第6話 覚悟

 買ってきたお弁当は、値段が手頃なだけでなく味もよかった。個人的には薄味に仕上がっていることが嬉しい。味を足すことはできても、薄めることはできないからね。天丼にしためーちゃんも満足したんだろう。今度は中華を試してみようかなあとにまにましている。


 じゃあ、お腹が膨れたところで本題に行こうか。


「さて。めーちゃん」

「なに?」

「さっき言いかけた続きを話しておきたい」

「あ……」


 リラックスモードだっためーちゃんが、椅子にぴしっと座り直した。


「覚悟が足りない……って話だったっけ」

「そう。めーちゃんだけじゃなく、私も含めてね」


 ふうっ。一つ大きく息をついてから話を再開する。


「私は成人してるけど、経済的には自立していない。まだ親がかりなの。家賃や生活費を自力でまかなう努力はしてるけど、それはあくまでも努力の範囲内なんだ」

「……うん」

「最初はね、同じD大でも二部にするつもりだったの。夜間部なら昼間びっしり働ける。完全自立できるから」

「そうだったんだ」

「それを昼間部に路線変更したのは、父の勧めがあったから。絶対に『表』の方がいいってね」

「二十年、閉じ込められてたって言ったよね。それなのに親のいうことを聞いたの?」


 その疑問は当然だと思う。


「もちろん、何を今更という憤慨も反発もあったよ。でも、親が私を幽閉し続けたことにはちゃんと理由がある。それは親の悪意じゃなく、庇護のアクションなんだ」

「……」


 お父さんがめーちゃんを守ろうとして行動制限をしていたことは否定できない。母が迫害を懸念して私を囲い込んだのと同じで、それは虐待じゃなく庇護なんだ。やり方が極端過ぎるだけ。

 私が親の理屈を認めたのが不愉快だったんだろう。めーちゃんは露骨に嫌そうな顔をした。


「誤解しないで欲しい。私は親にされたことを許すつもりはない。でも、それとこれとは別だよ」

「それとこれ……って?」

「感情ばっか先走っても、現実をひっくり返せないってこと。現にそうでしょ? もし岡田さんのとこで条件に合う物件がないって言われたら、今頃どうしてたの?」

「う……」

「今はまだ、私もめーちゃんも親を蹴り飛ばせない。距離を取り直すしかないの。現状を冷静に考えないとダメだよ。事実、まだ親がかりなんだからさ」


 めーちゃんが顔を伏せてしまった。最悪から一段浮上しても大して状況は変わっていない。今のうちにまず自分を立て直さないとならないんだ。でもめーちゃんは育ちがいいから、喉元を過ぎればすぐ熱さを忘れてしまうんだろう。楽観的すぎる私にも似たようなところがあるから、まだ寸足らずだってことをしっかり自覚しておく必要がある。


「親との距離を取り直すには、先に自分の立ち位置をきっちり固めて示さないとならない。干渉しないでくれって宣言する覚悟が、どうしても要るの」

「……」

「めーちゃんが、もうべたべたしないでほしい、自由にさせてほしいとお父さんに直接言えないのはよくわかる。それが言えるくらいなら家出なんかしない。そうだよね」

「……うん」

「でも、独立宣言は必ずしないとダメなんだ。めーちゃんがはっきり言わないと、結局連れ戻されるよ」

「う……」


 めーちゃんの目がみるみる涙で埋まった。小さな頃から親身に育ててくれたお父さんに、面と向かって離れてくれとは言えない。どうしても言えない。

 自分の訴えを行動から察して欲しい。今回の行動自体が、意思の表れだと汲み取ってほしい。めーちゃんが自分一人で悩んで出した、精一杯のアイデアなんだろう。

 でも岡田さんの言った通りなんだ。


『あと二年の辛抱だったのに』


 まだ未成年という切り札をお父さんに握られている限り、先手を取られると身動きが取れない。本人だけでなくサポーターもね。


「ふうっ。私のケースと状況がよく似てる。でも、私よりめーちゃんの方が有利な点と不利な点があるの」

「……どこ?」

「めーちゃんが有利なのは、ここまで他の子たちと同じルートを真っ当に歩いてきたこと。学校に行けなかった私は履歴書に何も書けないんだ。きっとこのあとの就職でも不利になる」

「あ……」

「だから、父が言った昼間部にしろというお勧めには合理的な理由がある。大卒の箔としては昼間部の方が上だからね。私も納得して路線を変えたの」

「……うん」


 しっかり釘を刺しておこう。


「これからお父さんと対峙することになっても、大学なんかやめてやるってキレないようにね。本当にそうなったら、めーちゃんのこれからにとってすごく不利になる。有利なポイントはちゃんと活かそう」

「でも……」

「お父さんがスポンサーだからってところでしょ?」

「うん」

「経済的な制約をクリアする方法はいろいろあると思う。バイトもできるし、奨学金とか授業料の減免制度とかも使えるから。それよりもっと厄介な弱点をなんとかしないとならない」

「どんな弱点?」


 弱点の怖さが、当のめーちゃんにだけ理解されていない。そこをしっかり自覚してもらわないと、サポーターが動けないんだ。


「未成年だってこと。岡田さんが言ってたでしょ? なんで成人するまで待てなかったんだって」

「う……」

「だから、 私は成人するのを待って行動を起こしたの。未成年のうちに自立アクションを起こしたら、下手すると一生幽閉されかねないから」

「すごい……ね」

「すごくないよ。なんの自慢にもならない」


 吐き捨てる。

 三年ちょっと前に先生のサポが切れてしまい、残った母と植田さんは揃って敵だ。しかも私の自立が近いことを警戒して、圧がどんどん強くなっていた。孤立無援の私には、苛々だけがどんどん溜まっていく。でも、そのマイナス感情を覚られると、囲い込みがもっと強く、極端になる。

 私ののほほんには、自分のネガを隠すポーズとしての一面がある。必ずしも生まれつきの性格じゃないんだ。一番自意識が育つ時期に徹底して自分を丸め込まなければならなかったこと。それがどんなに辛いかは、誰にも理解できないと思う。


 まあ、いい。私の過去はあくまでもおかずだ。


「お父さんに保護者としての立場を盾に取られたら、誰も逆らえない。それを押し返す切り札はめーちゃんの自立宣言しかないの」

「ルイは……切り札を切ったの?」

「もちろん!」


 きっぱり言い切る。


、親にきっちり宣言したよ。もう家には絶対に戻らないってね」

「……」


 しばらく考え込んでいためーちゃんが、ふっと顔をあげた。


「そっか」

「わかった?」

「今のがヒントなんだ」

「そう思ってくれると嬉しい。私も店長も岡田さんもギャラリー役はできるよ。でも、めーちゃんの選択の責任は取れない。サポしかできないの」

「そう……だよね」

「お父さんと敵対する必要はない。自由が欲しいってストレートに言えばいいと思う」

「……うん」


 頼むよ。その一言が出てこない限り、誰も援護射撃ができない。逆に言えば、宣言さえあればどうにでもなる。めーちゃんの口から宣言が出るかどうかに成否がかかってるんだ。


 拳を握りしめ歯をくいしばっていためーちゃんが、顔を伏せたまま聞いた。


「ルイの覚悟……は?」

「お父さんに敵視されること。私はきっとめーちゃんの恋人だと勘違いされる」


 真っ青になっためーちゃんが食い入るように私を見つめる。それに苦笑いを返す。


「仕方ないさ。一つ屋根の下の男女という見方をされるのは、どうしても回避できない。ここを女子寮に見せかけ私を女装させても、お父さんにはすぐバレると思う」

「……そんな」

「こういうのは順番なんだろね」

「えと……順番?」

「そう」


 あの時のことを思い出す。店長は私のサポートをしてくれたけど、保護者の代わりはできないし、してくれない。保護者役を代行してくれたのは前沢先生なんだ。


「私は、実家を出る時の身元保証を先生にしてもらった。八つ年上の社会人だから親代わりとしては適任だけど、外から見たら違う。先生は若いツバメを咥え込んだ年増女、だよ」

「う……そ、そっか」

「先生は白い目で見られかねない不利益を、あえて飲んでくれたの。孤独を薄めるというメリットと天秤にかけて、ね。でも、誤解されやすい立場にいるのはすごく苦痛だったはず。だから恋活をすごく急いだんだと思う」


 退去時の私に対する冷淡な態度……その背景がめーちゃんにもわかったんじゃないかな。


「ルイは……いいの?」

「かまわないよ」


 あえて笑ってみせる。


「私が実家を脱出する時には、店長がすごくいい援護射撃をしてくれたんだ。私にはなんの恩も義理もないのにね。その恩は、直接でなくても別の形で返すことが出来る。今回のめーちゃんのことは、まさに恩返しの機会だと思ってる」

「そっか。ペイフォワードみたいな」

「いいたとえだなー。めーちゃんも、いつか誰かを助けてあげて。きっとその縁がいい方向に広がってくと思うから」

「そだね」


 めーちゃんが、ふっと溜息をついた。まだ大学生活は始まっていない。今のうちに面倒なことを片付けておかないと、せっかくのキャンパスライフを楽しめなくなる。ここが踏ん張りどころだよ。


「ということで。勝負は明日になると思う。それまでに少しでも生活環境を整えておこうよ。生活感がないと、押し返す切り札に使えない」

「うん。わかったー」


 布団に潜り込むまでのわずかな時間も、今日よりましな明日にしていくための大事な礎石になる。箱に入れっぱなしのものを少しでも減らそう。荷物も、心もね。


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