第2話 変化
父さんが店に来たのはびっくりしたけど、転居のこともめーちゃんとのシェアのことも話が出来たからラッキーだった。
本当なら、もうちょい接触機会を増やした方がいいんだろう。でも、今日のやり取りがまだ精一杯なんだ。めーちゃんにはちゃんと和解しているというポーズを見せたけど、実際のところはそこまで割り切れてない。私を都合のいいようにコントロールしようとしたことは、理由はどうあれ絶対に許せないから。
まあ、今の関係は悪くないと思う。きちんと距離を確保できれば、私も父も冷静さを保てる。幼い子供ならまだしも、もうオトナ同士だからさ。この距離感はずっとキープしたい。
めーちゃんと丈二さんの距離も、私と父と同じくらいに離せればいいんだろうけど。めーちゃんの遠心力が私ほど強くないから難しいだろうな。たぶん……いっぺんには変えられないね。
もやもやと考え事をしながら申し込み用紙を補充していたら、いきなり敬称つきで名前を呼ばれてどぎまぎする。
「ルイさん、おひさしぶりですー」
「え?」
誰? ショートボブのすらっとした女の子だ。かわいい系。濃紺のジャンパースカートに煉瓦色のパーカーっていうカジュアルな服装で、高校生くらいに見える。私にそんな知り合いはいないはず。どこか見覚えがあるんだけど、ぱっと思い出せない。え……と。
「ユウですー」
「わ! ユウちゃん? ええー、ほんとに? ひっさしぶりー!」
びっくりしたー。まるっきり別人じゃん!
「背ぇ伸びたねー。そっか、ショートにしたんだ。誰だかぱっとわかんなかったわ」
「ふふー」
「あの……知ってる人?」
私とユウちゃんとの接点がどこにあるのか想像できなかったんだろう。警戒心を剥き出しにして、めーちゃんが確かめる。
「岡田さんのオフィスで雑談した時、私が去年の春ちょっとだけレンタルカレシ登録したって言ったの覚えてる?」
「あ、うん」
「その時のお客さんの一人。ただし、強烈に変則だったけど」
「お客さんて……。どう見ても未成年だよね」
「そうだよ。中二」
「うっそお! 高校生かと……」
めーちゃんがのけぞって驚いてる。そう。あの時は見るからに子供だった。でも、一年もしないうちに別人のように変貌している。成長期って、恐ろしいよなあ。
あの時は小さくてかわいいからモテそうだったけど、今なら年齢よりずっと大人びて見えるからモテそうだ。シスコンのお兄さんは、あの頃よりもっと心配だろうなあ……。
「お兄さんは元気? まだジェニーと仲良くしてる?」
「あ、そのことを伝えようと思って来たんです。お兄ちゃん、結婚することになりました」
「おおおっ! そのままゴールインしたんだ」
「はいっ」
「おめでとう! よかったあ!」
「ふふ」
ということは、ユウちゃんも少しはお兄さんとの距離を確保できたってことなのかな。
「じゃあ、今は式の準備とかでおうちがばたばたしてるってことだね」
「それだけじゃなくていろいろあったので……なかなかこっちには来れなかったんです」
「え?」
私の心配顔を見て、ユウちゃんが慌てて手をぱたぱた振った。
「いや、悪いことじゃないんですけど。お兄ちゃんが転職して家を出て、お父さんも部署替えで社宅が別のとこになったので」
「あ、ユウちゃんも転校したってことかー」
「はい。したくなかったんですけど……」
雰囲気が地味めに戻っちゃったのは、転校先にまだ馴染んでない影響もあるのかな。一難去ってまた一難、か。ユウちゃんもついてないね。
「中三で転校するのはもっと大変だから、仕方ないかなーって」
「あ、そうか。いよいよ受験生だ」
「ううー、そんなん考えたくないよう」
「はははっ」
見た目は大人びたけど、中身が激変したわけじゃない。なんとなくほっとする。
「ルイさんはずっとここで働いてるんですかー?」
「前ほどびっしりじゃないけどね。四月からは大学に行くから」
「あ! そうなんだ」
「これからやっと、ユウちゃんに話せるネタが作れるよ」
「うん」
あの時ユウちゃんとの会話で垣間見て、憧れた世界。その一部が、やっと現実のものになる。やっぱり嬉しい。自然に笑顔になった。
「あのー……」
私の横で微妙な顔をしているめーちゃんが気になったんだろう。聞いてもいいだろうかという口調でユウちゃんが確かめる。
「こっちのお姉さんは知り合い……ですか?」
「知り合いもなにも。シェアメイトだよ。これから大学近くのシェアハウスで一緒に暮らすの」
「えええーっ?」
そんなのずるいって顔で、ユウちゃんがぷんぷくりんに膨れた。
「ちょっと急な話でね。それまでシェアメイトだった前沢先生が、寿でいきなり離脱しちゃったんだ。彼女とシェアすることを決めたのはおとついなの」
「あ、そうだったんですね」
深い付き合いじゃないとわかって安心したのか、膨れっ面が治る。ははは。
おっと、せっかくユウちゃんと再会できたんだ。このチャンスを逃すわけには行かない。
「ユウちゃん、ラインやってる?」
「やってますー」
ケースがカラフルにデコられた赤いアイフォンが、ポーチからお出ましになった。
「近々ちょっと頼みたいことがあるんだ。その連絡用に。いいかな?」
「はい!」
新しい環境になかなか馴染めなくて、寂しかったんだろう。ユウちゃんは一も二もなくアドレスを交換してくれた。よし、これでめーちゃんにつなげられる女性サポーターを一人確保できた。らっきー!
ついでにその話もしたかったんだけど、お客さんが来ちゃった。
「ごめんね。お客さんが来たから、またあとでね」
「あ、お仕事邪魔してごめんなさい」
「大学始まってもここのバイトは続けるから、また遊びに来て」
「はい!」
「お兄さんとジェニーによろしくー。おめでとうございますって伝えといて」
「わかりましたー」
◇ ◇ ◇
父さん、ユウちゃんと久しぶりに顔を合わせたことを思い返す暇もなく、そのあとはびっしりお客さんが来て対応に追われた。二人が来た時だけ、エアポケットに落ちたような時間だったな。
「ふいーっ。やっと一山越したー」
「ハードだったー」
「じゃあ、店長に声かけて店閉めるわ。シャッターに本日臨時閉店の張り紙しとかなきゃ」
「電話ももう留守電に変えていいよね」
「うん。ヤードの電気も落としちゃって」
「わかったー」
まだバイトを初めて間もないということが信じられないくらい、てきぱき行動しているめーちゃん。店長の目利きは確かだってことだな。私もすごく意外だった。世間知らずと現実主義がマーブル模様に入り混じってる。なんとも奇妙。まあ……私だって人のことは言えないけどさ。
シャッターの張り紙を確かめに来た店長が、もう一度めーちゃんの目を見て確認した。
「頼むで。揺れるなよ」
「はい!」
「じゃあ、私たちは家で待機しますね」
「ああ。段取り通りな」
「わかりました」
足早に階段を上がる店長の背中を見送りながら、変化ってことを考える。ほんの少し前までヤードの中を忙しく走り回っていたのに、今はこれから起こることを静かに待ち構えている。わずかな間に世界ががらりと変わってしまうなんて、本当に不思議だなあと思う。
「ルイ、何考えてるの?」
「いや、めーちゃんの変化の瞬間は、このあとすぐに来る。でしょ?」
「……うん」
「私の場合、何もかも激変したのは去年の五月だった。その瞬間が来るまで、父はずっと敵のままで、ユウちゃんとの接点は全くなかったんだ。あれからまだ一年も経ってないのに、世界がすごく変化してる」
「そうか……」
「二十年変わらなかったものが、今は一分一秒の間に変わっていく。本当に不思議だよ。まだ現実感がない」
「……」
ちょっとの間俯いていためーちゃんが、顔を上げて微笑んだ。
「そだね。わたしも、ちょっと楽しみになってきたかな。これからだもんね」
「そうさ。一回きりしかない人生だからしっかり楽しまなきゃ」
「ふふ。あ、そうだ。さっきの女の子、ユウちゃんて言ったっけ。かわいい子だったね」
「すごくいい子だよ。それに、ちょっとめーちゃんに似てるかな」
「ええー? そっかなあ」
「見た目とか、そういうことじゃなくてね」
「え?」
足を止めて、薄曇りの空を見上げる。
「さっき結婚するって言ってたユウちゃんの兄貴」
「うん」
「丈二さんにそっくり。強烈なシスコンでね。ユウちゃんを徹底的に囲い込んでたの」
「うわ……」
めーちゃんはユウちゃんから自分に似た雰囲気を感じ取って、無意識に嫌悪を覚えたんじゃないかと思う。
「妹ラブに嫉妬した兄貴のカノジョが、レンタルカレシのホストを使ってユウちゃんを凌辱しようとしたんだ」
「ひっ」
真っ青になってる。店長も、こんな酷いケースは初めてだって言ってたしなあ。
「呼び出されたのがたまたま私だったというわけ。運がいいんだか悪いんだか」
「あの……?」
「何もないよ。レンタルカレシの規定で、未成年は利用できないことになってるの。もろ中坊のユウちゃんなんか論外だよ。二時間、ドーナツショップで話をしただけさ」
めーちゃんが、ほっとしたように頷いた。
「そうだよね」
「私は楽しかったよ。あの頃、私は会話に苦労してた。いや……今でも苦労してるけどね」
「ええー? 全然そんな風に見えないけど」
「話題がさ」
「あ……」
なんとなく見当がついたんだろう。顔が曇った。
「学校生活の中に出てくるものが何もわからない。知識として知っていても、会話には使えない。聞き役しかできないんだ」
「うん」
「ユウちゃんは現役の中学生だから、学校生活のネタがナマなの。話をしていて本当に楽しかったんだ。私の憧れの世界だったからね」
「そっかあ……」
「だから、めーちゃんがそっち系の話題を振ったら喜んで乗るよ。聞いてて楽しいから」
「……うん」
おっと。いきなり沈んじゃったかー。やっぱりなあ……。最初に会った時も思ったけど、今現在友達がものすごく少ない系の匂いがする。性格に極端な難があるようには見えないから、丈二さんの束縛の他にも何かコミュニケーションを妨げる要素があるのかもしれない。大勝負を控えてるから、今はそこに突っ込まないようにしないとダメだけど。
「そういやあのドーナツショップにもしばらく行ってないなー。お昼はそこにしようか。おごるよ」
「わあい! ドーナツ大好きー!」
一転、無邪気にはしゃいだめーちゃんを見て微苦笑する。もしレンタルカレシの時にめーちゃんに出会っていたら、私は彼女とどんな話をしていただろう。
◇ ◇ ◇
なんというか。昨日のスーパーの惣菜売り場でもそうだったけど。ショーケースを見てこんなに興奮する女子大生もそうそういないと思う。お腹の容量に制限がなければ全品制覇したいという勢いで、食い入るようにドーナツを見渡していた。
選んだのはトッピングがカラフルな限定品ばかりで、味がどうのこうのと言う以前に、好奇心が勝ったんだろう。
そして、実においしそうに食べる。目尻を下げて、口の周りをクリームだらけにして、大口開けてもぐもぐと。食べるというのは人間に生まれつき備わっている原始欲求の一つだから、食欲をストレートに見せられる人は全体に裏表が少ない。まだそんなに経験が多いわけじゃないけど、私はそういう印象を持ってる。めーちゃんの基本線がねじれていないことが食事風景から見えるんだ。
先生がめーちゃんの対極なんだよね。食が細くて偏食が激しい。そもそも食事そのものに熱意を持っていない。お腹が空くから仕方なく食べるという態度で、すっごい屈折感が強かったんだ。
私はちょうどその中間かな。おいしいものは食べたいけど、食べられない時は粗食でも気にしない。まさに臨機応変。食スタイルも性格が下敷きになってるんだなあとしみじみ思う。
「おいしかった?」
「どれもおいしかったー!」
「そりゃあよかった。D大の学食やカフェテリアもチェックしとかないとね」
「落ち着いたら下見に行こうよ」
「そうすっか」
「うん!」
こんな短いやり取りでも、めーちゃんの意識が前を向いたことがわかる。今ならきっと本番もこなせるだろう。降りかかる変化がどんなに大きくても、その衝撃が強烈でも、意識が前を向いている限りは必ず変化を乗り越えられるよ。私がそうだったからね。
母さんは……その意識が後ろを向いたままなんだ。父さんはきっと苦労してるだろうな。
お?
「……」
スマホに岡田さんからの連絡が入った。できるだけ早く帰って家にこもっていて欲しいと。
変化の時は。すぐ目の前に来ていた。
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