽつりと呟く。
「めーちゃんが章さんそっくりの容姿になってもうたことで、紗枝ちゃんも丈二もだんだんしんどなったんやろ。先に限界が来たんは紗枝ちゃんの方やと思う。丈二を嫌いになったわけやないけど、章さんそっくりになってく娘を冷静に育てる自信がのうなった。俺は……そう見てる」
「それはあくまでも俺らの見立てだけどな。矢口さんが言ってたように、紗枝ちゃんが本当に多情で男を取っ替え引っ替えしてるのかもしれん。真偽はわからない」
「……」
店長の話を聞いて、私は丈二さんがめーちゃんに注いでいた愛情に別の側面があることに気づいた。
血の繋がっていない娘を、母親の代わりに親身に育てる。その美談の裏側には、丈二さんの真っ黒な感情が横たわっている。そう考えないと、あの病的な支配性行と執着を説明できないんだ。恐ろしい背景が、今の店長の話から透けて見えてしまった。
店長がそこまで突っ込まないのは、めーちゃんがすでに丈二さんから独立しつつあるからだろう。最後まで知らないで済むならその方が絶対にいい、と。私も……そう思う。
店長は、あくまでも事実として。色のない事実として話をまとめた。
「めーちゃんが生まれて、もう十八年経ったんや。章さんが亡くなった頃の感情もその間に変わってるやろ。ええ機会や。紗枝ちゃんとべたな話をしてみ。丈二捨てて紗枝ちゃんに付けゆう話やない。もうどっちからも離陸する時期なんや。あんたも親なら最後くらいは手伝ってくれ……それで済むんちゃうか」
店長も岡田さんも、めーちゃんを急かすことはなかった。気持ちを整理して、その上でどうするかを決めなさい。そう言い残して、帰っていった。
◇ ◇ ◇
二人が帰った後。私もめーちゃんもずっと黙り込んでいた。店長の話した丈二さんや紗枝さんの過去がショックだったからじゃない。帰ってしまった二人の空間がすぐ恐怖に置き換わったからだ。
窓の外をうっすら塗り潰している街灯の汚れた光。その光の届かない闇の奥から丈二さんが忍び寄ってくるように感じてしまう。
丈二さんが店長や岡田さんのどやしですんなり引いてくれたなら、私もめーちゃんも安心できた。でもあの様子だと、まるっきり諦めてなんかいない。多人数を相手にするには分が悪いと判断して、一時撤退しただけだろう。
私が立てた防御壁も即席なんだ。店長たちのどやしと同じで、実害がないとわかれば無視するはず。それも……すぐに。夜襲に警戒しなければならない。今日の夜は、長くて辛い夜になる。
ああ、そうさ。もし今幽霊が出たってちっとも怖くないよ。何がどんな風に出たところで、連中は私たちに何もできないのだから。怖いのは、いつでも生身の人間なんだ。
「もう……休もうか」
「うん」
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