第二章 二日目:流れに乗る

第1話 有効利用

 私も疲れてたけど、先生の離脱宣言からの立て直しにたった一日で目処が立ったという高揚感があって、ぴかっと目が冴えてしまった。その間に次の行動プランを立てておくことにする。


 今のシェアハウスでは先生の持ち込み品が圧倒的に多い。私はほぼ身一つで入居したんだよね。衣類とか生活用品はいくらか揃えたけど、私物っていうのがほとんどない。それって、生活をシェアする上では本来望ましくないことなんだ。シェアメイトと生活を切り分けるなら、共用のものと私物とはきちんと区別しなければならない。

 先生が提供してくれてる共用品は、本来なら先生の私物だ。先生がいらないから処分するっていうなら、所有権を私に付け替えておきたい。そうしないと、私も矢口さんも家は確保できたけどあとは何もないという状況になってしまう。揃って空手くうしゅのすかんぴんじゃ、さすがにねえ……。


 矢口さんが実家から自分の荷物を持ち出せればいいんだけど、お父さんの執着が解消するまでは難しいだろう。どうしてもしばらくは緊急避難の不便さを我慢しなければならない。

 

 とか考えている間にいつしか眠りこけ、気がついたら朝になっていた。


「おっと」


 慌てて目覚まし時計を引っ掴んで、時間を確認する。


「ほっ。まだ六時だ。大丈夫だな」


 さっと起きて布団を畳み、顔を洗って服装を整える。今日も移動が多くなるから軽装でいいな。

 食器棚から皿を出してダイニングテーブルに並べ、ハムエッグを作ってぽんぽんと皿に放り込んでいく。あとは牛乳、シリアル、カットトマトくらいでいいかな。


「おはよう、せんせー。さっさと支度しないと遅刻するよー」

「うー」


 朝が弱い先生は、いつものようにふらふらよろけながらリビングに出て来た。


「先生、ちょっと相談があるので食べながら」

「んー、なんだろー」

「矢口さんを起こしてきます」

「ういー」


 パジャマははだけてるし、髪はぐっちゃぐちゃ。目は半開き以下。でろんでろんだ。カレシもこの先生の溶け方を見て百年の恋が冷めなきゃいいけど。

 続いて、客間の戸をノックしないで外から声をかける。


「矢口さん、おはよう。起きてー。朝食ですー」

「あ、はい」


 ちゃんと学校に通っていたなら、朝は早く起きていたはず。声を聞く限り、すでに起きていた感じだ。少なくとも先生のようなナメクジ感はない。

 さっとリビングに戻ったら、居心地の悪そうな腰の引けた歩き方で矢口さんが入って来た。着の身着のままで寝落ちしたから格好は昨日のままだけど、一応身支度は整えたみたいだな。矢口さんが恐る恐る席に着くのを待って、朝食スタートにする。


「さて。じゃあ、いただきます」

「ういー」

「はい」


 昨日の夜のきびきびした立ち回りとでろんでろんの今。先生のあまりの落差に驚いたんだろう。矢口さんは、本当に同一人物なんだろうかという風に先生を盗み見ている。まあ……まだ半落ち状態だからなあ。


「あはは。先生は朝弱いから」

「んー」

「で、先生」

「んんー?」

「これから食器とかの整理でしょ」

「そー。ルイくんの次の目処が立たないと動けなかったからー」

「先生が持ってくもん、あります?」

「ないー。全部カレシと揃えるー」

「じゃあ、そっくりもらっていいですか?」

「かまわないよー。捨てるのにお金も手間もかかっちゃうし。ルイくんが使ってくれるならその方がずっといい」

「やりぃ!」


 先生は、カレシとの甘い生活を夢見ているはず。生活臭爆裂の貧乏くさい家具や安物かつ無個性の食器にはこだわらないだろうと予想してた。でも、ちゃんと確認はしないとならないから。


「あ……そうか」


 目の前のお皿を見下ろしたまま、矢口さんが固まった。昨日は無我夢中で、生活環境をどうするかには全く頭が回らなかったはず。今になって、自分が身一つであるというシリアスな状況を初めて意識したんだろう。

 家には戻れない。戻ったが最後、私と同じように閉じ込められてしまう。それなら、生活に必要なものは自力で確保しなければならないんだ。使えるものはなんでも使う。それがサバイバルの基本だと思う。私も、他にいろいろと確認しなければならない。


「寝具も新調するんですよね」

「もちろん。ここのは全部持ってっていいよ」

「助かります!」


 だいたい行けそうだとほっとしたら。少しだけ目が開いた先生が、無表情に共同生活終結を宣言した。


「でね」

「はい」

「ルイくんも次を見つけたみたいだし。わたしはここを今日引き払う。いいでしょ?」


 急な話だな。でも、きっとカレシ絡みだろう。ごねるわけにはいかない。


「先生のスケジュールを優先してください。私もすぐ引き払うことになりますけど、どっちが先でも影響ないかと。管理会社の人にチェックしてもらって鍵を返すだけなら、私でも対応できますし」

「んー」


◇ ◇ ◇


 引き払うといっても、仕事があるから先生の退出は夕方のはず。それまでの間にしなければならないことがいっぱいある。まず岡田さんに電話し、午後一に二人でオフィスに行って契約を結ぶということを伝えた。ついでに引越し屋さんを紹介してもらおうと思ったら、荷物の量を聞かれた。


「あんた一人なら、そんなに荷物はないんだろ?」

「私個人の分はほとんどないです。共用で使ってたものがちょっとという感じ。矢口さんの荷物は実家にあるので、今は持ち出せません」

「じゃあ、最低限の家具、寝具、冷蔵庫、食器、雑物それくらいか」

「ええ。少ないです」

「そんなの引越し屋を頼む必要ないよ。俺が軽トラを出してやるから、それに積んだらいい。サービスする」

「ええっ? いいんですか?」

「どんなに荷物が少なくても連中はがっつりカネを取るんだ。今はけちれるだけけちった方がいい。厄介な塩漬け物件がはけるのはありがたいんだ。俺からの祝儀だ」

「すっごい助かります!」


 やりぃ! 上げ潮はまだ続いてる。ほくほく。電話を切ったら、すぐ側に矢口さんが立っていて不安げに私を見上げていた。


「あ、あの」

「え。なに?」

「ここの家具とか持っていけるんですか?」

「そう。先生は寿だから、カレシと一緒に揃えるんでしょ。今までのは間に合わせの安物だから捨てるしかない。でも、使えるのにもったいないよね」

「はい」

「しっかり有効利用させてもらおうよ。寝具や食器、電化製品、台所用品を買わなくて済むのはすごく助かる」


 で。一つ指摘しておく。


「問題はー」

「うん」

「衣食住の衣、なんだよね」

「……う」


 さっと青ざめる矢口さん。あのバッグパックに詰められる衣類はうんと限られている。このままだと、しばらく着たきり雀になっちゃう。

 私は対外的な属性を『男』にしているから、衣の部分の手が抜ける。そもそもおしゃれに関心がないので、ぶっちゃけどうにでもなるんだ。女の子はそこがなあ。


 厄介なのは私に女性の知り合いがいないということなんだ。

 カレシができた先生は、私からの全力離脱を図ってる。そのアクションは当然だし、私も配慮しなければならない。共有物の所有権放棄をしてくれただけでも十分ありがたいんだ。これ以上迷惑をかけられない。

 でも先生を除くと、本当に伝手がないんだよなー。私がすぐ思い付く線はユウちゃんなんだけど、ユウちゃんがぱったり店に来なくなっちゃったから連絡の取りようがない。それに、ユウちゃんの兄貴が絡んじゃうからうかつにアプローチできないし。

 もちろん、私の母は論外だ。村尾さんがいればなあ……。


 矢口さんに信頼できる友達がいるなら、その人をあてにするのが一番いいんだけど、どうも彼女はぼっちっぽいんだよね。

 頼れる友達がいたら丈二さんの過干渉を相談していたと思うし、もう少しマイルドな距離確保の方法を模索できたはずなんだ。矢口さんが一人で全部抱え込んじゃったことが、家出までぶっ飛んだ原因のような気がする。


 まあ、いい。今は無闇に掘り下げてもしょうがない。現実問題として、どうやって衣類を揃えるか、だ。店長や岡田さんなら何か考えてくれそうだけど、もう十分迷惑かけてるからなあ……。

 緊急度が高い事案だとはいえ、今日の優先順位としては後回しにせざるを得ない。


「ちょっと対応策を考えといてね。今日は契約と入居を優先しないとなんないから、そこまで踏み込めないの」

「うん」

「で、このあと食器とかのパッキングを手伝ってくれる?」

「あ、そっか……」

「バイトに出る前に、シェアハウスに持ってくものを出来るだけ箱詰めしとかないと」

「はい!」


 そう。物の有効利用はそんなに難しくない。一番有効利用が面倒なのは時間なんだ。過ぎてしまった時間を取り戻すことはできないからね。

 さあ、先生が出勤するまでの間も無駄にしないで、確認とパッキングをできるだけ済ませよう。今日は忙しくなるぞー。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る