第11話11
「叔母さんっ、私、天使になれたよっ、前みたいな馬鹿じゃなくなったよっ」
力を使い切って担架で運ばれる私だったが、門の前で待って祈ってくれていた叔母さんに真っ先に知らせる。
「良かった、よかったねえ、これできっと、みんな幸せになれるよ」
涙と涎と鼻水を垂らし、実験前に下剤で排泄していたとは言え、余りの苦痛と衝撃で大小便をオムツに漏らしている臭い私でも、平気で抱きしめてくれて喜んでくれた。
多分私は、この温もりを貰う為にだけ努力して、様々な苦痛にも耐えられたのだろう。
他のクズ共の賞賛の言葉など必要なかった。この暖かささえあれば、あの激痛に耐え、この腐り果てた世界にでも価値を見出して戻れたのだ。
適合しなかったり成功しなかった者は、あまりの苦痛に命を手放した方が楽だと判断し、どうにかして自殺したのだろう。
もしくは何かを知り過ぎてしまい、悟りの果てに目的も希望も何もかも失って、絶望して死んだか、神にも近い存在となってこの世から解脱、解放された。
生き残った後に得られる愛も幸せも無かった者は、死ぬことを選んで旅立っていった。
私は天使になる以前の福者として扱われ、軍人や教会にも表彰され、今までより良い待遇で扱われることになった。
孤児が大量に詰め込まれ、お互いを監視しあって、罵り合って来た大部屋から個室に移転した。
他の子供とは一目で違いが分かるような高級な服装。
今までの馬鹿には似合わない服や靴、装飾品、それでも今の私には足りなかった。
知性にあふれる眼差し、自信に満ち溢れた表情、体幹が通って立ち居振る舞いさえ美しくなった。
何物にも怯えず、大人でも研究員でも司教でも、例えこの場所の司令官でも、真っすぐに見据え、私よりも遥かに下の存在として見下す。
ほんの少しの練習でバイオリンを奏で、声楽で素晴らしい声で歌い、数学の難問を解いた。
今までどんな努力をしても記憶できなかった、歴史上の人物の名前も出来事も政治情勢まで理解した。
そう、私は天人となったのだ。
「只今の記録、9.65」
特殊な歩法を用いて100メートルを10秒以内で駆け抜ける。
難しい操作が必要だが、簡単に説明すると、上から吊ってある操り人形が、人形劇の世界ではどんなスピードでも動ける。
そう言ってしまえば容易い事のように聞こえるが、この絶妙の位置に収まるように手を抜くのが難しい。
他の福者と同等か、それ以下で保ち、それでいて尚、陸上競技者などより高速なタイム。息を切らせて体に負担がかかる芝居もしなくてはならない。
私には計測器が取り付けられ、心肺機能も筋電圧も測られている。
オリンピックに出れば間違いなく金メダルだが、私たちはすでに人類ではないので、ドーピング以前に血液検査で撥ねられ、国家機密である天使降臨実験の結果をメディアごときの前に差し出すような真似もしない。
他の福者たちは、このチート技を理解せず、自前の筋力を強化して、偶然発現した能力で足を強化して走っていた。
もちろん私より速く走って自慢するバカもいた。
「へんっ、10秒切った程度か、情けねえなあ? アタシなら9秒でも切ってやらあ」
またエリカだ、このクズは音速でも超えて、足が折れるか体が燃え尽きるんじゃないかと思っていたが、案外長持ちした。
「お前、やりすぎると足が折れて壁に突っ込む羽目になるぞ、その程度にしておけや、ゴキブリ」
「なんだとっ! テメエッ!」
高い知能を得ても、誰かと調和する事など、決して有り得なかった私達。
私達は神罰で言葉が通じなくされている。お互いを分かりあって手を繋ぐなど、永遠に不可能なのだ。
本来ならIQも高い人物は、その後の行動や罰則、世間の評判も考えて争いごとを起こさない。
宇宙飛行士のように閉鎖空間に閉じ込められて、相手の糞尿の匂いが充満する宇宙船内でも争わない人物も存在するが、私たちはもう緑色のバッタから茶色くなったイナゴ。
既に他人の体臭や糞便の匂いを存分に嗅ぎ合って、食料も何もなく殺しあって来た悪魔。
それが急に高い知能や体力を持たされたとしても、分かりあったり手を取り合ったりはしない。
せいぜい別の場所にある食料を目指して悪魔の翼を広げて飛び立つか、それまでは共食いをして、蟲毒の壺の中で最後の勝利者を作るまで殺しあう。
人間とはそうなるように作られた化け物。カインとアベルの時代から、お互いを殺して苦しめあうために作られた罪人。
「ぶっ殺してやるっ!」
大人でも制圧するのが難しくなった私たちの殺し合い。殴りかかってきたエリカの腕を取って後ろ手に捻ってやり、今までの仕返しのためにも利き腕を捻じ曲げて、一瞬で手首の上をへし折ってやった。
「うあああっ」
一応教官の目を見て、制圧しても暴れるから折れたのだという顔をしておく。
いい気味だ、とても良い鳴き声だ。もっと泣け、喚け。こいつのマリアへの仕打ち、私への今までの失礼な態度。
残念ながら、触角の先にぶら下がっているだけのお前と違い、私の寄生体様は、こんなゴミを友人として脳内に迎えてくれているのだ、性能が違い過ぎる。
「くそおっ、殺してやるっ!」
腕を折られてもまだ抵抗するか? じゃあ、もう右手が使えなくなるぐらい、良い医者でも修復できないほどに肩も破壊しておいてやろう。
「あははっ、死ね、エリカ」
「ぎゃああああっ!」
右腕一本貰った。奴の肩の辺りからブチリと鳴る嫌な音と感触があった。以前の脳なしの頃と同じ、不自由な暮らしをしろ、慣れてるよな?
「やめるんだっ、ライカッ」
比較的良心的な教官から言われたので、明らかな関節破壊技を解除してやった。
だがもう右肩は使い物にならないだろう、腱も引き千切ってやったし、一生垂れ下がったままだ。
私のような糸に吊られた操り人形にならなければ。
天からの声を垂れ流すだけのゴキブリに、そんな機能は必要ないだろ? 他の兄弟達みたいに、瓶詰めになれば良かったのに。
「畜生っ、畜生っ!」
それでも掴みかかって来たエリカの、左手か足を破壊してやろうとすると、流石に教官が間に入って止められた。
奴の動きをかわすのに、一瞬凄まじいスピードで動き、姿を消すのに空も飛んでやったから、教官にも実力差が分かっただろう。
「正当防衛ですよね?」
二度とも奴から仕掛けて来て、押さえつけたのに抵抗して、左手でサミングしてこようとしたから腕をへし折った。
足でも本気で殺しに来たから、その前に肩の腱も切ってやった。
これで懲罰房だとか、食事に制限でも加えるなら、命がけの反乱が起こるのは知ってるよな?
教官がその言葉を紡ぐ前に喉笛を掻っ切ってやるか、頭の中身と声帯を取り外してやる。
「もういい、エリカを医務室へ」
両手で手刀を作り、明らかに殺人技を準備して、エリカも教官も一人残らず殺すための殺気がこもった眼で見てやると、命が惜しくなったのか、観察官はエリカと共に医務室まで行った。
そうだ、お前達はどの兵士とでも入れ替えが可能な、都会の駅に行けば1万人以上いるゴキブリと同じ存在なんだ、福者である私とは違う。
「ラ、ライカ、訓練終了まで走ってろ」
強がって私に命令して、優位に立っている振りをする教官。だがその目の怯えの色は隠せはしない。
「ヤー」
まあ、多少手の内と、お前達になどに屈してはいないのを表明しすぎたようだ。
もっと大きな力を手に入れて、お前たちを絶滅させられるようになるまで、力は出し惜しみしないとな。
「起きろ、目覚めるのだ、私」
私は自分の簡易コピーに、上位生命体を揺すられ起こされた。この体には休息が必要なのが弱点だ。
夢の中でも興味深い出来事があった。私は人間ではなくなっているので、植物と人類が交わした契約から解除された。
本来、人間なら亡骸を大地に返すか、焼いて炭素にしてしまい土や海に返す。
私やマリアの体はオブイェークト3の中で鉄原子になるまで燃え、空焚きしながら燃えている。
もう大地に帰ることは無いが、物理法則には支配されていて、上位世界が本腰を入れないと、あの炎は消えないだろう。
大抵の国の神話では、大地母神が無残に死に果てて、燃えた亡骸や排便までが草木の生まれる根本となって、巨大な体の残骸が野山となって、全ての恵みを授けてくれる大地へと変わったと書かれている。
火山の噴火などで太陽の神が姿を隠さないように、生贄を捧げたり、祭壇に心臓を捧げてきた人類。
勇者同士の戦いや相撲を奉納してみたり、どの文明にも太陽神が隠れてしまわないようにする儀式があり、隠れてしまったときに呼び出す儀式まである。
世にヴォイオニッチ手稿という物がある。
意味不明の言語で書かれ、同じ文字が何度も連なっているので言語ではなく、暗号であるとか、古いトルコ語を発音記号のようなもので表してあると言われる。
人間が水槽に漬けられ、植物の養分として使用される表現もあり、気味が悪い奇書としても、夢がある図書としても扱われる。
私見だが、どこかの神憑り状態になれる者が、植物と人間の関係を表した、原初の契約を表したものではないかと考える。
奇麗は汚い、汚いは奇麗。人間には忌むべき穢れた物は、植物にとって栄養分であり、尊ぶべき物。
植物の種子や死骸は、人類にとっての養分や生命の源であって、資産であり通貨でもある。
人間や動物の亡骸、汚染されて病原菌にまみれた亡骸でさえ、植物と菌類にとってはご馳走であり、苗床で菌床で母体である。
ある菌類は、冬虫夏草のように芽吹き、キノコなども特定種の動物や昆虫に食物として食われて寄生し、その生物が死骸となって初めて発芽して、次の世代への胞子を生産する。
そして新たな生命体に食われて寄生し、その命が尽きる時を待つ、もしくは寄生主が弱れば殺して菌床として用いる。
自然界の食う食われるの関係を持つ敵対者だが、相手の死こそが生命の誕生に繋がり、敵対者を増やして自分たちの面倒を見させれば、無限に増えて地を埋め尽くすことまで出来た。
三輪作四輪作で、草食動物やその死骸や排泄物まで利用して植物を茂らせ、ついには空中の窒素を高温高圧にし、鉄ボンベの触媒作用で固定して、アンモニアとして現出させる装置まで作り出し、根粒菌にだけ頼ってきた限界を超え、緑の革命と呼ばれる破壊まで生み出した人類。
必要な土壌菌だけを残して土やほかの寄生種まで排除し、水耕栽培にまで手出しして、大地を介した原初の契約を破ろうとしている化け物。
空中窒素固定装置を、爆薬の製造にまで使った悪魔たち。
ただ、植物を植えて育て、一定以上に増えすぎたのは、人類最大の失敗とも言われる。
気候に左右され、植物を育てるには養分である発酵させた糞便を用意しなければならず、絶えず雑草を抜いて世話をして、水加減にも苦労して水の取り合いで死者まで出る始末。
あらゆる労力は植物の生育と収穫に使われ、次世代の種を確保した後は、種や茎、根を食べることを許される契約。
植物の病気や冷害やイナゴが広がれば、一年の収入が失われ、大量の餓死者まで出る。
それは狩りを楽しみ、必要な食糧だけを確保していれば良かった時代の終わりを意味した。
獲物を追って移動して、家や女子供老人など簡単に捨てて次の住処に移れる時代と違い、家と土地こそが最大の財産で、家を支配している女が全ての権限を持ち、権力を行使する時代になってしまった。
土地や水の権利を持つ者だけが栄耀栄華を極め、持たざる者、知能が低く肉体労働だけが取り柄の者は、死ぬまで奴隷のような暮らしを強要される。
紙切れの上の決まり事だとか契約を上手く扱う、口だけの者が持て囃され、獲物を狩る力を持った勇者は、最下級の農業従事者か、すぐに命を落とす兵士になった。
私はそんな契約から解放された。ついでに人類と神の契約も、神罰も原罪も全て解除されたようだ。
4次元世界での私は、ただの捕食者であり、もっと大きい生物には捕食される。
この場合、私のコピー品と寄生体を混ぜておいて、死にかけている上位生命が食われれば、捕食した巨大生物を食えるのか試しておこう。
カメラだとか、監視機器が付いていないのが良い。
私はこれから中国まで行って、同族殺しを沢山やる。同じ実験をして、男の子を分解して瓶詰めにして、兵器製造しているバケモノどもがいれば皆殺しにする。
それからモスクワに攻め上って、政治の中枢も破壊してやるつもりだ。そこでは激戦になり、ロシア政府か黒幕のバチカンに忠誠を誓った上位生命も居るのだろう。
その前に私自身のコピーを作って、もっともっと強力な生物を乗っ取ってやらなければならない。
さあ、今日も戦いの一日が始まる。
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