第6話 隠す算段

 現時点では私たちの使える手駒も切り札もないから、あとは岡田さんに下駄を預けるしかない。緊急連絡用に岡田さんと携帯の電話番号を交換してからオフィスを出た。矢口さんもスマホを持っているけど、今は怖くて使えない。駅についたらその話をしよう。


 帰りもスマホのナビ頼りに住宅街の迷路を抜け出し、なんとか三日島の駅にたどり着いた。スマホの話をする前に、疑問符のままになっていたことを矢口さんに聞いてみる。


「ねえ、ちょっと聞いていいかな」

「はい?」

「学校に通っていた間ならともかく、もう卒業してるんだから、お父さんが二十四時間矢口さんを見張るのは無理だよね。お父さん、日中は仕事してるんでしょ?」


 私の場合、母の監視が二十四時間だったから『外』に出るにはどうしても大きな理由が必要だった。それに比べたら、送迎がない今の矢口さんにはフリーになる時間がずっと多いはず。発作的に家出したと言ったことがすんなり飲み込めなかったんだ。

 矢口さんが、溜息混じりに追加事実を明かす。


「そうなんですけど。学校が休みの時とかは外鍵をかけてわたしを家に閉じ込めちゃうんです。危ないからって」

「外鍵ぃ? うそお! それって、まんま監禁じゃん」


 激しく頭痛がする。悪い虫がどうのこうのより、監禁の方がよっぽどヤバいでしょ。私の幽閉もひどかったけど、物理的拘束ではなく精神の檻だった。さすがに鍵かけてまで閉じ込めるってのは……なあ。


「そっか。じゃあ、今日はお父さんがうっかり外鍵をかけ忘れたってことかー」

「これまでもかけ忘れていたことは何度かあったんですけど……すぐに戻ってきちゃうんです。だから怖くて家出を実行できませんでした。でも、ぐずぐずしてたら大学生活が始まっちゃう。これまでみたいに車で送り迎えなんて、絶対に我慢できないっ!」

「あ、もしかして。大学選ぶ基準に家からうんと遠いところってのがあったとか」

「はい。通えないところは最初から認めてくれないし、近くだと送迎がついちゃう。ぎりぎり通えて送迎の大変なところ……っていくつか選んで」


 うわあ。学力とか学校の雰囲気とか将来目指す職業との関係とか、そういうのとは全く別の選択基準かあ。大変だあ。矢口さん的には、志望校の立地を見てお父さんが送迎と囲い込みを諦めてくれればという微かな期待があったんだろうな。でも、お父さんには全然効かなかったということか。


「お父さんは志望大学を見て何も言わなかったの?」

「本命を別にして、滑り止め受験校の中にD大を潜り込ませたんです」

「やるなあ……」

「それでも、受験校はぎりぎりまで伏せてました。早くからオープンにすると近くの女子大だけにしろと反対されてしまうので」

「それもそうかー。だから合格したのがここだけっていう既成事実を見せることにしたわけね」

「はい。でも。ちょっと……逆効果だったかも」

「離脱を勘ぐられたんでしょ?」

「すっごい機嫌悪くて。とっととやめて受け直せって、何度も」


 せっかく合格したのに、そんな風に言うのか。あまりにもひどくないか? どうも過保護とか箱入りとか、そういうレベルではないような気がしてきた。

 切羽詰まった表情で、矢口さんが両拳をぎゅっと握りしめる。


「たまたま、今朝パパが外鍵をかけ忘れてて。ドア開くのを確かめたら、心のせきが……切れちゃったんです。もう、どうしても無理って」

「うん」

「これが最初で最後のチャンスかもしれない。大急ぎで要りそうなものを手当たり次第詰め込んで荷物作って、パパに見られた時すぐばれないように変装したんです」


 そうか! 変装は見た目をくすませるためじゃなく、お父さんから見つかりにくくするためか。納得だ。


「一つ聞くけど、出る時に書き置きとかしてきた?」

「しません! そんなの絶対にいやっ!」


 強烈な拒絶反応だ。完全遮断は逆効果なんだけどなあ……。いや、今は位置特定されるリスクを下げる方が先だ。お父さんにつながるコンタクトラインを一度切っておこう。ただし、その前にメッセージだけは残しておかないと。


「いやなのはわかるけど。ラインかショートメールでお父さんにメッセだけはしといて」

「どうしてですかっ?」


 食ってかかられる。矢口さん的には、これからずっと行方不明のままでいたいんだろう。気持ちはよーくわかるんだけど、それじゃ火に油を注いじゃう。


「矢口さんが完全にどろんすると、お父さんが警察に捜索願を出すかもしれない。警察が絡んじゃったら、私も岡田さんも動けなくなるの」

「あ……」


 そこまでは考えてなかったでしょ? まあ……私が飛び出した時だって先々までは考えてなかったけど。

 でも、連れ戻されたら脱出は失敗なの。加わる監視や行動制限がもっと極端になるだろう。連れ戻せない形に持っていくなら、という切り札を使われるわけには行かないんだ。


「都内に住んでる先輩のところに泊めてもらうとでも書いといたらいいよ。もちろん、女の先輩ね。架空の人でいい。ユウコ先輩とかナオミ先輩とか、どこにでもいそうな人の名前にして」

「あ、そうか」

「同級生でなく先輩なら、お父さんが探索しなければならない範囲が小中高と大幅に広がる。すぐには探し出せないよね」

「なるほど。そうですね」


 私のアイデアに真顔で頷いた矢口さんが、ラインの画面を出した。


「メッセ流したら、すぐスマホの電源を切ってね。GPS機能で位置を特定される恐れがあるから」

「はい!」


 嫌悪感剥き出しでぺぺっとラインを打って流した矢口さんは、これが今生の別れと言わんばかりにぶつっと電源を落とした。そのうちスマホも変えたいと言い出すだろう。

 とりあえず位置情報の遮断は完了、と。ぷち家出ならすぐに探し出せるし慌てることはない……お父さんがそう考えてくれることを祈りたいけど。話を聞く限り、血相変えて探し回る可能性の方がずっと高そうだ。でも、矢口さんが足取りを覚られるへまをしていなければ、一日で居場所を探し当てることはできないはず。あとは、矢口さんを契約完了までどう隠すかだ。


 携帯の対処が終わったところにちょうど電車が来た。がらがらの車内で、路線図を見ながらこれからの行動予定を組み立てる。

 矢口さんを確実に隠すなら、さっさとシェアハウスに誘導してしまった方がいい。でも、帰って来たら家の中に見知らぬ人がいたという状況にするのは極めてまずい。対人恐怖症持ちの先生がヒステリックな拒絶反応を示したら、私ごと締め出されてしまう恐れがあるからだ。先生が先に家にいて、私が伺いを立てるという形にする必要がある。

 そのためには、先生が仕事を終えて帰って来るまでどこかで時間調整をしないとならないんだけど。ひっそり目立たないように時間を潰せる場所がなかなか思いつかないんだよね。


 喫茶店とかで時間を潰すには、矢口さんが背負っている大荷物がどうにも邪魔。かといって公園とかのオープンスペースだと、矢口さん自身が人目につきすぎる。本人がどれくらい自覚しているかはともかく、メガネや髪型くらいじゃあの美貌はごまかし切れないし、服装がコスプレ並みに奇妙だからだ。今乗ってる電車の車内でも、好奇の視線がびしばし飛んできてる。

 人の多い場所でスカウトやナンパ野郎を吸い寄せてしまうと、私にはフォローしきれない。


 矢口さんが目立つことも厄介なんだけど、もう一つひどく厄介なことがある。私と矢口さんはさっき岡田さんのオフィスで顔を合わせたばかり。お互いのことをほとんど知らないから、どこかで時間を潰すにしても間が保ちそうにないんだ。

 これからシェアしましょうねと言っても、まだ契約前の他人同士。私はともかく、矢口さんは私のことをひどく警戒しているだろう。二時間も三時間もだんまりのままは、特に彼女の方がしんどいと思う。私は、まだ会話を巧みにリードできるほど優れたコミュニケーションスキルを備えていないし。


 隠れている間、不自然ではなく会話を制限できるような場所もしくは状況。そんなのあるだろうか。うーん……。


「あ、そうか」


 なんのことはない、レンタルショップに連れて行けばいいんだ。矢口さんには、ちょっとの間事務室で待っててもらえばいい。人扱いに慣れている店長が矢口さんを苦にすることはないだろう。私も、シフトに穴を開けてしまった分をいくらか埋め合わせることができる。

 店長は前から女性バイトを探してたから、もし矢口さんにやる気があればバイトのお試しもさせてもらえるかもしれない。その場合、カウンターがあるから身体の下半分は見えないし、事務服の上着を着れば服の違和感もごまかせる。バイトオプションは矢口さんと店長次第だから、本筋じゃないけどね。


 よし、それで行こう!


「矢口さん。私はちょっとバイト先に寄ってく」

「バイト先、ですか」

「そう。私はレンタルショップの店員バイトをやってて、今日岡田さんのところに行くのに勤務日を動かしてもらったの。急な話だったから迷惑かけちゃった。私の代わりのスタッフが見つかっていないかもしれない」

「うん」

「三、四時間てとこだけど、シェアメイトが仕事から帰って来るまでそこで時間を調整したい。ごめんね」


 矢口さんは、くたくたに疲れてるからどこかで休みたいという感じだったけど、自力で隠れ場所を探す手段がない以上うんとしか言えないよね。

 私は、ドナドナ状態の矢口さんを引き連れてレンタルショップに向かった。

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