第3話 迎撃
ドーナツによる浮上効果は長続きしなかった。岡田さんから来たアラートのメールに、ヤバい動画がくっついていたからだ。岡田さんの取り付けた防犯カメラはダミーじゃない。ちゃんと動画を撮り続けている。抑止力として機能するだけでなく、敷地内に勝手に入った人の違法行為をちゃんと記録できる。
真昼間に堂々と踏み込んできた中年男性は、整った容姿だったけど動きが荒っぽくて、見るからに激怒していた。忙しなく何度も呼び鈴を鳴らし、反応がないことにさらに苛立ってドアを拳でごつごつと叩いた。
私が黙って動画を見せると、めーちゃんは青くなるを通り越して白くなった。今の状態で丈二さんに会わせたら、めーちゃんが言い訳や決意宣言を口に出す余裕なんか一ミリもないだろう。それくらい徹底的に怯えている。
普段から暴力的ということではないと思う。でも、頭ごなしの命令、理屈でのねじ伏せ、反論を許さない高圧的な態度……いわゆるパワハラ系の姿勢がめーちゃんの自己意思発露を極端に押さえつけていると見た。
岡田さんが私たちの帰宅を急がせたのは、レンタルショップでの鉢合わせを恐れたからだろうな。迎え撃つ場所はあくまでも新居限定。レンタルショップは私たちが離れる時すでに臨時休業になってるから、張り紙を見た丈二さんは新居にとんぼ帰りするはずだ。丈二さんに先回りされたら全てが水の泡になる。急がないと。
無言のまま、最短時間で家に帰った。少し離れたところから家の周辺を見回し、誰もいないのを確認してからドアを解錠。先にめーちゃんを行かせ、私は後ずさる形で家に入ってしっかり施錠する。ドアのチェーンロックもかけておく。古い家に似合わない今風のごついドアが、これほど頼もしく感じられるとは思わなかった。
立てこもってすぐ、岡田さんにラインを流す。
『家に戻りました。中で待機しています』
速攻で返信が来た。
『そのままじっとしていてくれ』
了解と返して、ほっと一息つく。店長と岡田さんとで対処してくれると言っても、二人がどういう方法で丈二さんに対抗するのかさっぱりわからない。ものすごく不安なのは確かだ。
リビングのカーテンは閉めてあるけど、壁も窓も薄いから、外の気配は直にわかる。岡田さんの返信から少しして人の気配が家のすぐ近くで感じられた。丈二さんだろうか。いや、丈二さんならすぐに呼び鈴を鳴らすだろう。岡田さんか店長か、どっちかだな。
めーちゃんは地震の時避難するみたいにダイニングテーブルの下に潜り込み、膝を抱いて震えている。背を向けているめーちゃんに、手のひらで「
で。思わずぶっこけそうになった。
「すっげー」
怯えているめーちゃんに向かって、こっちゃ来いと手招きする。私がむふふ顔になってるのを見て混乱してたけど、好奇心には勝てなかったみたいだ。こそこそと四つん這いで窓際に近づいためーちゃんは、カーテンの隙間から外を見るなり、あんぐり大口を開けた。
「う……そ」
「まるっきり別人だよね」
「うん」
いや、これは全く想定外だったわ。岡田さんも店長も、ホストの黒服スタイルだ。タイトスーツをぴしっと着込み、淡いピンストライプブルーのシャツに鮮紅色のタイ、金のカフスとネックレス、先の尖ったエナメルシューズ、縁なしのミラーサングラス……。一分の隙なく完璧に着こなしていて、どえらくかっこいい。店長はウイッグをかぶってるけど、金髪だ。それがケバくもちゃらくも見えない。
元々ダンディな岡田さんならともかく、てっぺんハゲのなにわのおっさんがここまで完璧に化けるとは。普段のべたなおっさん印象が強過ぎて、顔の造作が意外に整ってるとか、手足がすらっと長いとか、そういうプラス要素が視点からすっぽり抜け落ちてたんだろう。イメージ落差だけで言ったら、岡田さんより店長の方がはるかに上だ。
不思議なのは、二人のフル装備に「着られている」という違和感が全くないこと。そのままホストクラブに出られるんじゃないかと思ってしまうくらい、所作も含めてこれでもかと決まってる。
「うーん、店長は深いなあ。全然奥底が見えない」
「なんか、すごいね」
「うん」
さっきまで激しく怯えていためーちゃんは、店長と岡田さんがドアの前に立ち塞がっているのを見てほっとしたんだろう。声の震えが少し治った。
「お、来よったな」
いつもの店長の声がして、人の気配が一つ増えた。きっと……丈二さんだろう。ざっと足音がして、店長と岡田さんがドアの前に並んで立つ。その格好を見て、思わず呟いてしまった。
「メン・イン・ブラックみたいだ」
怖いけどおかしい。おかしいけど怖い。口元を両手で塞ぎ、泣き笑いのような顔つきでめーちゃんがじたばた悶える。
そんなめーちゃんを見て、店長が言ったことを思い出していた。
『しょせん余興や』
そうか。店長のあのセリフ。余興程度の意味しかないってことじゃない。余興として楽しめるくらい、どっしりかまえろっていう意味だったのか。
どんなにくよくよ悩んでも、悩んでいる間は悩みの外に出られない。なにがあっても死にゃあしないんだから、意識をうんと遠くに置いてかっこ悪い自分を見下ろし、げらげら笑ってやれ!
きっと、そういうことなんだろう。
「なんだ、あんたらは」
丈二さんの尖った声が響いた。それに、岡田さんがさらっと答えた。
「三下ホストが偉そうに。俺の顔を忘れたか? ジョー」
「まあ、しゃあないやろ、マサ。こいつはいっぺんもトップ争いに噛んだことがない。俺らの顔もよう知らんのとちゃうか」
「まあな」
「あんた……ら」
「店ぇ一つか二つ持っててん、自分がてっぺん獲れんやつはしょせんその程度や。なあ、三下」
店長は丈二さんをはなから飲んでかかってる。迫力に押されて、丈二さんがじりっと後ずさった。
「まあ、俺らもたいがいトシぃとった。いいトシこいてこんなこっ恥ずかしいカッコはようせんけどな。それでも、今のおまえよりは客を取れるで。三下」
「やれやれだぜ。野良犬みたいに物欲しそうな顔しやがって」
岡田さんがばっさり切って捨てた。岡田さんの圧も店長に負けてないな。普通に立ってるだけなのに、放出されているオーラの強さがはんぱない。
店長が間髪入れずに畳みかける。
「なあ、ジョー。夜で長いこと飯ぃ食っとるやつは、新宿エバーラストのツートップ……俺らを今でもよう知っとる。俺らは裏の連中に、今でも顔が利くんや。おまえのやってる店ぇ潰すんなんか朝飯前やで」
いつもの店長とは思えない、強烈な脅し。絶句していたら、サングラスをすっと外した岡田さんが思わぬ合いの手を入れた。
「なあ、ジョー。こんな風に、一方的にぼこられて楽しいか?」
あっ! そういうことか……。
「ジョー」
店長もサングラスを外してスーツの胸ポケットに収めた。それから、ふうっと大きな溜息を漏らす。
「おまえの娘と話ぃしたが、ええ子やないか。おまえが心血注いで娘を育ててきたのがようわかる。それはおまえにしか出来ひんことやな」
「……」
「おまえの育て方を全否定するつもりはない。せやけどおまえ、娘をいくつや思うとんね。十八やで? 三つ四つのガキやない。もうオトナや!」
ざりっと靴を鳴らして一歩前に出た店長が、全力でどやした。
「力尽くで言うこと聞かそいうんは、たとえ親でも犯罪や! レイプと何も変わらへん! おまえ、そうされて嬉しいか? おい、なんとか言うてみ!」
それは説得なんかじゃない。魂の叫びだ。生き方を無理やりねじ曲げようとする者への底知れぬ怒りだ。
ああ、最初に店長と話をした時のことを思い出す。ものすごく乾いているように見えたけど、警戒するより先に強い安心感を覚えたんだ。それがどうしてかは、あの時にはわからなかった。でも、店長の底に流れている情がマグマのように熱いことを、本能的に感じ取っていたのかもしれない。
俯いたまま動かなくなった丈二さんに向かって、今度は岡田さんが話しかける。低い、どすの効いた声で。
「なあ、ジョー。俺は今、事故物件をたくさん扱ってる。行き場を失って部屋で命を断ち、煙になってしまったやつの抜け殻。そういう部屋を、な」
「……」
「頼む。追い詰めるな。精魂込めて育ててきた娘を、なんで今になって壊そうとするんだ!」
岡田さんが、振り返って家を睨みつける。
「俺が扱うような物件なんか、一つ残らずなくなった方がいいんだよ。こんな商売やってられるかって、放り出せる方がずっといいんだ!」
岡田さんも、丈二さんを責めようとはしなかった。娘への向き合い方を変えろ。今のままじゃ共倒れになる。そういう渾身の警告だ。
私は痺れた。店長や岡田さんがかっこいいからじゃない。上辺だけじゃないどやしの熱さに、真剣さに、どうしようもなく痺れた。
ふと横を見る。めーちゃんは唇をきつく噛み締め、両手をぎゅっと握りしめていた。
そう、店長と岡田さんのどやしは同時にめーちゃんへのどやしでもあるんだ。親父を暴走させた責任は、きっぱりとノーを言えなかったあんたにもあるんだぞ!
だからこそ、店長はめーちゃんに覚悟を求めたんだろう。ずっとノーを言い続ける必要はない。ノーは一回でいい。でもたとえたった一回でも、ノーは絶対に必要だ、と。
めーちゃんのためだけじゃない。どうしてもめーちゃんへの執着を断ち切れない丈二さんの目を覚まさせるためにも、そのノーはどうしても必要なんだ。
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