第7話07
私達は、ヒマラヤ山脈の北側を通って東に移動した。死に続けている上位生命体2体も連れて行く。
インドが大陸であった頃、北に移動してユーラシア大陸に突き当り、数千年も掛けてヒマラヤ山脈という皺を作り、重力的に上側の山脈を造成し、下向きのマントル方向にも出っ張りを作った。
割れ目は存在するが、岩盤としては上下共に分厚いので、マグマをメントスコーラのように引き出すのは困難な場所だ。
この経路には岩盤の厚みを利用して、数箇所の実験場が有るだろう。旧式で一旦閉鎖されたような水力発電、火力発電施設もある。
遠くから一次降臨実験が成功して、寄生体を乗せられた姉妹達、兄弟たちの悲鳴が聞こえる。
多分、その向こうの中国側にも実験場が存在するはずだ。
そこでは天使ではなく仏とでも呼ばれるのか、鬼とでも呼ばれるのか、食い物に釣られた浮浪児たち、捨てられたり安く売られた子、軽度知的障害から重度知的障害の無原罪の子や、犯罪者の子供として差別を受ける子供が実験に関わっているのだろう。
地平線の向こうには、約束の地など無く、蜜と乳が流れる大地もない。ひたすら阿鼻叫喚の地獄が続いているだけ。
この地獄の獄吏たちだけが、サディスティックな感情を昂ぶらせて楽しみ、知恵の実が再濃縮されてしまった化け物たちだけが、我が世の春を謳歌している。
その無駄な命も、苦痛を感じる知能も、全て葬ろう。
夜半に人口数千人程度の、軍人や教会関係者の家族が住む場所に到着した。
「あれも実験場の付属品だな、上位生命体の砲台も有る」
「撃たれてるならともかく、寝てる家族まで全部ってのは、ちょっと気が引けるなあ」
「私達みたいな馬鹿でマヌケを、さんざん蔑んで笑いさざめいていた特権階級様だよ。幸せな家族の中で笑って育ち、一度の食事も抜かしたことがない、泥水を飲んだこともない、野犬と残飯を奪い合ったこともない、お嬢様お坊ちゃま方だ。恋人と幸せな結婚をして、その子も幸せに包まれて育って、綺麗な服を来て清潔な下着を履いて、学校でお勉強してる」
「ああ~、それなら死んでも良いよね。幸せを運んでくれる、肝心のパパが死んじゃうんだから、ふふっ」
天使イヴァンカ様も、私の挑発に乗って、幸せなお人形さん達を、パパと一緒に天国に送り出す気になってくれた。もう悪魔(ジヤボール)と呼んだ方が良いか?
この場所で悠長に聖人を探す暇は無いが、隔離施設の姉妹達が「この人だけは殺さないで」と言う程の人物なら、生かす手段を探しても良い。
イヴァンカが食った親切な世話係のように、寄生体から逆に接続するか、適合者なら寄生体を植えて、私達で取り押さえられる小型の上位生命体を捕食させても良い。
聖人様なら私達に「人を殺してはいけない」と説教するだろうか? 殺してでも止めようとするだろうか? いつでも踏み潰せるように、巨大な上位生命体は与えないようにしよう。
「怖い…… 私達って、悪魔なんだね、神様が見れない」
天使マリア様はご機嫌斜めのようだ、まだ三次元の天使体が震えて、洗っても落ちない両手の血を眺めている。
「今は私達が神様なんだよ、マリア。汚らしい罪人を裁かなければならない立場に有る。私達のような、恵まれない子供を騙し、実験に使い、男の子も女の子も弄んで、同志エリカみたいに使い捨てにして、死んでも解剖されて実験の道具にされる。それを終わりにしよう、姉妹達を救い出そう」
綺麗事を並べて悪魔の所業を行うのを納得させる。
「私達を管理していた軍人やシスターが、どれだけ私達を汚物扱いしてたか覚えてるだろう? 無知で無能で感謝の言葉すら知らなかった子ども達、教え込まれてやっと神様への祈りを言えるよう、芸を覚えさせられた野良犬。殴られ、蹴られ、鞭で叩かれた」
「うん、でも怖いの」
まだ人間だった頃の恐怖に縛られ、殺人への禁忌と、反撃されて殺される恐怖からも逃げられない気の毒な子。
早く4次元世界でのミトコンドリアとも接続するんだ。私達の中では一番巨大で恐ろしい化物で魔獣なのだから、その力を行使する優越感も覚えさせてやりたい。
夜間の市街に私とイヴァンカの天使体の複製を数体潜入させる。
適当に何体も作った複製だから、夜警に見つかって誰何されると、目と口の所に穴が空いているだけで、髪の毛も鼻も無い、指も三本ぐらいの化物、悪霊かムンクの叫びのような外見を見られたら、腰を抜かしたことだろう。
お幸せな子ども達には是非姿を見せてやりたかったが、悲鳴で親が目覚めても、通報されても困るので止めておいた。
「音圧兵器と言うものが有る、大きな音の前では人間は体が固まって動けなくなるのを兵器転用したものだ。私がツヴォーリで使った奴だ、できるか?」
「ええ、大声出せば良いんでしょ?」
今回も巨大な音で制圧してやる事にして、今度は敵上位生命鹵獲用に、十人近くいる合唱団になった。
『主よ、我を導き給え~、エイメンッ』
『汝~悔い~~改め~よ~~~!』
市街地の薄い窓など全て吹き飛び、近くの「物」は鼓膜も内耳も三半規管も破壊されただろう。
カニモドキと鹵獲した2体の脚で踏み荒らして、地震も起こすと脆い建物は倒壊した。
街に近い軍事施設も焼いて、まだ可動していなかった守備用の低速の砲台、障害がある男の子が繋がったままの上位生命体を奪い、大半を鹵獲した。
こいつらと男の子の接続は活線状態ではなかったので、無理やり捕食して寄生してやっても、自死の回路が作動せずに済んだようだ。
何体か失敗して死に始めたが、突撃用の屍兵として扱おう。最初の2体も2,3日で死ぬだろうから、ここで使い切っても良い。
そう、私は保身のために、反逆者撃退用の基地を先に襲い、実験場の姉妹達を見捨てた。
イヴァンカには理屈が通じるだろうが、マリアが知れば私を軽蔑するだろう。
行動447から発動させて、川の水力発電所を破壊する馬鹿は居ないだろうが、実験場に通信できないよう、この場所でも電子レンジを起動しておこう。
光の速さで動く脚で空間を吹き払い、また地平線に届くような電磁場障害を与えておく。
「あ~スッキリした」
天使になるはずだった少女は、私に汚染されて悪魔の所業を楽しめるようになった。
赤子の手を捻るように、施設関係者の家族を集めた村を破壊して、まだ電子レンジには焼かれていないと思われる姉妹の救出に向かう。
隔離されていた姉妹達も、奇襲が成功したのか爆破も射殺もされておらず、またも親切な天使イヴァンカ様が、福者と呼ばれる成功体で同胞を受け入れ、適合者には寄生体を植えるか吸収されるかを選ばせ、何人か適合しなかった。
上位生命体は、無原罪の少年と接続していた個体しか無く、悠長に接続する間でも暴れないよう、拘束された物も用意されていなかったので仲間は増えずに済んだようだ。
人格や記憶をエビモドキに乗せて、次の実験場まで4次元空間を移動した。
本来、上位生命体にすれば、人間の一生など瞬きの瞬間のはずなのだが、私達の思考は人類速度で行っている。
象とネズミの一生の心拍回数が同程度なように、この巨体を操る私達の、脳内の記憶と人格を移植した器官は、人類と同じスピードで思考するように加速されている。
そのためなのか過去の体が覚えていた周期で眠気が襲ってきた。
マリアの巨体にイヴァンカを乗せて眠らせ、交代で私も眠る。
マリアや鹵獲兵器は、右脳と左脳を交代で眠らせる系統の生物だったようで、上下左右の脳を交代で眠らせて、捕食者に注意しながら移動を続けた。
私の複製は上位生命体を何体か動かし、半分眠れるものはそうして、一生の大半を飛び続け片方の脳を眠らせるツバメや、ずっと泳ぎ続けイルカのようにして眠る。
これ以降は私の夢だ。過去に見た苦痛の繰り返し、それでも一度夢と成れば、海馬体に似た器官から消え失せて行く運命の記憶だ。
「ライカ、また貴方ですか? 洗剤は少し付けるだけで結構。振りかけて使わないで、スポンジにつけるだけで良いんですっ」
教師たちもシスターも、私達に読み書きだとか算数を教えるのは早々に断念して、排泄物の始末、トイレの正常な使用法、手洗い、洗濯、給食の配膳、食器洗いなど、最低限自分の生活をこなせるように、普通より出来が悪すぎる子供に教えるように注意した。
「え? あ、その……」
洗剤をひっくり返して零してしまい、今回も食器にかけてしまったが、その状況を説明する能力すら持たなかった私。
単語の意味も理解しておらず、難読症に失読症に鏡面文字、思考速度と等速で話すなど、絶対に無理な言語障害も発症していた。
手の制御すら脳障害で上手く行かず、持ち物は必ず落として、食パンもジャムやマーガリンを塗った面から机か膝に落とし、拾い上げる前に立ち上がったので、そのまま床に落とすのが普通の、馬鹿でマヌケだった。
マリアほどオドオドして、周囲の全てに恐怖していた訳ではないが、大人に逆らって処罰されない程度には遠慮して、エリカのように、体が大きな大人に叫びながら向かっていくような蛮勇もなかった。
「あの、持てなくて、こぼして、えっと、ごめんなさい、ごめんなさい」
発達障害で、自分が零したのか、私が零したのかも区別がつかない、気の毒なマリアが私を庇ってくれた。
今なら馬鹿なマリアが、自分が零してしまったのだと思い込んだのだと区別ができるが、その時は何て親切な子だろうと感激した。
人生で初めて、私に親切にしてくれた子だった。
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