第4話 内覧
電車を乗り継いで見に行くのかと思ったら、岡田さんが車を出してくれるという。不動産屋の車だからドアに社名が印刷されたバンだろうという私の予想は、とんでもなく大外れ。私たちの前に停車したのはメタリックグレーのごっついベンツだった。
「げ……」
どんなに私が世間知らずだって言っても、ベンツに乗る人が金持ちだってことくらいわかるよ。全力でびびってしまった。
私と矢口さんを後部座席に押し込んだ岡田さんは、こともなげに車を発進させた。
「例の物件は、D大文系キャンパスがある山王の隣町、
「家賃はどのくらいですか?」
「八万。敷金礼金管理費はなし。光熱費は受益者負担」
そうか。先生と暮らしている今の平屋より一万安い。それが事故物件割引ということなんだろう。
「大家さんは近くに住んでるんですか?」
「借りてたやつが家賃踏み倒して逃げた上に、幽霊付きだろ? あちこちの不動産屋をたらい回しされて、最後にうちに流れて来たんだ。二束三文になってたから、俺が買い取ってオーナーになってる」
「わあお!」
つまり、何かあれば岡田さんに直接話をすればいいということ。それは楽だ。仲介する不動産屋と管理会社とが割れてると、意外に面倒なんだよね。先生が結構苦労してた。
一方矢口さんは、さっき岡田さんの口から出た幽霊付きという言葉でもう絶対に無理だと思ったんだろう。真っ青になって震えている。
「さて、着いたよ」
岡田さんは車を大きなスーパーの駐車場にとめて、私たちを下ろした。先に降りて後部座席のドアを開けてくれた岡田さんが、荷物を持って出ようとした矢口さんを押しとどめる。
「荷物は車の中に置いといていいよ。邪魔だろ」
「あ、はい」
へえー。おもしろいなあ。岡田さんは席を勧めてくれたり、荷物に配慮してくれたり、ちゃんと私たちに気を遣ってくれてるんだよね。ぶっきらぼうな態度や言葉遣いとの間にすごく落差があるんだ。おっとっと、ぼーっとしてたら置いていかれちゃう。
早足で先導する岡田さんに付いて駐車場の端を回り込み、ごちゃごちゃと古い家が立ち並んだ一画に踏み込んで行く。確かに住宅地だけど、見るからに空き家の多い地区だということはすぐにわかった。岡田さんの説明も、そこから始まった。
「このあたりは、宅地開発されてすぐ建売がたくさん並んだ地区でね。
「なるほどー」
「その頃ここに住んでいた人たちが年を取り、櫛の歯が欠けるように退出していってる。空き家を有効利用したくても、今の基準じゃ狭すぎてね。再開発待ちってとこかな」
「だから空き家が多いんですね」
「そう。ああ、ここだよ」
岡田さんが持っていた鍵をちゃりっと鳴らした。四方八方が二階建て住宅の中で、その家だけは平屋。べっこりへこんでいるように見える。ただ、敷地の広さは二戸分あって、上の階を下ろして横に並べたという印象だ。
建物以外の敷地スペースは辛うじてあるけど、隣家との境界代わりという使われ方のせいか味も素っ気もないただの地面だ。正面以外の三方が二階建ての家で囲まれているから日当たりは悪い。他の家が道路にびちびち面しているのに、その家は門から三メートルくらい奥まったところにあるのでなおさらだ。いかにも幽霊が寄り付きそうな薄暗さで、事故物件でなくても敬遠されるだろう。
外壁はくすんだグレイ。それが地色か風雨で色褪せたからかはわからないけど、古いぼろ家という印象そのまま。明るい色に塗り替えたら、もうちょいましになるような気がするけどなあ。
建物が古くて重い屋根瓦を支えきれないからか、周りの家と違って薄っぺらいスレート瓦の屋根だ。重厚感がなくてすごく貧相に感じる。瓦の色は壁と同じでグレイ。幽霊つきというより、家そのものが幽霊みたいに色が乏しい。でも……。
「おやあ?」
よく見ると、あちこちにちょこちょこ修繕を入れてるみたいだ。屋根瓦はまだ新しいし、リビングのガラスサッシや玄関扉も新品に交換されてる。雨漏りがーとか、ドアが歪んで開かないーとか、そういうことはなさそう。
だけど調和とかバランスとかは一切無視なんだよね。あとから窓枠を切り直したのかリビングの窓が妙に縦長で平屋の雰囲気に合ってないし、玄関扉だけがぴかぴかで目立つっていうのもなあ。古くなって傷んだ部分をてきとーに入れ替えましたーみたいな、サイボーグ感がある。
「上がって」
「はい」
靴を脱いで家の中に踏み込む。下足スペースは狭い。靴を二つ並べるのがやっとだ。先に上がった岡田さんが家の中の明かりを点けて回ると、薄暗くて気味が悪いというイメージががらっと変わった。すっごいきれいじゃん! これは嬉しい予想外だ。
狭くて細長い廊下の左側に二部屋。手前が客間、奥が仏間で、どちらも畳敷きの四畳半だ。名前は別だけど間取りはほぼ同じ。仏間の方は押入れが半間少なくて、そこが仏壇置き場になっている。今は何も置かれていないので、ぺこっとへこんだただの空きスペースだ。
室内はきれいにリフォームされている。壁のクロスや天井の塗装、
「こっちがリビングだよ」
廊下の右側がリビングで六畳半。右奥にキッチンスペースが併設されている。リビングも壁紙や天井クロス、床のフローリングが一新されていて、今先生と住んでいるところよりもずっと上等だ。
外から見た時にはみっともなく感じた縦長の窓は、中から見ると別印象になる。開放的でとても明るい。そうか、障害物がないのは正面側だけだから採光を優先したんだな。
「思ったよりずっときれいだなあ」
「そうだろ?」
満足そうに岡田さんが頷く。
シンク周りも古いのを撤去して入れ替えたんだろう。コンパクトだけど、新品同様で使用感がない。コンロは二口のIH。ガスが引かれてないみたいで、オール電化ということになる。なんか、すごいぞ。
居間の奥に独立したバストイレユニットがあり、廊下の突き当りは横に細長い変なスペースになっていた。
「ここ、前は板戸で隔てられていて、向こうが縁側だったんでしょうか」
そう言った矢口さんが、きょろきょろと変てこスペースを見回した。
「あたり。よくわかったな。すぐ奥に家が建って、縁側の意味がなくなったんだ。目の前、壁だからな」
「あ、そうかー」
「で、ここのオーナーが
私も矢口さんと同じように首を突っ込んで、細長いスペースを確かめる。
「この幅と形だと部屋としてはきついから、物置代わりですかね」
「それしかないと思うよ。収納スペースがすごく少ないから、ここを収納として有効利用してもらうことになるね。あとバストイレも見てくれ」
「はい」
キッチンもきれいだったけど、バストイレは完全に別物だった。いいホテルのバスルームみたいな高級感があって、しかも新しい。そこだけまるっきり世界が違う。
「もともとは狭いトイレ、風呂、納戸がびちびちに並んでたんだ。それを全部潰して、大型のバストイレユニットを入れたんだよ。建設途中に業者が倒産して落成しなかったシティホテルがあってね。中で使われるはずだった現物が浮いたんだ。それを買い叩いた」
「ここで生活したいって言う人がいそうだなあ」
私の冗談に、岡田さんが屈託なく笑った。
「はははっ! そうだな。日照が足らないし断熱が貧相だから、居住スペースはかなり寒い。でも、この中は暖かいからね」
ざっと室内を見せてもらって、予想以上の優良物件だという印象になった。問題は家賃だよなあ。今の倍まではいかないけど、バイト代で賄うにはきつい。光熱費の負担もあるから、どんなに節約しても無理がある。
「シェアできる人を探すしかないよなあ……」
私がぼそっとこぼしたら、岡田さんがおかしなこと言うなあという調子で突っ込んだ。
「そのためにあんたらを連れて来たんだ。あんたらでシェアすればいいだろ」
「私は構わないですけど、矢口さんがうんと言うかなあ」
そう。私は最初から矢口さんを員数に入れてなかったんだ。私を見た時の警戒反応、幽霊付きという言葉への強い嫌悪、そして未成年の契約には親の同意が要るという岡田さんの警告。矢口さんがシェアを承ける要素は一つもない……はずだった。だけど。
「あ、あの」
「なんだい?」
「ここ、いいですね」
お? なんじゃとて?
思ってもいなかった矢口さんのプラス評価に、今度は私が固まる。
「ふうん。気に入ったかい?」
「お部屋がきれいですし、買物にも便利。大学にも歩いて行けそう。夜も暗い道を歩かなくて済むし」
「そう。そこも売りなんだよ。通学路は明るい国道沿いだし、遅くまでやってるスーパーの真裏だから夜も明るいんだ。ちょっと空き家が多くて寂しいってのはあるけどね」
「一人で住むのはあれですけど、シェアなら」
そう言って、ちらっと私を見た。うーん、最初の印象と違ってかなりズレてる子のような……。ちゃんと確認しておいた方がいいな。
「私は構わないですけど、大丈夫かなあ」
「なにが……ですか?」
「共同生活ってのは結構ストレスが大きいんです。いくら部屋が別々っていっても、自宅で暮らすようなわけにはいかないから」
「あんたはいろいろあったのかい?」
岡田さんには話をしてあったからな。一応矢口さんにも話を通しておこう。
「ええとね。私は今現在シェアで暮らしてるんです。シェアメイトはわたしの八つ年上の女性で、このたび寿退所することになりました」
「えええっ?」
矢口さんが悲鳴とも驚きともいえない変な声を出した。
「ずっと私のかてきょをしてくれてた人なので、お互いのことはよく知ってます。社会人と浪人生ですからほとんど生活時間は重なりませんし、相互干渉はミニマムでした。同居はしてても完全独立に近いんです」
「シェアでよくトラブルになる距離感のずれが小さかったということだな」
「そうです。だけど家族でも友人でもありませんから、最初は結構大変で……」
「彼女の方が、だろ」
「ええ。共同生活になじむまで結構時間がかかったんですよ」
私は先に慣れちゃったから状況判断を誤った。先生もシェアに慣れたと思い込んでしまったんだ。違うよね。先生は、いつまでも慣れないから離脱を急いだんだ。
「よく知ってる同士でもぎくしゃくするんです。全く知らない同士だといろいろ出て来ちゃうと思うけど、大丈夫?」
「……」
黙り込んじゃった。溜息混じりに岡田さんが助け舟を出した。
「最初からうまくやろうとするからストレスになるのさ。恋人同士ってわけじゃないんだ。とりあえずシェアしてみて、どうしてもだめなら次を探せばいいだろ?」
「……はい」
矢口さんの不安とか警戒心みたいなものは一ミリも減ってないと思う。だけど、矢口さんには切羽詰まった事情があって背に腹は変えられないんだろう。きつく唇を噛み締めたまま小さく何度か頷き続け、最後に絞り出すように言った。
「お願い。シェア……させてください」
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