第2話 オカダ不動産

 店長と差し向かいで困ったを連呼しているだけでは事態が何一つ改善されない。店長に事態の深刻さを理解してもらうには、シフトの話をするのが一番だ。


「店長。それはそうと、四月以降、私とトムの穴を埋められそうですか?」

「うーん」


 どんぴしゃり。さっきまで私をいじってにやにやしていた店長の顔が急に渋くなった。よしよし、作戦成功。


「まあ、そんなに難しい仕事やないからな。ルイとトムのサポがしばらくあればなんとかなるやろ」

「そこですよ、問題は」


 ここぞとがつがつ畳み掛ける。


「今の私の状況だと、次の落ち着き先を決めるまでサポートする余裕が……」

「緊急避難やから一時的に実家に帰ればいいんちゃうの?」


 冗談じゃない! 絶対拒否だ。


「せっかく撤去した鶏小屋を再建築されるのは困ります。家を建てるのは大変ですけど、鶏小屋なんかあっという間にできてしまいますから」

「それもそうやな」

「大学を卒業して職を決めるまでは、実家に帰るつもりはないです」

「ご両親とはやり取りしてるんやろ?」

「父とはしてます。ただし、電話と『外』で」

「ふむ」


 腕組みしたまま考え込んでいた店長は、何かを思い出したようにちっと舌打ちをし、事務机から雑紙を出して住所を書きつけた。


「知り合いが、三日島みつかしまちゅう町で小さな不動産屋をやってるんや。オカダ不動産てとこ。言わんでもわかると思うが、まともなとこやない」

「げ……」

知り合いやからな」


 にやっと笑った店長は、すぐに真顔に戻った。


「せやけど、そこならたぶんルイでも手が届く物件があるはずや。ダメ元で行ってみぃ」

「助かります!」


 私の今の収入で入居できるところは限られるから、どこの不動産屋さんに行っても絞り込みはすぐ終わると思う。それでも、あちこち回って探すとなると時間も手間もかかる。安ければどこでもいいというわけにはいかないし、まだ社会常識が穴だらけの私は、劣悪条件を平気で押し付けようとする社員の魂胆を見抜けないだろう。店長の伝手つてなら、まんまと食い物にされる心配はないはずだ。


「じゃあ、バイト明けたらすぐに行ってみます」

「いや、あすこは気まぐれでな。午後は店ぇ閉めてまうことがようあるんや。今から行ってきぃ」

「いいんですか?」

「ルイが落ち着かんと、こっちの段取りがようつけられへん。それは困る」


 店長がさっき困る困ると言ってたのは、単に私の真似だけじゃなかったのかもしれないな。仕事きっちりの店長がシフトをわざわざ動かしてくれたんだ。時間を無駄にしたくない。


「じゃあ、お言葉に甘えて行ってきます」

「そこの社長……てか、店にはそいつしかおらへんから店の親父やな。岡田によろしう言うといてくれ」

「わかりました」


 さすが店長だ。いざという時には本当に頼りになる。先生の離脱を読めなかった失態はまだ取り返せる。さっさと次の居場所を決めて、新生活に備えよう。


◇ ◇ ◇


 ショップを出てすぐ、店長が書いてくれた住所をスマホで検索してオカダ不動産の場所を特定した。ショップからはJRと私鉄で都落ち方面。ドアツードアで一時間弱かかるけど、ものすごく遠いということはない。これから通うD大に比較的近いのもポイントが高い。

 ただ、店のある場所がちょっと変わってる。よくある商店街の中の店というわけではなく、ごちゃごちゃした家並みの中にはまり込むように位置している。三日島の駅前からは少し離れていて、十分くらい歩かないとならない。

 実家を出たあと行動範囲が広がったと言っても、シェアハウス、レンタルショップ、予備校というトライアングルの中に行動圏がすっぽり収まっていたから、行動エリアが一段と広がることに対しては、期待だけでなく不安があった。それにも慣れていかないとな。


 JRから私鉄に乗り換える。大きな川を二本渡り、都会的な街並みに古臭さが混じり始めるのをぼんやり車窓から眺めていた。車内に、間延びしたアナウンスがてれっと流れる。


「みつかしまー、みつかしまです。左側のドアが開きます。ご注意ください」


 おっと、ここだ。座席から立ち上がると同時に軋み音が響いて電車が止まった。ばたんと開いた腹から吐き出された客は、私を含めて数人しかいない。住宅街の中の駅だから、通勤通学の時間帯以外はのんびりしたところなんだろう。駅の出入り口は一箇所しかないので、帰りに迷うことはなさそうだ。

 無味乾燥な駅舎を出たところで、もう一度スマホの画面を見てオカダ不動産の位置を確認する。目抜き通り沿いじゃないから、探し当てるのが大変かもしれない。スマホのナビさまさまだ。

 近づいたり遠ざかったりする目的地の赤点を見ながら、見知らぬ住宅地の中をうろうろ歩く。まるで迷路のようだけど、一応目的地には近づいているらしい。


「このあたりかな?」


 『目的地付近です』の文字を確かめ、きょろきょろと周囲を見回す。いや……予想以上に住宅地ど真ん中。一般住戸以外のものは何一つないように見える。でも、私の目の前の家だけがちょっと違っていた。二階建ての普通の家なんだけど、作りがゆったりしてておしゃれだ。通りに面している大きなガラス窓にベタベタと物件情報の紙が貼られている。


「やった! ここだ!」


 無事にたどり着いたことにほっとして、貼られている紙を見渡す。で、猛烈な違和感を覚える。


「なんか、情報が古そうだなあ」


 新しい物件が登録されるたびに貼り替えているという感じがしない。店舗内部が丸見えにならないための単なる目隠しみたいだ。ここ、本当に大丈夫なんだろうか。いくら店長の伝手といっても、不安爆裂。

 びびりながら、『オカダ不動産』と小さく印字されているガラス扉のノブを掴んだ。ガラスと言っても素通しじゃなく、分厚い磨りガラスだ。醸し出している雰囲気がとても重厚で、窓の色褪せた物件情報のぺら紙とはまるっきりマッチしていない。あちこちにちぐはぐな印象が漂っている。うーん……。


「ごめんください」


 レンタルショップのごちゃごちゃしたヤードや事務室の小汚い佇まいとは全く雰囲気の違う、物の密度が低くてひんやりした空間が私を出迎えた。オフィスの奥の方が石目調の重厚なカウンターで区切られていて、手前に座面がターコイズブルーのおしゃれな金属製スツールが並べられている。壁や床の質感も照明もすごく洗練されていて、とても不動産屋という感じがしない。

 でも……オフィス内のどこにも人の気配がない。どういうこと?


「ええと。ごめんください!」


 さっきよりは少し大きな声を上げてみる。


「んが?」


 カウンターの向こうで変な声がして、ダークグレーの事務服を着た背の高い男の人がむっくり起き上がった。岡田さん……かな。さっきは姿が見えなかったから、もしかして床で寝ていたんだろうか?

 店長が知り合いだと言ってたけど、岡田さんは店長と全く雰囲気が違う。まず、めちゃめちゃ男前ハンサムだ。年齢は店長より少し下くらい、四十前半だろうか。髪にそこそこ白いものが混じっているけど、それがおしゃれに見えるくらい顔の造形が整っている。体も引き締まっていて、身のこなしが軽い。イケメンアクション俳優が目の前にいると錯覚してしまうくらい鮮烈な印象だ。


 岡田さんは、私を客として歓迎するでも部外者が来たと嫌悪するでもなく、低い穏やかな口調で来店理由を聞いた。


「なにか探し物かい?」

「あ、はい。四月から大学に通うんですけど、今住んでるところは今月いっぱいで出なければならなくて」

「出足が遅いなあ」


 いきなりばつっと突っ込まれる。とほほ……。


「ちょっと事情がありまして」

「知ってる」


 え?

 私の狼狽に全く頓着しないで、岡田さんがつらっと言った。


「うちはどこにも広告を出してないんだ。場所もわかりにくいところにあるし、まともな人はうちにはたどり着かない。あんたも訳ありなんだろ?」


 店長がまともじゃないって言ってたからなあ。頷くしかない。


「シェアハウスの相棒が、急に退去することになったんです」

「喧嘩別れかい?」

「いえ、寿です」

「はっはっは! 寿か。そりゃあめでたい」


 と言っておきながら、ちっともめでたそうな口調じゃない。からっからに乾いて、醒めてる。


「で、あんた的にはめでたくないってことだな」

「正直に言えば」

「ふむ。で、ここをどうやって知ったんだ?」

「中里さんから紹介してもらいました」


 ぴくっ! 岡田さんのこめかみに一本ぶっとい血管が浮いて、それがぐりっと動いた。


しゅん、か」

「しゅん、ですか?」

「あいつの名前だ。中里俊」


 いつも『店長』か『中里さん』だったから、名前がすごく新鮮に感じたりする。


「ちっ。ろくでもない」


 ろくでもないの対象が店長なのか私なのかはわからないけれど、歓迎されているわけではなさそうだ。


「で、どんな物件が希望なんだ?」

「安ければ安いほど。贅沢は言いません」


 私には私物と言えるようなものがほとんどないので、狭くても支障はない。ただ私の身体特性上、バストイレが共用のところは回避したい。素性を隠すつもりはないけど、見られてプラスになることはないだろうからね。そこらへんがどうにも面倒臭い。


「大学はどこ?」

「D大です。経済学部」

「文系キャンパスなら山王さんのうか。通うならできるだけ近い方がいいってことだな」

「その方が助かります」


 さっきはもろ敵視されたように感じたけど、やり取りはビジネスライクだ。客商売の丁寧さはないけど、ぞんざいに扱われているという感じでもない。店長も変わってるけど、この人も相当変わってるな。


 私が示したいくつかの条件を見比べていた岡田さんは、顔をしかめて腕を組んだ。


「月二、三万円くらいのアパート系はどこも埋まってる。手持ちの駒がない。それよりグレードが上がると五桁後半だ。あんたじゃ払いきれんだろう。あんたが前に住んでたとこみたいに誰かとシェアできるなら、ぎりぎり行けそうな物件が一つあるんだけどな」

「一軒家ですか?」

「そう。一戸建てと言っても、家とは言えんくらいのぼろ家だ」


 皮肉っぽく笑った岡田さんが、ずけずけと突っ込んだ話をし始めた。


「俊から、うちは訳ありだと聞かされてるんだろ?」

「はい。そう聞いてます。でも、私も訳ありなので」

「だろうな。じゃあ、ぶっちゃけの話を最初にしておく」

「はい」


 根性を据えないとだめだな。私が直立不動になったのを見て、岡田さんが苦笑しながら椅子を勧めた。


「立ち話もなんだ。座ってくれ」


 カウンターの前に並んでいたスツールの一つに腰を下ろす。岡田さんは相変わらず立ったままだ。私は見下ろされる格好になった。


「うちは確かに不動産屋なんだが、事故物件専業なんだよ」

「じこぶっけん、ですか」

「そう。住人にトラブルがあって空きになってしまったところさ」


 平然と、岡田さんが各種事情を並べていく。


「殺人や自殺、孤独死など、住人が部屋で亡くなった。麻薬の密造や違法ビデオの撮影など、犯罪の温床にされてしまった。あと、夜逃げとか失踪とかだね」


 げ……。


「俺に言わせてもらえば、家にしても部屋にしてもただの囲われたスペースだよ。住人が変わればスペースの性格も変わる。たとえ事故物件でも、割り切って住めるなら安くて快適な住居になるってわけだ」

「なるほど。でも、こだわりのない人ならいい物件ほど先に押さえますよね」

「その通りだ。だから初動が遅いって言ったんだよ。今だと、事故物件の中でも条件の悪いものしか残っていない」

「ううー……」


 条件が悪いというのは前に何があったかじゃなくて、駅から遠いとかバストイレがないとか、リアルな悪条件なんだろな。実生活に直結するデメリットは、できれば回避したいなあ。


 岡田さんが、私の顔を不思議そうに覗き込む。


「あんたは前歴を気にしないのかい?」

「気にしません。そんなのを気にしたら生きて行けません」

「ふむ。見かけによらずタフだな」

「そうなんですかね」

「肝っ玉が太そうだ、俊があんたを見込んでるんだろう。さもありなんという感じだ」


 私から視線を外した岡田さんが、店内をぐるっと見渡した。私もつられて中を見回す。事故物件専業だってことが信じられないくらい、清潔でおしゃれなオフィスなんだよね。


「違和感、あるだろ?」

「はい。バイトさせてもらってる中里さんのレンタルショップが、物資満載のカオス状態なので」

「はっはっは! そりゃしょうがないよ。業態依存の姿だからな。ここが実態に合わないのは、オフィス自体が事故物件だからなのさ」

「ええっ?」


 思わずもう一度中をぐるぐる見回してしまう。


「ここは、前は喫茶店だった。オーナーが夜逃げしたんだよ」

「あっ! それでおしゃれなんだ」

「浮気トラブルで店ン中で刃物振り回したやつがいて、あちこち血塗れだったけどな」


 ぐげげ。


「そんなのは、清掃すればすぐに元通りさ。ちょいきれい過ぎて俺のカラーにはそぐわないが、名より実を取った」


 うわあ、店長に負けず劣らずの徹底実利主義だ。さすが店長のスジ。はんぱじゃない。


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