第5話 事情説明
私的には矢口さんがシェアメイトになってくれるのはありがたい。嬉しいではなく、ありがたい。単純に、家賃と光熱費を折半できるからだ。
でもそのままゴーにならないことは、いくら私が世間知らずでもわかる。矢口さんはまだ未成年で、契約に際して親の同意と保証がいる。それが最大の難点だ。だって、見るからに家出だもん。親に居場所を知られれば必ず連れ戻されてしまう。私や岡田さんに対しての警戒は、その一点に集約されていたと思う。
再びベンツに乗ってオフィスに戻った私と矢口さんは、岡田さんが何をどう言い出すかを固唾を飲んで見守っていた。
「まず」
「はい」
「契約に関しては、成人している小賀野さんがいる時点でクリアできるんだよ」
「あ、そうか。私が借りて、支払いも私一人でしている……そういう体裁を取ればいいってことですね」
「その通り。だが、それだと矢口さんが自宅住所を書けない。大学の諸手続きが滞ってしまう。住民票を移せないからね」
「うーん、そっかあ」
しょぼーんと肩を落としている矢口さんを見下ろして、岡田さんが直に突っ込んだ。
「俺としてはあの家を遊休地にしておきたくないんで、借りてくれるのは大いに助かるんだ。あそこで暮らせるようにサポートをしたい。そのために、矢口さんがなぜ家を出たいのか、帰りたくないのかを正確に教えてほしい。そうしないとフォローのアクションが起こせない」
そりゃそうだ。私がうんうんと頷いていたら、岡田さんの追求の矛先が、先に私に降ってきた。
「小賀野さんも、シェアには理由があるんだろ? 大学に入る前からのシェアだから」
うまいなあ。先に私の事情を聞き出しておいて、矢口さんがゲロしやすいよう地ならしをしたんだろう。店長も寝業師だけど、岡田さんも負けてないね。まあ、私は自分の事情を誰にも隠すつもりはない。正直に話すだけだ。
「私のはすごく特殊なので、あんまり参考にならないと思いますけどね」
「ふうん?」
「母が私に全依存しちゃったんですよ。小さい頃から徹底的に囲い込まれて、家から出してもらえなかった。私は今まで学校に行ったことがありません」
「ひ、ひえっ」
矢口さんが大仰にのけぞった。岡田さんも口を半開きにしたまま絶句してる。
「閉じ込められた家から出るのに二十年かかりました。脱出するためには、手段なんか選んでられなかったんです」
「それでシェアメイトに協力してもらったということだな」
「そうです。寿退所は寝耳に水でしたけど、彼女を強引に巻き込んだのは私です。退所を少し待ってほしいなんて言えません」
「なるほどなあ」
「それ、ほんと?」
矢口さんはまさに疑いの
「嘘をついたってしょうがないよ。私は絶対に実家に帰らない。帰りたくないではなく、帰らない。その事実だけで十分でしょ」
「なんで帰らないの?」
「閉じ込められるからさ」
「だって、もう成人してるんでしょ? 閉じ込めるなんて、物理的に無理じゃん」
「物理的には、ね」
閉じ込める、の意味をもう少し掘り下げて考えてくれると嬉しいんだけど。まだ無理か。
岡田さんは矢口さんと違って何か察したんだろう。矛先をさっと矢口さんに戻した。
「なあ、矢口さん。小賀野さんが言いにくい事情をあえて
「う……」
そう。本筋は私じゃない。未成年の矢口さんなんだよね。岡田さんが何か方法を考えてくれるにしても、手持ちのカードがないと何もできないんだ。
本当はどうしても言いたくなかったんだろう。でも事情を話さない限り家を借りられない矢口さんは、ゲロするより他ない。ものすごく言いにくそうに、ぽつりぽつりと事情を話し始めた。
◇ ◇ ◇
なるほどなあ。私のケースにかなり似ている。私ほど極端ではないにせよ、ね。
諸悪の根源……と言ったらかわいそうかもしれないけど、矢口さんの母親、
萌絵さんは最初の夫との間の子供なんだけど、母親は萌絵さんが生まれる前にその人と離婚している。今のお父さん、
お母さんのビョーキは治っていないらしく、まだオトコの間を渡り歩いている。今もこれまでも、ほとんど家にいたことはない。母親といっても名ばかりの存在で、萌絵さんは義父の丈二さんに育てられて来た。
丈二さんはとても鷹揚な人で、母親のご乱行を「あの人の性格だからしょうがない」と達観している。ただ、その反動が全部娘の萌絵さんにどっと降って来た。まめで家庭的なのはいいんだけど極端な心配性で、美少女の萌絵さんに『悪い虫』がつくことをすごく恐れ、一挙一動をずっと見張っているそうな。
幼稚園の時から行き帰りはずっと車で送迎。放課後や休日に友達とどこかに遊びに行くとかは絶対に許可してくれない。危ないからと、遠足や修学旅行にも行かせてもらえなかったそうな。もちろん、塾や習い事も
血の繋がりがないと言っても実の父親以上に頼りになる存在なわけで、萌絵さんは丈二さんの過干渉を受け入れてきた。でも、中学生になったあたりから極端な囲い込みアクションがだんだんしんどくなった。
年頃の女の子を幼児のようにひたすら守ろうとするのは無理があるよね。私の母にも同じようなところがあったから、萌絵さんが丈二さんの過干渉に
それに実の親ではなく血の繋がりのない義父だから、過干渉がいつ性的圧力に変わるか気が気でない。高校の間はぎりぎり我慢したけど、大学に入ってまで過干渉が続くと精神が保たない。もう家を出たい。
そうは言っても、自宅から通える大学なのに下宿するなんざもっての他で、家を出たいという萌絵さんのリクエストに丈二さんが首を縦に振ることはこの世の終わりが来てもない。スポンサーは親だから、丈二さんに兵糧攻めされると白旗を上げざるを得ないんだ。悶々と思い悩んだ挙句、とうとう家出を決行した、と。
私はすんなり納得したけど。岡田さんが納得したのは半分だけらしい。すかさず突っ込みが入った。
「ふむ。じゃあ、あれだ。俺のところに来たのは、住むところをもう決めたから家には帰れないという既成事実を作るためだったということだな」
「はい」
「順序が逆だよ。さっきも言ったが、未成年のうちは契約に親の了承が必要なんだ。あと二年の辛抱だったのに」
岡田さーん、確かにそうなんだけどさー。人の心ってのはそこまで丈夫に出来てないよ。ましてや丈二さんにぎっちり囲い込まれていたら、思考の範囲もその中に押し込められていたはず。脱出プランの幅と深さが縮んじゃうんだ。
私の立てた実家脱出作戦だって、結果オーライのところがいっぱいあった。店長という素晴らしいサポーターがいなかったら、どういう結果になっていたかわからない。おっと、一つ確認しておこう。
「ねえ、矢口さん。ここを紹介してもらったんだから、丈二さんと繋がりのない支援者がいたってことでしょ? さっきの大西さんだっけ。その人に協力してもらえないの?」
「支援者じゃない。単なる情報提供者だから無理」
矢口さんが、ぶすくれた顔で切って捨てた。私には貴重な伝手のように思えるんだけど、岡田さんの見解も否定的だった。
「大西は矢口さんの母親にアピりたいだけだろ。それ以外の深い意図はないな。あいつはまるっきりあてにならん」
そうなのか。うーん、私もまだまだ甘いんだな。
腕組みを解いた岡田さんが、私情を交えずばさっと事実を放り出す。
「まず。俺はあんたの居場所を隠せない。現状では親の権限がもっとも強いんだ。あんたの意思がどうであれ、親から娘をたぶらかしたと訴えられたら法的に太刀打ちできない」
「う……」
くたくたに萎れてしまう矢口さん。でも、岡田さんの話はそれで終わりじゃなかった。
「ただ、あんたの居場所を親に知らせた上で、父親があんたにアクセスできない状況を作り出すことは可能なんだよ」
「えっ? そんな方法があるんですかっ!」
目を血走らせて、矢口さんが身を乗り出す。
「難しいことじゃないよ。シェアハウスを女子寮にすればいい」
ごいーん……。思わずぶっこける。
「えーとー。岡田さん。それって、私に女になれってことですかー?」
「ふりでいい。ふりで。今時ボーイッシュな女性なんざ掃いて捨てるくらいいる。幸い小賀野さんは見た目が性別不明風なんだ。口裏合わせておけば問題ないだろ」
そう来たか!
「でも。それって、もし矢口さんのお父さんに私の本性がばれたら、私が
「そのリスクはある。もっと強力な対抗策が要るから、あんたのボスと話を詰めるさ」
「中里さんと?」
「そう。あいつは俺よりずっと腹黒いからな」
そっかなあ。どっちもどっちだと思うけどなー。
岡田さんはつらっと対応プランの話を続ける。
「調整は必要だが、基本線はそれでいける。建物に女子寮っぽい看板をつけておこう。住民登録は住所と名前だけでいいから、そこに建物名を書き込む必要はないんだ。小賀野さんには悪いが、表札に出す名前はカタカナにする」
「了解です。源氏名にしてたこともあるから、問題なし」
「は?」
岡田さんと矢口さんの目が揃って点になった。
「あんた、水商売してたことがあるのか?」
「いや、中里さんがやってるレンタルカレシ業に短い間ですけど、登録していたことがあるんですよ」
「うおー、あいつそんなことやってたんか」
「知らなかったんですか?」
「関わりはあるが、トモダチなんかじゃないからな」
さもありなん。過去になんかあったっぽいし。
「中里さんはレンタルカレシもレンタル業務の一環に過ぎないって言ってました。貸すもん増やした、それだけやって」
「俊らしいな。それにしてもあんたがそんなヤバい商売に手を出すとは。人は見かけによらんな」
「中里さんにも最初にそう言われました。私が登録したのは、家を出るための手段だったんですけどね」
「さっきの話だな」
「はい。矢口さんも苦労してるし、これからも苦労すると思うけど、自力で稼げないとなかなか独立できないんですよ」
岡田さんが、ぺんぺんと首の後ろを叩きながら頷く。
「確かにな」
「お父さんとの距離を物理的に確保できても、経済的な弱みを握られている限り、矢口さんは精神的に独立できないの。わかります?」
「……」
「小賀野さん、詳しいな」
「そりゃそうですよ。私は今もそれで苦労してますから。私はまだ社会人じゃない。単なるバイトで、見習いもいいとこです。学費も親に出してもらってる。精神的に独立していると胸を張って自慢できるわけがない」
「ふむ」
「でも、家にだけは戻らない。そのためにできることなら何でもする。それだけです」
何やらぱさぱさと書き連ねた岡田さんは、それをぐるっと見渡してから宣言した。
「俺のところは訳ありに物件貸すのが商売なんだ。今回もその基本線に
そりゃそうだ。契約は私がすることになる。もし矢口さんがやっぱりダメということになったら、単騎になった私がえらいこっちゃになる。今はまだ無理だ。
「それと」
岡田さんが口をへの字に曲げた。
「今日明日の居場所だけは俺には確保できん。矢口さんの隠し場所……具体的に言えば安全に泊まれるところを探さんとならん」
「ビジネスホテル、とかですか?」
「その格好でフロントに顔を出したら、家出人だとすぐ見抜かれる。論外だよ。一人は危ないし」
確かにそうだ。うーん、それなら……。
さっと提案する。
「今月いっぱいまでは今のシェアハウスが使えるので、うちに泊まればいいかな。シェアメイトが女性だから、矢口さんも安心でしょ?」
「助かるが……シェアメイトの了解は得られるのか?」
思わず苦笑した。
「今は、シアワセの絶頂でとことん舞い上がってます。大丈夫でしょ」
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