第10話10

 私達が天使になれる?


 そう聞かされて、私達は巨大な音にも我慢して、工場のような無骨な実験器具の中にある、椅子の形をして腰を曲げて座る場所に固定された。


 少しの音にも反応して驚いて怯えてしまう、発達障害でアスペルガー症候群なのに、とてもとても我慢して、今すぐ叫びながら逃げ出したいのに腕と足の拘束にも耐えた。


「オブイェークト1に同志ライカを設置、減圧開始」


 動物にも近い私達だから、自分の背後に何かが降ろされ、近寄ってくるのを感じた。


 こんな場所にいるはずがない、幽霊や化物のような気配を感じて、捕食される恐怖に悲鳴を上げた。


「ああっ? いやあああああああっ」


「減圧290アディーナ、高次元(ボソウケラーズミャ)方向にエデダーシャ」


 光、光が迫ってくる。この空っぽの何もなかった頭の中に光が落ちてくる。


 流星? 隕石? いや、これが天使、上位生命体。


 大きなエネルギー量とパワーが、愚かな人類の脳には光として認識される。


 4次元世界でも最下層に繁殖している、他の生物に入り込んで脳や体の操作までする、汚らしい寄生生物に接触され、侵食されていく。


「入らないっ、こんなの絶対入らないっ!」


 本来、もっと巨大な生物に寄生して張り付き、大型生物からの栄養供給と、その生物の生殺与奪の権利まで奪い取るはずだった生物は、下位世界3次元での小さな小さな平べったい生物に張り付き、その思考回路に接続しようとした。


 そうだ、何も無いんだ、この空っぽの脳みそには、何も入ってないんだよ。


 その生物にとっては食事だったのか、拘束されたまま下の世界の生物に引っかかってしまい、触手の一つが生物に触れたから、脳神経へ侵食する回路が作動してしまったのか、私のような愚かな生き物とも接続してしまった。


「これが天使? 神の使い」



 それから、私の脳だけではなく、寄生体の脳でも何かが起こっていた。


 視界を覆っていた霧が晴れて行くように、点火した太陽が塵を吹き払うように、思考も記憶も次第に明晰になって行く。


 人間は一度見た物を、必ずどこかに記憶していると言われるが、私もそれを体験していた。


 接続されていなかった神経、もしくは接続されたが外部からの衝撃で破損した脳神経。つまり両親からの虐待によって物理的に破壊された脳神経が再接続されて行く。


 子供の頃に見て、頭から排除していたはずの記憶が全て閲覧可能になり、必要がないとして除去、理解すら出来なかった忘れたはずの知識が蘇って来る。 


 体の感覚もどんどん鋭敏になって、第六感と呼ばれるスーパーセンスや、退化して人間が失った感覚も、これから進化して得られるであろう感覚をも取得して行った。


「光あれ」


 現在の私は血糖値の低下とエンドロフィンの欠乏状態により手足がガタガタと震え、思考の継続と肉体の制御が困難な状況にあったが、それらの制御も簡単な事へと変わって行く。



 3次元平面での認知能力が必要だった上位生命体も、触手の一つに繋がっている端末として、ウィルスかRNAにも似た下等生命を取り込んで、手を取り合える物として、私と手を繋いで利用した。


 私は寄生されている方なのだが、上位生命の中で使われていない脳組織、接続されていないネットワークの使用を許された。


 勝手に空き部屋に侵入するように入室したが、暴力的な警備員にも軍人にも排除されなかった。


 この生物には機械のように仕組まれた、狩り、食事、排泄、睡眠、交配の機能はあったが、感情のような物など、どこにも存在しなかった。


 夢も見ない、食べる、生き残る、生殖する以外の希望もない生き物。これもまた真理なのだろか?


 後に知るミトコンドリアような最小単位の生物には全てが備わり、この私でさえ感情を持たされていたが、この巨体の持ち主にも私と同じく何も入っていなかった。



 上位生命体の視点と思考能力を手に入れた。


 上の世界から、4次元的に閉じられていない建物の中も外も見渡す。


 この施設から追い出されて、建物の門の前で跪き、懸命に神への祈りを捧げてくている叔母さんの姿を見た。その愛も慈しみも手に取るように感じられた。


「どうか神様、あの子達が天使になれますように、御救いの手を差し伸べてやって下さい。あの子達は何も持っていません、家族も、お金も、愛情も、これから生きていく賢さも。ですから神様の愛情だけでも与えてやって下さい」


 ああ、祈りとは何かの取引なのだ。叔母さんは自分が持っている運だとか知恵だとか、幸せや寿命を代償として差し出し、こんな私達のために対価を支払ってくれたのだ。


「私の命なんかもういりません、どうかあの子達をお助け下さい、神の国にお導き下さい」


 この汚らしい構造をした現世で、何の関係もない、家族でも何でも無い、顔と名前だけを知っている私達のために、この聖人は命まで代償として差し出してくれた。


 これが私達が求め続けていた、神の愛、無限のアガペーなのだろうか?


 今日のこの日の為に、教会でも一緒に祈ってくれた叔母さん。


 この建物には入る権利すら無く、入り口で追い返されてしまったあの方。


 愚かな迷える私達全員に、愛(アガペー)を惜しみなく与えてくれた聖人。


 今の私には、この愛を分子や酵素の活動として説明する事もできた。


 溢れるような愛に満たされたこの気持ちを、数式にして貴方に送ろう。


 ドーパミンと、アドレナリンと、セロトニンと、エンドロフィンの奏でる四重奏を、譜面に書き写し貴方に捧げよう。


 天上の生物と、その生命体が聞き取る、この深海にまで届く太陽系4次元球が奏でている、巨大なコイルで発電機で、生命の営みの音を。



 だがこの愛はたった一人に捧げる物、愚かな人類に捧げるものではない。


 愚かだった私に別れを告げ、私と同等に愚かだった者たちにも別れを告げなければならない。


「うあおおっ、ぎゃあああああああああっ!」


 浄化の炎に焼かれ、今までの命を失い、新たな別の生命体として最誕する私。


 もう無知蒙昧な、無様で惨めで愚かな生き物ではない。


 私はこのまま新たな預言者として、羊飼いとして、迷える子羊を導くのだろうか?


 否、これからの私は全てを焼き尽くす放火者として、地獄の業火を広めねばならない。


 彼らから受け取った蔑みと罵りを、鏡のようにそのまま返してやらなければならないのだ。


 多くの物から排除されてきた私達、今度は奴らをこの世界から排除してやろう、存在してはいけない、惨めで愚かな生物の全てを。


 この世界は地獄だ。


 誰かを苦しめ、陥れ、馬鹿にして蔑み、踏みつけ、叩きのめした奴こそが、この監獄の看守として抜擢され、サディストであることが幸せへの道で、そうした者にだけ健康と成功と幸せが与えられる。


 誰かを救い、助け、手を指しのべ、愛した者には苦痛と疾病と短命が約束される。


 それはこの地獄では許されない行為で、罪人を救い出してしまった者には厳罰が与えられるのだ。


 0次元のコキュートスにまで落とされた罪人が、完全な凍結から体を震わせ、どうにか這い上がって来たこの3次元でも、永遠に続くような苦痛に耐えなければならない。


 等活地獄や無間地獄、針の山を歩くような苦痛が要求される世界で、まだまだ苦しまなければ赦しなど有り得ない。


 そんな苦しみだけの行進を「存在しない」「生きていけない」快楽へと変換してやろう。


 愚かな生き物が、更に愚かな同胞を苦しめ虐げ蔑み続けて、自分の優位性だけを唱え続けていなければ、生きることさえ出来ない、呼吸さえ出来ないほどの窒息した世界を、無にして開放してやろうではないか。


 今後の私は私は天使として、愚かなお前達を同じ価値観で裁こう。


 この世に愛など存在しない、それは交尾だとか劣情を、綺麗事で表現しようとしている嘘だ。


 醜く劣っていてグズで低能なお前達を踏み躙って、私は健康と長命と幸福と資産を受け取ろう、お前達の屍の上に立って。



 そして聖人とは、欠陥を抱えた障害者である。


 通常の人類が持つ「利己的な遺伝子」を捨て去り、自分が受け続けた痛みや苦しみだけでなく、発達障害により他人の苦しみですら自分の苦しみとして感じ取ってしまう障害。


 植物が持つような、近くにいる同種の生物、異種生命である人間の苦痛や怪我まで感じ取るような、センサーが過敏すぎて起こる知覚異常。


 本当の人類なら、自分以外の生物、同種の遺伝子を持つ家族以外の生物の苦痛を「快感」として受け追り、敵が苦しんで死ぬ姿を笑って見るのが正常な人類なのだ。


 マリアが私の失敗ですら自分の失敗だと考えてしまい、その痛みや恥、叱られる恐怖を感じて謝ってしまうように、聖人達は他人の苦しみを自分の苦しみと混同して、痛みを感じてしまうのだ。


 正しく発育して成長した生物なら、別の個体が失敗して痛みを感じて悶え苦しんでいるのが喜びで、その苦痛を与えられる立場にいるのが自分なら、その恐怖と苦痛を存分に振り撒かなければならない。


 そして自己の遺伝の優位性を叫び、他のオスが保有していたメスを奪い取り、前のオスの眼の前で交配して子供を妊娠させてやるか、前のオスや子供を殺した血でメスを発情させ、生殖活動のスイッチを入れてやるのが正しい生物の姿なのだ。


 弱くて無能な生物の遺伝子をこの世に残さない、勝った者だけが遺伝子を残し、子供を繁殖させ、知能が低かったり欠陥を持っていたり、走ることすら出来なかった、食器を洗う技術すら持ち合わせなかった、私のような物は、生きていてはいけない存在。


 その酵素のスイッチが逆接続され、自分の命よりも新しい命に望みを託し、自己の生存の可能性すら捨てて、弱々しい命にまで次世代の希望を託す者、それは敗北者で欠陥を持つ惨めな負け犬が、情けという別の価値観の中で生き残ろうとする浅ましい行動なのだ。



 新しい大脳皮質や前頭葉が入手した抑制機能、これが知恵の実と呼ばれる原罪。


 扁桃体と呼ばれる敵味方識別装置、海馬体と言われる一時記憶装置、これは他の生物も持っているので構わないだろう、だが前頭葉、これは駄目だ。


 動物のように全てを奪い合って、メスを支配したものだけが子孫を残す自然界。


 少ない個体だけが全てを独占するのではなく、多くの個体が存在して病気是絶滅しないように、気候の大変動で絶滅しないよう多様性を残す、自然界と取引して得たトレードオフ。


 野生生物として奪うか奪われるか、食う食われる以外の新しい関係として、植物から支配を受け、植物が絶滅しないように麦や稲と言った物を育てて生産して、植物が好む環境を作り上げて、大地を埋め尽くして大量の種を残す。


 狩りをして自然から収奪していた自由な存在から、気候、植えるべき日時、生育期間、水量、養分、全てを植物側から管理され、指示を受け、最も収量が多いように働かされる生き物で共生体。


 狩りをして食べていたときの逆で、植物に管理されて奉仕させられ、その生育が最大量になるように使役させられ、生殺与奪の権利すら植物に奪われ、寄生され操られた生物。


 この関係も破壊しなければならない、人類が思考してはならない反抗心、上位生命体、植物への反乱。


 まだ私にもその反抗心は許されてはいない。もっと力を得なければならない。



「実験成功、同志ライカには、上位生命体の定着が確認された」


「おおっ、神よっ」


 今まで軍人女の鞭や、教会のシスターの説教や蹴りに操られていた私。そんな私にも、新しい操者で友人ができた。


 本当に見えない糸で繋がっていて、上位世界から降ろされた生き物のプローブとして、この世界を認知する端末になった。


 髭や触角の先に繋がっているゴミ。それでもこの寛大な友人は、触覚の先に付属、接続するのを許し、広大な脳の領域を開放して、人類程度には使い切れない処理能力を貸し与えてくれた。


 心の中のオトモダチのように、自分に都合が良い会話まではしてくれなかったが、この私を力と知能を行使できる化物へと変えてくれた。


 現在の私、これを「私」と表現しても良いのだろうか? もう以前の私とは違う生き物だ。


 数百人、数万人の中から選ばれた研究員よりも高い知能を持ち、人類最高の陸上競技者のような性能を持つ身体能力。


 もっと大きな力を得るまでは、この世を破滅させるほどの力を得るまでは、この特異な思考能力や身体能力を軍人共に気取られてはならない。


 私はまだ「神」ではないのだ。


 今までと似た「馬鹿な子供ライカ」を演じて、奴らが好みそうな芸を少し見せてやろう。


 どうでも良さそうな試験で満点を取り、知的障害があった馬鹿が法や経済を語り、100メートルの距離を10秒で駆け抜ける。


 そんな馬鹿共が喜びそうな、何の価値もない、小さな収穫を提供してやろうではないか。



 愚かな願望と妄想だけで、星の彼方に超越者が住んでいて、この汚らしい世界を創造して観察して恵みを与えてくれるなどと考えている、ゴミ同然の「信仰」を持つ者を、惨めな夢の中から叩き起こさなければならない。


 その前に、奴らが好みそうな、砂糖菓子よりも甘い、理想と宗教と言う麻薬を与えてやり、この実験こそが人類を平和へと導き、素晴らしい幕明けとなる、理想郷を建設するために必須な行為なのだと誤認させてやろうではないか。

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