第3話 美少女登場

「さっきの一軒家っていうのは、どんな感じのところなんですか?」


 お財布的にも時間的にも物件を選り好みする余裕がないから、岡田さんのお勧めを見せてもらうしかないんだけど。もうちょい具体的な情報が欲しい。


「ここと同じで、夜逃げ物件だよ。古い平屋だ。2DK」

「ずっと空き家だったんですか?」

「いや、借りたいというやつは結構いるんだが、誰が入っても一ヶ月と保たないんだ」

「なにか理由が?」

「出るんだよ」


 岡田さんが両手を胸の前でだらりと垂らした。


「幽霊ってことですか?」

「俺は見たことないからわからん。だが入居者は揃って『出た』と言ってる」

「……」


 なるほど。ぼろ家、夜逃げ、プラスお化けつきか。確かに条件としては最悪なのかもしれない。


「改装はされてるんですか?」

「室内はね。誰も長く住めてないからきれいだよ。外装はぼろぼろだけど、見栄を張ってもしょうがないからな。雨風しのげればいい」


 合理的思考が徹底しているなあ。店長みたいにジョークで話に起伏をつけることはないけど、皮肉を言ったり蔑んだりというネガを感じない。いい意味で乾いている気がする。

 岡田さんは、私が幽霊話を聞いても平然としていることにいささか驚いたらしい。


「あんたはそっち系平気なのかい」

「幽霊なんて、もし出たとしても実害なんかありませんよ」

「ふうん」

「一番怖いのは、生身の人間です」


 薄笑いを浮かべていた岡田さんは、その笑いをさっと引っ込めた。


「その通りだ」


 がっちり腕組みした岡田さんが、その通りと言ったきり黙り込んだ。沈黙を打破する言葉が思いつかなくて私も黙っていたんだけど。ふと外に目をやった岡田さんが急に顔をしかめた。


「ちっ! なんて日だ。まあた客が来やがった」


 は? なんか、とんでもないセリフを聞いたような気がするんだけど。私の間抜け面に悪態をつくようにして、岡田さんがずけずけ言い放つ。


「訳ありがのこのこ店舗に来るかよ。ほとんどのやつは電話で済まそうとするのさ。そっちは慣れてる。飛び込みの方が厄介なんだよ」

「あの、どうしてですか?」

「正体を隠せないほど切羽詰まってるからだよ。あんたもそうだと思うが、もう逃げ道がないやつほど飛び込みで店に来るんだ」


 言われてみればその通り。全力で納得してしまう。そうか。店長が電話番号を教えてくれなかったのは、私の切羽詰まった状況をきちんと岡田さんに伝えるためか。

 それにしても。店長も人間観察力がすごいなと思うけど、岡田さんも負けてない。知り合いって言ってたけど、店長とはどういうつながりなんだろう。好奇心がむくむくと膨らむ。


 私と岡田さんがドアを見つめていたら、ドアの前に立った黒っぽい人影がそのまま静止してしまった。


「はは。店のイメージが想像してたのとまるっきり違ったから、入ろうかどうしようか迷ってるんだろ。若い女だ。学生かもな」

「あんなぼやっとしたシルエットだけでわかるんですか?」

「わかる。まあ、職業病みたいなもんだな」


 不動産屋にそんなスキルが要るんだろうかと首を傾げていたら。意を決したのかドアがきっと小さく軋み、首だけが先に入って来た。確かに若い女性っぽい。まだ警戒心剥き出しで、何かあったらすぐ逃げられるようにという態勢なんだろう。でも最初の私と同じで、ここは本当に不動産屋なんだろうかという怪訝な表情を浮かべた。


「まあ、入んなよ。取って食いやしないって」


 手招きした岡田さんがカウンターの向こうにいるのを見て少し安心したのか、首に続いて本体が中に入ってきた。で、ぎょっとする。なんて日だ! さっき岡田さんが言ったセリフを、今度は私が繰り返す。

 黒い極太セルのメガネ。黒ジャージのような変な服装、結び目が左右でズレてるださいツインテール、ホムセンに一山いくらで積んであるようなチープな白スニーカー。わざとらしい変装でなんとかくすませようとしているものの、それでもくすみようがない最上級の美少女だった。

 なめらかなフェイスライン、ぱっちりした二重の目、通った鼻筋、形のいい唇。それらの配置とバランスが神がかっている。顔だけじゃない。私より少し低いくらいだから身長が160センチ中盤くらいあって、プロポーションも良さそうだ。

 美術館なんかに置いてある女神像がリアルに動いてるみたいな見事な造形美で、思わず手を合わせて拝んでしまいそうになる。トムが見たら、派手に鼻血吹いてぶっ倒れるだろう。


 岡田さんは、彼女だけでなく私の様子も併せて見ていたようで、ふんと鼻を鳴らした。あまりの造形美に全力で驚いた私が、それ以外の反応を示さなかったからだろう。私はそっち系のリアクションはしないし、できないからなあ。

 私をじろじろ見回した岡田さんが、ぼそっと言った。


「あんたも枯れてるなあ」

「こういう性分なので」

「じゃあ、あっち系か」


 ゲイやバイをイメージしたかな。そういや、店長も最初そっち系の警告をしたっけか。


「そのけはないですねー」

「ふうん」


 岡田さんが、女の子にさっと視線を移す。それからスツールを指差して着席を勧めた。


「まあ、座んなさい。あんたも部屋探しだろ」

「はい。ちょっと急いでて」


 ちょっと? いや、ちょっとどころの話じゃなさそう。切迫感はんぱないし、背負っているバッグパックがばかでかい上にぱんぱんだ。誰がどう見たって家出娘そのものでしょ。今日の居場所すらないんじゃないの?

 彼女をじろじろ観察していた岡田さんは、両手を腰に当ててふうっとでかい溜息をついた。


「きついなあ。あんた、未成年だろ。うちでは、未成年の契約に際して親権者の同意と保証を求める。他の不動産屋も似たり寄ったりだと思うぞ」


 で、くるっと私の方に向き直り、同じセリフを繰り返した。


「あんたも以下同文、だ」

「私は成人してます。浪人してるので」

「ああ、そうか。線が細いから未成年かと思った」


 岡田さんは、未成年だから絶対だめと突っぱねるつもりはないらしい。さっき「きついなあ」と言ったのは、物件を斡旋するには支障が多いという意味なんだろう。余計なお説教一切なしで、私の時と同様に希望条件を聞いた。緊張しきった面持ちで、女の子がつっかえつっかえリクエストを並べていく。

 四月から大学に通うので、部屋を借りたい。お金に余裕がない。古くても汚くても狭くてもかまわないけど、バストイレが共用なのはいや。


 条件は私とほぼ同じだから、岡田さんの返答も私に対するのと全く同じだ。

 いかに事故物件専業と言っても、好条件のアパート系物件はすでに払底している。マンション系は安く借りられるところがない。家をシェアできるなら心当たりが一つある。


 そこまでたたっと答えた岡田さんが、持っていたボールペンで自分の額をこんと小突いた。


「おっと、うっかりしてた。一日に二人来店することなんか滅多にないから、条件聞くのが先になって、あんたらの名前をまだ聞いてなかったな」


 さっきの私と同じように「ここ大丈夫か?」という表情になった女の子をさっくり無視して、岡田さんがボールペンで私を指し示す。


「まずあんたの方から」

「小賀野。小賀野類です。小さいに年賀の賀に野原の野。分類の類、です」


 さっと書き留めた岡田さんが、ボールペンを女の子の方に向け直した。


「あんたは?」

「……」


 彼女はしばらく逡巡しゅんじゅんしていた。ここで名前を明かして親に連絡されると連れ戻される……そう思ったんじゃないかな。でも岡田さんは、そんな彼女の気遅れに配慮も容赦もしなかった。


「仮名、偽名のたぐいはお断りだ。うちは事故物件を扱っているけど、裏業者では決してない。不法滞在者や指名手配犯をかくまうことはできない。犯罪の片棒を担ぐと、俺の人生が詰んでしまうからな」


 がっくり肩を落とした彼女は、身元隠しを断念したんだろう。ぼそぼそと名前を口にした。


矢口やぐち。矢口萌絵もえです。弓矢の矢に食べる口。草かんむりに明るい、絵本の絵」

「矢口、か」


 岡田さんが、ボールペンを顎に当てて考え込むようなポーズをしたあと質問を重ねた。


「うちのことは誰から聞いた?」

「……」


 矢口さんはさっきと同じようにどうしようかしばらく迷っていたものの、黙秘を諦めて素直に紹介者の素性を明かした。


「大西という人です」

「ああ、たぶん新宿スピレーンの大西だな。わかった」


 ?? 私にはさっぱりわからないけど。岡田さんの知り合いなんだろうか。

 岡田さんは、それ以上突っ込んだ話には持っていかず、私と矢口さんのリクエスト表を見比べている。で、顔を上げるなり矢口さんに追加質問した。


「矢口さん、あんたがこれから通う大学はどこだ? 知り合い当たるにしても、地区を絞らないといかんからな」

「あ、D大です。文学部」

「えええっ? D大? 同じじゃん!」


 びっくりして、声がひっくり返ってしまった。


「え?」


 私の過剰反応を見て、明らかに戸惑っている。声に強い怯えが混じった。


「小賀野さんと同じで、山王の文系キャンパスだな」


 満足そうに何度か頷いた岡田さんは、彼女の怯えを一切斟酌しんしゃくしないでつらっと提案した。


「同じ大学に通うならちょうどいい。さっき言った物件を見に行こうか。シェアして家賃を折半すれば、ほぼ条件ぴったりだろ」


 バストイレは共通になるけど……。でも最初からダメというよりは物件を見せてもらった方がいいよな。とにかくどんどん経験値を上げないと無駄に時間だけ食ってしまう。猶予はそんなにないんだ。そう割りきってスツールから降りた。

 矢口さんの顔には絶望がべったり張り付いていて、スツールにへたり込んだまま動かない。気持ちはよくわかるんだけど、今は贅沢言ってる場合じゃないと思うよ。


「あの、矢口さん、だっけ」

「……」

「どうするかはともかく、今はまず物件を見ないと始まらないよ。他をあたるにしても、経験値積み上げないとうまく探し出せないから」


 岡田さんが、私を横目でちらっと見てからにやあっと笑った。


「なるほど。さすが、俊の弟子だな。とことんタフだ」


 弟子……すか。なんだかなあ。


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