第7話 体験と休息
店長の計らいと言っても、いきなりシフトに穴空けちゃったからなあ。代わりのスタッフを確保できただろうか。ひょいと店頭を覗いたらやっぱり無理だったみたいで、店長がめんどくさそうにヤードをうろうろしてた。うう、申し訳ない……。
「店長、今戻りましたー」
「お、ルイ。どやった?」
「いい物件を紹介してもらったので、決めてきました。ちょっと事情があって、契約は明日ですけど」
「おおっ、さすが岡田やな。あいつはどアホやけど鼻が利く」
ぼろっくそ。きっとお互いにボケ、カスとか言い合ってるんじゃないかな。
「そっちのねえちゃんは?」
カウンターからぬっと身を乗り出したてっぺんハゲのおっさんに驚いて、矢口さんが顔をひきつらせながら後ずさった。
「シェアメイト……の予定です。私と同じD大の新入生」
「えっらいべっぴんさんやなあ」
ううう、さすが店長。見抜くのは当たり前としても、即口にするあたりがなんともはや。
「それより店長」
「うん?」
「このあとのシフトメンバーは確保できました?」
「いや、誰もつかまらんから穴ぁ空いてもた。かったる」
「私は一山超えたのでシフト入りましょうか?」
「おっ! めっちゃ助かる。そっちのねえちゃんは?」
さっきの岡田さんのところと違って、店長と私の会話のテンポは早い。ついていけなくてあわあわしていた矢口さんに話を振る。
「これから、家賃と生活費をどうやって確保するの?」
そう。それをきちんと確かめておかないとならない。お父さんから独立するなら、親の仕送りはあてにできないんだ。お父さんは娘を奪還するため、必ず兵糧攻めにするはずだから。
「そ、それはバイトを……」
「でも、今までお父さんに監視されてたんならバイト経験ゼロでしょ?」
「う」
しおしおのぱあ。まあ、私だって似たようなものだったよ。今は少しだけ慣れたけどさ。
「じゃあ、ここで少し体験していったら? もし適性があれば、店長がシフトに入れてくれるよ」
「あのシフト……って」
「勤務予定表。何日の何時から何時までなんとかさんが働くーってやつ」
「こんなんや」
店長が、印刷したリストを見せてくれる。
「今日私は勤務日だったんだけど、新居探しを優先させてもらったの、穴空けた分は他の日で埋め合わせる」
「あ、そういうのができるんですね」
「シフトがきちんと組めればね。なかなか……」
そう。これから私は昼間講義に出ないとならない。平日日中のシフトにはそうそう加われなくなる。これから就活が本格化するトムは実質引退に近い。それ以外の学生バイトはまだ不慣れ。村尾さんが全部仕切ってた頃は彼女に任せればいいから楽だったと思うけど、これからはしんどいだろうなあ……。
とか考え込んでいたら。矢口さんが一大決心をしたように声を絞り出した。
「体験……やってみます」
「ほか。ルイの手伝いしてくれればええから、気楽にやって」
「はい!」
おっけーおっけー。それじゃ、さっさと仕事モードに移ろう。
「店長は上で休んでてください。話は後で」
「助かる。ルイ、そっちのねえちゃんの指導と査定頼むな」
「了解です。ああ、裏に回って。仕事内容を説明するから」
「は、はい」
◇ ◇ ◇
三月はレンタル品の出入りが激しい、転勤、転居、卒業、入学準備といろいろイベントがあって、人もモノもいっぱい動くからね。仕事をゆっくり説明できないくらいひっきりなしにお客さんが来て、電話も鳴りっぱなしだ。電話対応は私しか出来ないから、店頭での客あしらいをぶっつけ本番でやってもらった。
何を借りたいかを聞き出して在庫を確認し、レンタルのシステムと料金を説明して申込書を書いてもらう。書類を確認したら貸し出し品をヤードから持って来て渡し、料金を受け取る。延滞になった場合は返却時に追加徴収、と。在庫とレンタルスケジュールの確認はまだ私にしかできないから、その作業中は待たせているお客さんにお詫びを言ってもらう。
最初はしどろもどろだった矢口さんもだんだんこつがわかってきたみたいで、上手にお客さんをさばけるようになった。バイトなんかしたことないという割には、適性高いと思う。向いてない人はどんなにやってもダメだからなー。
午後七時に上がり。電話を留守電に設定し、空調オフを確認してから店の照明を消す。シャッターを下ろして『本日の営業は終了しました』の札を下げ、くたくたに疲れた様子の矢口さんを連れて三階の事務室に上がった。
「ああ、閉めたか。お疲れさん。どない?」
「バイトなんかしたことないって言ってた割には優秀ですよ。最後は私のサポなしでこなしてましたから」
「おおー、それはすごいな。どや、ねえちゃん。やってみて」
ぼーっとしていた矢口さんが、はっと我に返った。
「あ、大丈夫です。できます」
「ほか。やる気あるんなら、履歴書持ってまた来てや。登録してシフトに入れたる」
事務机の引き出しを引いた店長は、中から茶封筒を取り出すと千円札を四枚抜いた。それを矢口さんの前にひょいと出す。
「え?」
「見習いちゅうてん、働いてもろたからな。ルイよりは安いけど、バイト代や」
「わ! いいんですか?」
「ただ働きはあかんやろ」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに四千円を受け取った矢口さんは、ジャージのポケットから小さなお財布を出して拝むようにお札をしまった。初めてのお使いならぬ、初めてのバイト、だよね。きっと記憶に残ると思う。私も、レンタルカレシでお客さんから受け取った報酬より、下の店舗で働いてもらったバイト代の方がずっと嬉しかったからなあ。
それにしても。相変わらず店長のフォローは絶妙だ。しみじみ感心してしまう。
私と店長と見比べていた矢口さんが、ぽそっと店長に訊いた。
「あの……」
「なんや」
「小賀野さんは、ここ長いんですか?」
店長が苦笑する。私が最初に事務室に来た時のことを思い出していたんだろう。
「いいやー。まだ一年も経っとらんで」
「すごい……ですね」
「まあな。ルイは特別、ちゅうか特殊なんや」
いつものようにソファーにどすんと体を預けた店長は、無造作に足を投げ出し、天井に向けてタバコの煙をふうっと吹き出した。それから、手にしたタバコで私を指し示す。
「意欲的なやつはおる。要領のええやつはおる。根詰められるやつはおる。愛想のええやつはおる。せやけど、それぇ全部こなせるやつなんかそうそうおらん」
「はい」
「貪欲や。これくらいでもうええと自分に蓋ぁせんからな」
「わたしもそう思いました」
「はっはっは。せやけど、真似したらあかんで」
「え? どうしてですか?」
吸い殻満載の灰皿の隙間に突っ込まれたタバコが、すぐに煙を失った。代わりに店長のしゃがれ声が漂う。
「それだけルイは『足らん』言うことなんや」
「あの……意味が」
「これから一緒に暮らすんやろ?」
「……はい」
「直接聞いてみ。ルイは何も隠さんはずや。せやろ、ルイ」
「もちろんです」
即答した。隠す意味もない。隠せるわけもない。結局何もかも表に出るのなら、最初から表に出してしまった方がいい。それが、鶏小屋脱出の時に私の出した結論なんだ。おっと、もう先生が帰ってきてるな。
「じゃあ、また明日。シフト通りに出ます」
「頼むわ。そっちのねえちゃんも、よかったら来てくれ」
「はい」
店長がざっくばらんでとっつきやすい人だとわかったからか、矢口さんの表情は明るかった。
◇ ◇ ◇
レンタルショップ近くのファミレスで夕食を済ませる。外食自体ほとんどしたことがないのか、視線がメニューの上で軽やかにダンスを踊っていた。そして、くたくたに疲れているはずなのになぜか上機嫌だった。
食事中はずっとレンタルショップのバイトの話。決まり事やノウハウについていろいろ聞かれる。矢口さんは、店長の店で働く気満々ということなんだろう。バイトの話で間が保って、私もほっとする。
ファミレスを出てシェアハウスに帰り着いた時には、もう八時を過ぎていた。家に入る前から、先生がばたばた忙しく走り回っている足音が聞こえる。退出に向けて、断捨離を敢行するって言ってたからなあ。
「ただいまー」
「おかえりー」
珍しく上下ツナギという格好で走り出てきた先生は、私が連れていた矢口さんを見てしばらく絶句。
「……ちょっとルイくん、彼女は?」
「同居人ですよ」
「は、はやっ!」
自分の後釜がそんなに早く見つかるとは思っていなかったんだろう。放心状態で立ち尽くしている。で、ちょっとして正気に戻った。
「じゃあ、ここでそのままシェア延長?」
「いや、ここの契約は更新しません。新しいところを見つけてきました」
「へえー。アパート?」
「いや、ここと同じで古い平屋です」
「ええー? それならここでもいいんじゃないの?」
「家賃が一万安いんですよ。そこ、訳ありなので」
「うわ……」
顔が引きつってる。相変わらず怖がりだからなあ。
「それに、ここからだと大学に通うのが不便なんです。今度のところは大学のすぐ近くなので」
「あ、それは重要よね」
「はい」
「でも、なんで彼女を連れてきたわけ?」
「彼女の荷物で察していただければ」
先生はそんなに勘がいい方じゃないけど、事情は察したんだろう。うんうんと頷いた。
「なるほどね」
「明日新居の契約手続きが終わればそっちに移れるので、今晩は……いいですよね」
先生との同居がこれからも続くなら、先生は強い拒絶反応を示しただろう。でももう退去間近だし、ここを出れば関わりはなくなる。先生はあっさり了承してくれた。
「構わないよ。構えないけど」
「わはは。客間に案内しますね」
「そうして」
「突然ご迷惑をおかけしてすみません。お世話になります」
深々とお辞儀をした矢口さんに、先生がひょいと頷いてみせた。でも、返事はしない。初対面だと、それが限界なんだろうな。
「じゃあ、こっちへ」
「あ、はい」
私と違って持ち物の多い先生の押し入れ代わりになっていた客間。先生は徹底的に荷物を減らしたいらしく、がらくた置き場になっていた客間はきれいに片付けられ、今朝にはもう空き部屋になっていた。そこに予備の布団を敷いて、矢口さんを案内する。
「明日契約が済めばもう向こうに入れるし、今日は緊急避難だからここでいいよね」
「はい。どこでも」
「じゃあ、私はこれで。明日は午前中シフトが入ってるから、よかったら一緒に来て。そのあと岡田さんのところで契約して、引っ越しのことを考えましょう」
「はい」
「お疲れさま」
「今日はいろいろありがとう」
「いいえー。おやすみー」
「おやすみなさい」
私が後ろ手に扉を閉めると、背後でばたんと倒れ込む音が聞こえた。すぐに寝息が響き始める。身体の疲れより、精神的な疲れで限界が近かったんだろうな。眠ったというより気を失ったと言う方が近いかもしれない。
「おっと」
こっそり客間に戻って、矢口さんの顔からメガネを外す。伊達とはいえ、今メガネが壊れると厄介なことになるからね。私は天使なんかじゃないけど、矢口さんの寝顔は天使だよなあ。伏せられた長い睫毛に小さい溜息を置いてから、部屋を出た。
まさに怒涛の一日。私も疲れたけど、矢口さんにとってはとんでもなくハードだっただろう。ゆっくり休んでほしい。
「おやすみ。お疲れ様」
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