第9話09

 飼育係は無記名投票でアンケートなどと抜かしたが、思想的に問題が有り、「必ず復讐してやる」と書いた者は当然粛清された。


 元に居たゴミ箱以下の孤児院に戻されたか、臓器として安く売られた。


 始めから、政治局員や高官の家族に臓器が不足すれば、中身を引き抜かれて捨てられていた姉妹と兄弟達。


 腎臓の片方なら生きられて、細胞核が2個ある肝臓なら復元したが、眼球や心臓、膵臓、消化器全て、体の全部を奪われると、生きる手段など無かった私達。


 元から脳は腐っていたので、その部位だけは盗まれなかった。


 私は文字が書けないほどの馬鹿だったので、対面して聞かれても面接官に、「お前を殺してやる」とは言えなかったので助かったのだ。


 ずっと謝ってばかりのマリア、馬鹿でもずっと笑っていたイヴァンカ、理不尽な命令には歯向かっても、良い子にしていれば食べ物がもらえると知っていたエリカは生き残った。



「あんた達、またご飯抜きだったのかい、さあ、これを口に入れて、出来るだけ早くお食べ」


 大きなお腹の大きなエプロンから、蒸かしたジャガイモを出して、周囲を見てキョロキョロして塩を振りかけ、食事抜きだった子に食べさせてくれる炊事係のオバサン。


 学もなく、家柄も何も持たず、美しい顔も体も持たない醜い年寄りだったが、何とその人物だけが天使降臨実験の本質を見抜き、その理念を理解して実行していたのだ。


 あか切れした手に薬を塗ってくれて、割れた唇にリップクリーム、転べば膝を消毒して絆創膏。腹をすかした子にパンやジャガイモを盗んできてくれて、惜しみない愛(アガペー)がこの世に存在するのだと伝えてくれた存在。


 適合者ではなかったが、今はイヴァンカの中に遺伝データや人格が収容されている。


 人類が滅びた後にでも、このオバサンだけは再生されて、永遠に若い頃の体を保ったまま、どこか暖かく穏やかな大地に、エデンの園とでも呼ばれる場所に置かれるだろう。


 姉妹達の推薦がある人物なら、同じようにして収容して、暖かく天変地異も起こらない楽園を作り出し、本当の人類として再生される。



「司教様も、あんたたちが天使になれるように、愛してあげて大事に大事に育てるんだって言ってたのに、誰がこんな事を……」


 愚かで馬鹿で間抜けな私達のために、涙まで流してくれたオバサン。何故この人だけが実験の本質を見抜いて、道を誤らずに初志貫徹できたのだろうか?


 すべての職員が、この人と同じだったのなら、私やマリア、イヴァンカもエリカも、助け合って天使になって、人類を導いて平和な世界を作り出しただろう。


 今の争いの原因が、同じ神を信じている者同士の争いで、預言者の違いだけで殺し合っていると、説き伏せることも出来ただろう。


 そして、神など最初から存在せず、0次元の底から這い上がったウジムシが、どうにかこの3次元まで這い登り、進化を続けているが、人類もまた知能が低すぎて、世界のことなど認識すらできない馬鹿なのを教えてやれたのに、もうそれも終わりだ。


 お前達を救うためにすべて殺す、死なせる、惨めな命を終わらせる。



「私達は神様に愛されてないのかねえ? どうすれば愛してもらえるんだろうねえ?」


 ああ、この言葉もまた真理だ。何故この人の言葉は私達の心を打ち震わせ、こうも涙を誘うのだろうか。


 美しく形取られ、きれいな声を発し、芳しい香りを放つ者だけが、完全な遺伝と欠損のない肉体を持つも者だけが、多数の個体から愛される。


 醜い顔と体を持って、低い知能、身ぎれいにする方法すら教わらず、臭い臭気を放つ者は、疎まれ遠ざけられ、誰も近寄ってこない。


 私達は親にさえ嫌われ、馬鹿にされ、蔑まれるために生まれ、両親も苦しめ、自分も苦しめるためだけに産まれた罪人。


 神までが私のような馬鹿なピエロの、毎日の失敗と恥と、マヌケな行動を楽しんで、新しい刑罰で苦しめて遊ぶ。


 そうなるように作られた、苦痛と悲しみだけを生み出す人形。



「少し暖かくなったけど、まだ油断しちゃ駄目だよ、表に出る時は手には手袋、足には穴が空いてない靴下。絶対に素肌を出さないようにしないと」


 私達はすぐに服を引っ掛けて破いてしまい、縫い物のような細かい作業も、手順も分からないしできない。行動性知的障害も患っているからだ。


 穴が空いた下着や服は、おばさんに縫ってもらうか、下手糞な自分達でどうにか縫った。


 でも誰かを虐めるのに針が使われたりするので没収されたり、針のような細かいものを扱える技術がなかったので、繕い物を頼んでいた。


 手袋などは支給されなかったので、使い終わった軍手や、穴が空いてない軍足を貰ってきてくれて、洗って汚れを落として、穴を繕ってくれた。


 馬鹿な私達は、それでも手袋を無くしたり、置き忘れたり、嫌がらせに隠したりする馬鹿の集まりだったので、おばさんが管理してくれて、身に付けていなければ履かせてくれて補充までしてくれていた。


 穴が空いて水分が入りそうな靴まで直してくれて、大人用の使い古したブーツも直して、爪先に詰め物をして、誰も裸足で歩かないで済むように、凍傷に罹らないよう準備してくれた。


 そうしてくれていなければ、馬鹿な私達は凍傷で指や手足も無くしていただろう。



「足し算引き算はお金の勘定をするのに必要だけど、掛け算なんか生きていくのに必要無いんだよ。物がどれだけ有るか数えるのに便利なだけで、私達が扱う数は、一個づつ数えた方が良いんだよ」


 私達の大半が、掛け算の概念を理解できなかったので、いつも通り立たされたり懲罰を受けた。


 読み書きも理解できず、言語を扱うのにも、難読症、識字障害、鏡面文字、失読症、など何でもあり。


 助詞など理解できずめちゃくちゃ。カタコトの単語を話すだけで、長文を扱うと混乱して、誰が何をしているのかも分からず、視点も論点もメチャクチャで、三人以上の存在も認識できない発達障害。


 思考した内容を適切に言葉にして相手に伝えるなど到底不可能。


 それを聞いた相手も、伝言ゲームのように理解できる単語だけから何かを連想して、全く違うことを考えてしまい、私達お互いの会話など、何も伝わりはしなかった。


 通訳が必要な会話を、おばさんが聞いて伝えてくれて、相手が理解するまで懇切丁寧に説明してくれた。


 それでも、それでも尚、私達は理解し合えず、絶えず争いが起こっていた。


 現在の人間社会も、大抵はコミュニケーションが不可能な相手同志で、全てが誤解から憎しみや怒りが生まれ、際限ない呪いと憎悪に発展して殺し合う。


 全てが嘲りと嘲笑いと蔑みに変換されてしまい、憎しみ罵り合う。


 バベルの塔の故事に有るように、私達は絶対に理解し合えずに殺し合う。


 神はこう言った。「隣人を憎しみ呪い、存分に殺し合え」と。


 これが現在の私達、人類社会と、その縮図であった愚かな私達の小さな集落。



「ああ、どうして軍人さんは、あんた達みたいな可愛い子を鞭で打ったりできるんだろうねえ?」


 顔や手、逃げたり手で頭を覆っても、その上から鞭で打たれてるのが普通だった私達。


 余りにも馬鹿で間抜けで、いつも怯えたり疑ったり、誰も信じないのを見て、教えている軍人女達も、余りのバカさ加減と無能さに腹を立てて罵り、鞭で打つのが普通になった。


 止めに来た大抵の人物も、右も左も分からないような低能を操るには、鉄拳制裁以外に無く、羊や豚のほうが利口なので、鞭で打って誘導して並ばせて、食器をもたせて並ばせ、食べ終えたら元の場所に戻すよう「飼育」する以外になかったのだ。


 それでも叔母さんだけは、足りない私達に愛情を注いでくれた。


 こんな人ばかりを雇ってくれていたら? きっと資材を盗んだり、子供に分け与えたり、自分の部屋に持ち帰ったり、統制が取れずに管理し切れず不調に終わったのだろう。


 発達障害で所有権も財産権の理解も曖昧だったおばさん、そんな人だったからこそ、同じように頭が悪いゴミにも愛情を注いでくれたのだ。


 他では雇ってもらえず、こんな僻地での小間使いにしか使えなかったのだ。


 その愚かさを愛そう、その理解力の低さこそを価値が高いものだと貴ぼう。


 動物のように言葉など不要、ネアンデルタール人なら言葉も持たず、デニソワ人なら唸り声しか持たず、言葉をうまく発する器官すら無く、それでもお互いを思いやったり、動物の序列や不文律で統制が取れていた。


 仲間の死骸に花を手向けて埋葬していたのも、ネアンデルタール人からの遺伝継承だが、3度交雑した彼らからの遺産は、せいぜいアルピノの印である金髪と碧眼程度。


 知恵の実を持った、新しい大脳皮質の機能により、「言語」などと言う唾棄すべき物を持ってしまったがために。兄弟殺し、親殺しの罪を持ってしまい、様々な殺人用の武器のバリエーションを増やしてしまった馬鹿の集合体。そんな物を憎んで行こう。


 人類は言語なるものでは決して分かり会えないし、諍いの原因にしかならない物だ。



「さあ、すっかり暖かくなったね、雪も溶けてこれからは過ごしやすくなるよ」


 校庭で遊び、お菓子まで貰い、叔母さんとお茶を飲んで過ごし、こんな日が長く続けば良いと思っていた。


 空には燕が飛び、巣を作り、雛が増えていた。スズメもハトも巣を作って、私達には生涯縁がない、恋愛なるものをして子供を増やしていた。


 動物にすら可能なことが、私達には本当に、何一つとして出来なかった。


「マリア、ライカ、次はあんた達が天使になれるそうだね? 成功すると良いねえ。私も神様にお祈りしてるからね、きっと立派な天使になれるよ」


 最初の寄生体、もしくは普通の深海生物や虫程度の物を植え付けるのは、適合者なら結構な確率で成功した。


 虫に適合させてから、寄生体を植えるのも可能だと書いてあった説明書も盗み見た。

 私にも、無能な状態から開放され、普通の人間のように何でも出来て、手を洗うのにも失敗したり、着替えの仕方を忘れてしまったり、惨めな思いをしないで済む日が来た。


 まるで健常者のように、知恵の実や生命の木の実を与えられ、天使に、神に近づける日が来るなんて思いもしなかった。


 動物や家畜にすら劣っていた私達が天使に? 普通の人間には宿せない高次生命体。


 4次元の底を這い回る、ヒッグス粒子が降り積もった中で生活する、何の感情も持ち合わせない、機械と同等の生物機構、それが無能な私達になら適合する。



「第87回、ツヴォーリ実験場、天使降臨実験を開始する。詠唱開始」


 聖歌が流れ、機器を調整している人物の気分を高めるため、聖句にまみれた聖歌や、格調高いパイプオルガンの演奏がスピーカーから響き渡る。


 多数の人員が配置され、神学を否定しない科学者も多数集められ、上位世界、つまり彼らにとっては神からの贈り物を受け取って、気持ちを高ぶらせて、信仰を確かめて舞い上がっている研究者。


 あちらからの実験とは、単に下位世界、3次元での生物に監視カメラやマイクを取り付け、調査範囲を広げるだけ。


 もちろんこんな局地で劣った平べったい世界に向けて、侵略など考えもつかないことで、耐圧服や深海探査艇に乗って、どうにか近寄れる場所に来て、下位世界に探査器を降ろし、偶然生物が罠にかかるのを待つか、絵文字のような簡単な説明を残して意思を伝え、もし下位世界にも知的生命体がいれば、モルモットやマウスを提示して結合や融合を期待する。



 こちらから提出した実験体には、手話を解するゴリラや猿も居ただろう。


 犬のように忠実で愛情や友情を理解する生物。カラスのように信用や報酬の概念まで持つ知能が高い生物。人類の上に君臨する猫。過去に馬やハトのように人に飼われていた友人代表として、イルカなども参加したかも知れない。


 だが彼らは言葉を必要とした。人間の言葉を話す実験体を必要とした。


 それを自分の願望と織り交ぜ、絵文字を誤読して曲解して、「これは神からの啓示である!」と無理矢理に決定してしまった無能な狂信者がいた。


「天使よ、この地に舞い降り給え、貧しき大地に恵みと豊穣を、エイメン」


 下等生物を呼び集める、誘蛾灯や照明器具に群がる虫のように、愚かな人類が群がって天の恵みを懇願する。


 上位世界から、愚かな動物を引っ掛ける美味そうなエサに、わざわざ自分から掛かり、どうすればその罠に上手く掛かって、監視器具をつけてもらえるのかを考え出して、苦労して実験体を選んで天の恵みを得ようとしたバカの集団が居た。



 昔、天使を呼び出そうとした人達がいた。


 聖堂や神殿で時折見かけられる幻影、もしくはステンドグラスが作り出した光の幻。


 激しい絶食や断食、自分を痛めつける修行の果てに見た希望。


 栄養状態の不良や睡眠不足で、果ては神経を高めるような薬品まで使用し、妄想や幻覚を見るまで錯乱を起こした、修験者が見たかった願望。


 そんな嘘や妄想に縋り付いてまで、天の奇跡や平和、平等を求めた愚かな生き物達がいた。

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