第三章 三日目:波に逆らう

第1話 父との会話

 決戦前にプレッシャーをかけ過ぎてもしょうがないと思って、めんどくさい話を早々に切り上げ、二人で買い足すものの順位付けをしているうちにいい時間になった。

 めーちゃんだけでなく、私もどっと気疲れしていたので、いつもより早く床に入る。新居での初めての夜だから緊張するかと思ったけど、疲労が睡魔を連れてくる方が早かった。あっという間に入眠。ただ……。


「んー」


 決してすっきりした目覚めではなかった。きれいに改装されているのに、天井からぶら下がっている裸電球がどうにもアンバランスで気味が悪い。ソケットは天井についているからどこかでシーリングライトを仕入れられないかなーとか思いながら、布団を畳んで端に寄せる。


 洗面スペースがバストイレユニットの中にあるというのも、おしゃれなんだろうけど個人的にはしっくりこない。まあ……慣れるしかないね。


「あれ?」


 昨日はめーちゃんに先にお風呂を使ってもらい、私はあとに入った。浴室乾燥のスイッチを入れてあったからもう乾いていると思ったんだけど、バスルームの床が濡れている。


「めーちゃんが朝シャワー使ったのかな? まあいいや」


 さて、朝食をどうしようかなーと腕組みしていたら、寝ぼけ眼のめーちゃんが登場。男物っぽい、だぼっとしたブルーのパジャマを着ている。好みなのか、お父さんのをとりあえず持ってきたのか、そのあたりのことはわからない。


「おはよう、めーちゃん」

「おはようござまー」

「バタートーストとオレンジジュースでいい?」

「うん」


 めーちゃんは、ふわわわわと豪快にあくびをぶちかましながらリビングを出てバスルームに行った。それにしても。


「リラックスしすぎだろ。うーん……」


 昨日のトラック車内での様子といい、今といい、私に対してはほぼゼロガード。いいんかいな、それで。さすがにちょっと不安になる。

 いや、私は無性だからかまわないけどさ。あの容姿でオトコに対してガードを下げたら、あっという間にたらしこまれてしまう。心配だよ。


 顔を洗ってすぐに着替えたんだろう。昨日まで着ていた黒ジャージっぽい服ではなく、ネイビーのスリムジーンズにオレンジ色のトレーナーというスタイルで現れた。髪は結んでいない。伊達メガネもなし。すっぴん。


「んー、トレーナーかー。寒くない? 今朝は冷え込んだよ」

「セーター、かさばるから持ってこなかったの」

「それもそうか。私のジャケット貸そうか?」

「あ、助かるー」


 私は衣装持ちではないけど、レンタルショップのヤードがすごく寒いからジャケットはボア襟のついた暖かいをいくつか持ってる。その一つをめーちゃんに渡した。


「そのままバイトの時も着てた方がいいよ。昨日おとついはあったかかったけど、今日はきっちり着込まないと寒いと思う」

「うわ、そっかあ。じゃあ借りるね」

「そのままガメちゃっていいよ。特売の時にまた買うから」

「えへ。うれしー」


 えらく喜んでる。親切にされたからっていうより、ジャケットそのものが好みにあったみたいだな。ガーリーな服より、マニッシュな感じの服が好きなのかもね。


 あっさりの朝食を済ませたら、バイトに出撃。昨日の夜に店長から電話が来て、今日は午前営業、午後は臨時休店にすると言ってた。もちろん丈二さん対策のためだろう。

 めーちゃんの雰囲気が昨日とはだいぶ違う。伊達メガネは同じだけど、髪はツインテールではなく一本尻尾になった。オフホワイトのカントリージャケットにスリムジーンズというスタイルは、えっらくかっこいい。美人はどんな格好をしても似合うというけど、本当にそうだね。素直に感心してしまう。実際、昨日と違って今日は道ゆく人たちが結構振り返る。大学に行くようになったら大変だろなあ……。


 いつものように三階に上がって店長に声をかけた。


「おはようございます」

「おはようございますー」

「ああ、来たか。おはようさん」


 で。めーちゃんを見た途端に店長が苦笑した。


「目立つのう」

「ええ。でも、アノニマスの仮面つけるわけにもいかないでしょう?」

「わははははっ! そりゃええな。今度店でやってみるか」

「ふむ。おもしろそうですね」


 わたしで遊ばないでって顔で、めーちゃんがむくれてる。わはは!


「ああそうだ、店長。めーちゃん用に事務服を用意しといてもらえます? 目立たないようにするならそれが一番効くと思います」

「ああ、せやな。ジャケットも含めて揃えとくわ」

「助かります」

「で、どや?」


 店長が、真っ直ぐめーちゃんを見据える。


「え? あの……」

「覚悟は決まったか?」


 やっぱりね。店長も確かめると思ったんだ。


「はい」


 きっぱりとめーちゃんが答えた。目力を確かめた店長が、ぐいっと頷いた。


「揺れはなさそやな。ぶるったらあかんで」

「はい!」

「ほなら、予定通りや。岡田からも電話が行くと思う。帰ったら家にこもっといてくれ。俺か岡田が出てこい言うまで控えてて」

「わかりました」


 昨日、その話をしておいてよかった。出てこいというのはもう大丈夫だから出てもいいってことじゃない。出てきて自分でけりをつけろ、なんだ。今の店長の確認は最後の後押し。めーちゃんも、自立宣言する覚悟を固めただろう。

 でんと踏ん反り返った店長が、不敵に笑う。


「まあ、なんとかなる。安心しぃ。あんたらの本番はダイガク入ってからや。今日のはしょせん余興やからな」


 うひぃ、さすが店長。余興とすっぱり言い切った。私とは鍛え方が全然違う。退散退散。


「じゃあ、店開けますね」

「頼むわ」


◇ ◇ ◇


 昨日はびっしり忙しかったんだけど、なぜか今日は客の出足が鈍い。電話もかかって来ないし、来店者も少ない。エアポケットみたいな日があるんだなあと思っていたら、思いがけない人がひょいと顔を出した。


「わ! 父さん!」

「よう。元気か?」

「どうしたの?」

「いや、前沢くんさ」

「あ、そうか。父さんのところにも連絡したのかー」

「退去したって言ったから、おまえはどうしたかなと思ってさ」


 先生は、父さんとは没交渉を通すのかと思ったけど。最後にけじめをつけたってことなんだろう。先生が父さんにずっと片想いしてたのは間違いないと思う。


「連絡しなくてごめんね。すっごい急な話で、ばたばたしてたもんだから」

「一人でがんばるのか?」

「無理だよー。あそこは先生の名義で借りてもらってたから。一人じゃ家賃払いきれないし」

「じゃあ、住み替えだな。アパートか」

「三月中旬に出物なんかないよ。あまりにいきなりで、本当に参ったんだ」

「だろうなあ」


 ちょうどいいや。面通しを済ませちゃおう。

 私が「父さん」と呼んでいるのを聞いて嫌悪感を爆裂させていためーちゃんを手招きし、同居をオープンにする。


「D大近くの事故物件を、彼女とシェアすることにしたんだ」

「おあえっ?」


 事故物件と美少女。なにをどうやっても接続できなかったんだろう。父さんが珍しくうろたえてる。ぐひひ。


「矢口萌絵さん。私と同じでD大の新入生になるの。文学部だけどね」

「ううむ。なんというか……」


 ぶすくれてるめーちゃんをちらっと見やった父さんが、苦笑しながら大人の対応をした。


「類の父の植田うえだ敏文としふみです。よろしく」

「えっ?」


 めーちゃんが、わけわかんないという顔で目を丸くする。


「苗字が……」

「ああ、類の苗字は母親の姓なんです。うちはちょっと特殊だからね」

「あはは。ああ、そうだ。母さんは落ち着いた?」


 父さんの表情が曇った。


「時間はかかるよ。まだ一年経ってないからな」

「やっぱりかあ」

「まあ、あの頃よりはいくらかましになった」


 ふっと一息ついて。自分に言い聞かせるみたいに父さんが呟いた。


「昔から言うように、去る者は日々に疎し、さ。時間の流れに晒すしかないこともあるからな」

「そうだね。ああ、父さん」

「なんだ?」

「彼女のところもうちによく似てる。今日がXデーなんだよ」


 顔を伏せてしまっためーちゃんを見て、父さんがゆるゆる首を振った。


「厄介なもんだな。まあ、何かあったら言ってくれ。できるサポートはする」

「助かるー。あ、新住所はメール入れるから」

「わかった。まあ、がんばれ。あとでちょっと話がある。急ぎじゃないから、落ち着いてからでいい」

「わかったー」


 話? なんだろ?


 手を振りながら遠ざかっていく父さんを見ながら、髪にめっきり白いものが増えたなあと心配になる。それだけ母さんの精神状態がよくないんだろう。


「あのさあ」


 がりがりに尖った声でめーちゃんが突っ込んできた。


「二十年、ルイを閉じ込めた張本人でしょ?」

「いや、主犯はあくまでも母。父は巻き込まれた共犯者なんだ」

「え?」


 想像していた図式と違っていて戸惑ったんだろう。めーちゃんがぴたっと黙った。


「めーちゃんの例で言えば。丈二さんの他に、もう一人めーちゃんを縛り付けるサポーターがいた。それが父だと考えてもらえばいいかな」

「ううー、そ、それは」

「しんどいでしょ? だから、めーちゃんの方は難しくない。さっき店長が言った通りさ。攻略する相手が丈二さんだけで済むから」

「そうかあ……」

「でも、丈二さんを悪者にしない。追い詰めない。それが多対一になると難しいんだよ」

「……」

「距離を取って、なおかつ親子のつながりは保つ。その匙加減を調整するのは簡単じゃない。店長や岡田さんが立てている作戦の柱は、ジャストそこだと思う」


 めーちゃんがひっそり俯いてしまった。


「なんか、いろんな人に迷惑かけちゃってる……」

「しゃあないさ。一人ではどうにもならないことがあるもん。私も店長や先生に手を貸してもらった。そういうサポーターがいる時は、絶対に頼った方がいいよ」

「うん、ありがとう」


 もう一つ、今のうちにオープンにしておこう。


「さっき父が、できるサポートはするって言ってたでしょ」

「うん」

「それは、親としてのサポートとはちょっと性質が違うの」

「え……と。どういうこと?」

「父の仕事は心理カウンセラー。臨床心理士の資格を持ってて、企業のストレスマネージメントの指導とかをしてる」

「う……わ」


 普通のサラリーマンだと思ってたかな。確かに、特殊な仕事をしてる人には見えないもんね。


「心理解析のプロ中のプロだから、味方にすれば心強いけど、敵に回すととことん怖いんだ」

「そういうことだったのかー」

「ついでに言うなら」

「うん」

「父は、僕の実父じゃない。義父。丈二さんと同じなんだよ。だからすごく厄介だったの」

「ううー」


 頭を抱えてしゃがみ込んでる。


「へびー」

「そう。だから二十年もかかったんだ」

「そっかあ」

「二十年を返せって親に文句言っても、どうにもならないよね。それならこれからの一年一年は、これまでと違う形にしたい。新しいチャレンジは、今のところうまく行ってる」

「なんか、やりとりが自然だったからびっくりした」

「父とはね。でも、母には会えない」

「……」

「母の病的な執着が再燃したら全部おじゃん。だから、全部解決したわけじゃないんだよね」


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