第8話08

 数ヶ月前。多分…… まだ寒かったから冬だった。


 凍える校庭で並ばされて、歌詞さえ覚えられない私達に対し、世話係の軍人女が立腹していた。


「全く、貴方達は、この程度のことも覚えられないのですかっ?」


 新司令官様ご着任の歓迎パーティーに、私達の聖歌合唱でお迎えして、実験の進捗状況や、芸の仕込み具合を披露しようとしていた軍人や飼育係。


 それは間違っている。上位世界から下げ渡された説明書(インストロクツェイ)には、野良犬に下手糞な芸を仕込めとは明記されていなかった。


 その際に、芸も覚えない間抜け共に腹が立つからと言って、鞭で打ったり、食事を抜いたり、寒い場所に整列させたりして懲罰を与えてでも、下らない芸を仕込めなどと書かれてはいなかったのだ。


 知的に障害がある男女の子供を集め、知恵や嘘と言うケガレに、できるだけ汚染されていない者たちに、神の愛(ボジェレボス)を与えて、自分が存在している世界を愛するよう、そう仕向けるように書かれていたのだ。


 それなのにこの馬鹿共は、有ろう事か足りない子ども達を罵り馬鹿にして蔑み、簡単な芸を覚え込ませて、自己の優秀さや管理能力の高さを上司に示そうと、出世の機会にしようと躍起になっていたのだ。


 それこそが私達に憎しみを醸成させ、復讐の機会を考えさせ、軍人達をどのようにして苦しませてから、奴らの持つ全てを奪い尽くすかを考え、それを願うのが眠る前のお祈りの時間全てになった。


 奴らが命を失う前に、どれだけ絶望させてやれるかを、幼い心にも固く誓わせてしまった。


 お前達の知能はその程度しか無い。障害がある私達とも大差がなかったのだ。


 暖かさと、温情と、僅かな哀れみと、惜しみない愛(パラジーノフロト)が与えられていたのなら、私達の全員が天使となって、愚かに過ぎる人類を喜んで導いた事だろう。


 だが奴らはそうしなかった、そうしたくなかったのだ。この計画全てと、人類に失敗させたがっていた。


 自分がどれだけ優秀で、恵まれていて賢いのかを自慢して、お前達など下水のネズミかゴキブリなんだと散々教育してくれた。


 お前達はそのゴキブリに食われて死ぬ、そのネズミが媒介する病根に殺し尽くされるのだ。



「さあっ、もう一度最初からっ、後1週間しか無いんですよっ?」


 パーティー前の美酒の余興として、誰がこんな汚らしい能無し共の歌を聞きたいだろうか?


 隊内でも自慢のオペラ歌手や、テノールを響かせるベテランの歌のほうが余程喜ばれただろう。


 見目美しく麗しい、青年兵達のコサックダンスや、美女の歌や踊りの方が遥かに喜ばれる。


 それなのにこの馬鹿共は、飼い犬共の調教具合を示すのに、泣いている子供に懲罰を与え続けて、紙に書かれた歌詞や音符さえ読めない能無しに、延々と聖歌の練習をさせた。


 言うまでも無く馬鹿の歌唱大会は大失敗して、昼飯抜きや晩飯抜きを続けさせられた子供達は、走って行ってパーティーのご馳走に群がってしまい、よだれを垂らしながらも鞭と棒で殴られて解散させられ、主催側は大恥を晒して、管理能力の無さと無能を示して自滅した。


 二度と中央への復帰など無く、死ぬまで辺境の危険地域を回らされる羽目になった。


 まあ、ここで死んだので、それすら叶わないが。



 それ以降、極寒の校庭をTシャツと短パンだけの凍傷寸前ランニングとか、食事を抜いたまま拘束監禁、懲罰のムチ打ちなどは禁止され、将来の天使となるべく選ばれた少女たちにも愛情が示された。


 その後の無記名アンケートに多数書かれた、「私が天使になったなら、必ずお前達全員を八つ裂きにして殺してやる、ロシア人全員、人類全てをこの世から消してやる」と言う言葉に驚いたのだろう。


 既に手遅れで、償う術すら無かったが。


 それからの私達の食事は、何度も物資を中抜きされた後の、ジャガイモとモヤシだけの薄いスープや、兵士の吸い殻入りの残飯、一切れのカビたパンではなくなり、一般兵や教会関係者と同じレベルのエサが与えられた。


 驚くべきことに、おやつとしてお茶とお菓子が与えられ、砂糖が入った甘いケーキと紅茶なども出された。


 年長の誰か、多分実験成功者が「これには毒が入っている、私達を全員殺して、新しい子供と入れ替えようとしているっ!」と叫んだが、何人も「これで死ねるのなら」「苦痛が最後になるのなら」と、毒入りと言われたケーキを食った。


 私もマリアも泣きながら、毒入りケーキにむせながら食った。


 私達は死ななかったが、代わりに私達の食材を盗んでいた、前任の教育長と厨房の主任が、民間人なのに毒を飲まされて殉職した。


 当然のように、罪の呵責に耐えかねての自殺だと掲示版に貼り出されたが、その文字や単語を理解する子供も存在しなかった。



 テレビを見たい子供にはテレビ、物語を理解できない、登場人物さえ記憶できない無能にも、アニメや映画も毎日上映され、人形、縫いぐるみ、可愛らしい服、靴、甘いお菓子! 子供が喜びそうな物が色々と用意された。


 以前は布切れでさえ奪い合いだったのに。


 今にして思えば、男の子だけの実験場での反乱が、死力を尽くした殲滅戦になったのが原因だったのだろう。


 福者となった時点で、あらゆる破壊工作と反乱計画が実施され、自分達を弄んだ教会の牧師、軍上層部、どのような手段を使ってでも彼らを殺して逆らい、復讐を果たした後、全員が包囲されて爆破、射殺されるまで、文字通り最期の一人まで戦い抜いて死んだのだ。


 お陰様で私達への待遇が格段に良くなった。


 感謝して、今度は彼らの復讐の遺志を継ぎ、この国、この星の全員を、一人残らず殺してあげよう。


 哀れな兄達よ、安らかに眠れ。貴方達の死は無駄ではなかった。


 できることなら過去への時間線を移動して、彼らが包囲された時に天から舞い降りて救い出し、大祖国戦争でナチに囲まれた民兵の前に、輝くようなT-34戦車やヨシフスターリン戦車が現れたように、開放者として凱旋してみたかった。


 4次元生命体となった私達には不可能な事ではないのだが、移動力が不足して、全く同じ時間線を逆行することが出来ない。


 過去に戻ったとしても、それは別の3次元世界となって形成され、異世界として分岐してしまう。


 既に彼らの敗北と全滅が観測されてしまった後では、その結果を書き換えられないのだ。まず東に移動して姉妹達を救い、兄弟達を死なせてやるのを許して欲しい。



 以後の教育基本方針は、読み書きや算数や体術を、苦痛と共に刷り込むような苦行ではなくなった。


 軍隊式で、最終的に教育課程を修了した時、選ばれた戦士を称えるような感動的な結末を思い描いていた教育係は全て失脚し、教会関係者による、神の愛だけを教えるような洗脳教育に変わった。


 だが、神への信仰が絶対のロボットたちに、神への疑いなど許されるはずも無なかった。


 人類には神の愛が太陽のように降り注ぎ、全ての劣った者にも愛が注がれているのだと、嘘に塗れた、有り得ない、納得が行かない汚らしい物を称えるように強制され、矯正され、叫声させられ、それを受け入れた馬鹿だけが、綺麗な服と暖かい食事を与えられた。


 神への疑問は許されない。私達は刑務所や終末収容所から、同じ場所の同じ建物に有る、失楽園に転居しただけだった。


 この場所に入るものは一切の希望を捨てよ、と言う奴だ。


 お題目が「働けば幸せになれる」と書かれた終末収容所や「欲しがりません勝つまでは」のような共産党の勇ましいポスターから、宗教の物に貼り替わっただけだった。


「ライカさん、そのような行い、神は決してお許しになりませんよ?」


「え? あれ、何が?」


 列を守って順番を抜かさず、先頭から入浴する。石鹸を忘れた私は一旦列を離れて、元いた場所に出席順に戻っただけだが、神の目と認識を持っていないシスターには、許しがたい背教的な行為に映ったのだろう。


「貴方には神の罰が与えられることでしょう」


 シスターたちの「予言」は必ず的中する。


 ポイントが引かれたり、私にだけ偶然食べ物やデザートが与えられなかったり、映画の上映から閉め出されて清掃作業やお使いを言い渡されたり、新しい看守が考え出した罰や嫌がらせが与えられ続けた。


 スタンフォード監獄実験、アブグレイブ刑務所、あらゆる閉鎖空間で、看守側と受刑者側に隔てられた場合、懲罰と隔離が考え出され、誰にも命令されないでも新しい刑罰が次々に発明される。


 それは人間が持つ根源からの命令であり、古い大脳皮質からの命令には、現生人類は歯向かうすべを持たない。


 それが人間の持つ業であるのと同じように、生物である私達にも苦痛と呪いが蓄積していった。



 バッタとイナゴは同じ生物である。違うのは、他の個体の糞尿や体臭を嗅ぎ続けて、閉鎖空間や狭い場所で食料もなく共食いまでして、お互いを殺し合って屍肉を貪った時に、脳の殺し合いと自滅のスイッチが入って、体色が茶色に変化し、悪魔の羽を長く伸ばし、千キロの彼方へでも飛んで、全ての穀物と種子と葉っぱを食らい尽くして荒野として、全て自滅するか、どうにか自分達の子孫の卵を、数千キロ彼方の食べ物がある豊かな場所に送り届けてから死に絶え、卵が冬を超えて、また緑色のバッタの子供が産まれてやり直す。


 私達は軍関係者と教会関係者が共同で作り上げたイナゴだ。元々愛情など受けて育った覚えはないし、互いに奪い合って生きてきたのだ。


 奪われたものは死に、奪い取ったものだけが生き残る。私達はお前達から全てを奪い取り、その生命も、希望も栄光も願望も、挫折さえも奪い取って殺す悪魔となった。


「ライカさん? 聞いているのですか?」


 その頃に私達全員が思い描いた、お前達を破滅させる地獄。それを実現させる力を、馬鹿なお前達は自分で与えてしまったのだ。


 破滅を与え続ける天使であり醜い悪魔。神の目を持った私達は、お前達愚かな人類の悪行を、何一つとして見逃しはしない。


「あ? え? ここの私で、順番をみんなに」


「あなた達が何を言っているのか、私には全くわかりません。一番後ろに並びなさいっ」


 違う、理解したくなかったのだ。お前は神の愛など最初から理解していなかった愚かな生物で、ゴミ溜めの中にいる汚らしいゴキブリの一匹でしか無いのだ。


 天空から降り注ぐ愛などからは最初から目を背け、汚く昏い暗黒から伸びる手と感情にその身を委ね、自分より愚かな生物に罰を与えたかった化物。


 ゴミ溜めの中での勝利者として君臨したかった、ゴキブリの女王。


「れ? はい」


 鞭打ちや棒で殴るのは許されなくなったが、突き飛ばす、押し倒して地面に叩きつける、汚いものを遠ざけるように、手で触れるのも汚い野良犬を、靴の裏で蹴飛ばすのは、普通の行為で正しい行いだった。


 私もお前達のような、触れるのも汚らしいゴキブリを蹴飛ばす、踏み潰す、不要な新聞紙に包んで捨てる。



 懲りもせず、教会関係者も野良犬の調教具合を示すために、神の愛を唱えさせて、教会で祈りを捧げさせ、軍と同じく私達間抜けを整列させて聖歌を歌わせて、自分達の実績を主張しようとした。


「最初からっ! なぜ貴方たちは、この程度も覚えられないのですっ?」


 私達は、神の愛など知らないし、この身に受けた事もなければ、最初からそんな物を覚えるような構造に作られていない。


 手がない足がない者に、物を持ち上げたり走れと言っている矛盾を、考えることさえ拒否した、ゴキブリの女王様。


「え? あ? あ……」


 そんな事を実行できるのは、原罪である知恵の実を食った者の末裔だけ。


 私達には生命の木の実も、知恵の木の実も与えられてはいない。


 マニュアルに天使の候補となる者は、無原罪の存在でなければならないと書かれていたのすら、理解できなかった無能。


 こんな底辺の奴らには、天使降臨実験全体の膨大な説明書(インストロクツェイ)など、一欠片も見せられなかったのだろう。


 それも失敗の原因だったのだ、無能な人類が無能な子供を苦しめ、この地獄の底のような世界で、誰ひとりとして救い出せもせず、誰かの死体を踏みにじって上に上がり、自分だけが助かろうとしていたのだから。

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