第23話 そして、今・・・
井元氏は、写真を取出して、当時を振り返る。
これが、あのときの写真や。わしと、宇野さんと、それから、長崎さん。こちらのお年寄りが、森川園長先生や。
これは白黒の写真やから色はついておらんが、この2本のかざぐるまは、緑と白が交互にあてがわれておった。まさに、南海ホークスの色やった。
わしな、このときほど、野球馬鹿で終わらんといてよかったと思ったことはない。
そや、米河君、あんたは学習塾で国語も教えておったし、作家もしておればわかると思うが、言葉って、面白いのう。
野球しかできん馬鹿は、野球馬鹿。それは、言うなら「専門馬鹿」のひとつや。
もっともこの言葉、悪い意味ばかりでは使われんよ、な。
じゃが、専門と馬鹿をひっくり返してみな、どうよ。「馬鹿専門」(苦笑)。
これも、紙一重でそうなるところや。
わしはスカウトになりたての頃、宇野さんに、野球の仕事やるっていうのに、野球とは一見関係なさそうな、いろんなことを教えられた。
まずは、時刻表を読め。どこかで知り合いになられたのか、慶応大の鉄道研究会のOBという、高沢薫さんという人を紹介されて、その人から、いろいろ、教わった。あの頃はまだ、エスエルだのブルートレインだのがブームになっていない頃や。鉄道の趣味というのは、今ほど世間に知られてもおらんかった。
わし、鉄道を「趣味」にしとる人なんて、生まれて、初めてお会いしたよ。
その次は、何や。
大阪のデパートやスーパーマーケットに行って、モノの値段を調べて来いと言われてやな、デパートの地下に、背広着てネクタイして、暑い中冷房が入っておったからまあありがたかったことを覚えているよ。それから、神戸まで出張した折には、あの頃から力をつけつつあったスーパーにも、行ったよ。デパートとか近所の八百屋とはまた一味違った、すごい活気があったねぇ。まさか、そのスーパーの親会社に、わしのおった球団が買収されるとは、夢にも思っておらなんだけど、な。
他にも、大阪の養護施設に慰問に行ったり、障がい者の施設にも行ったな、まあその何や、ありとあらゆる、社会経験を約1年、スカウトの仕事をしながら、しっかりと宇野さんに仕込まれたのよ。
その総仕上げというわけでもないが、岡山にクロスチェックでM君を見に来て、それから、高梁市な、とある中学校に、平松君といういい投手がいるというので、宇野さんと見に行ったな。彼は後に大洋に入って200勝したが、中学時代から、その片鱗を見せておったな。プロでこそ優勝できなんだが、春の選抜で、優勝したよな。彼も確かに、最初見たときから、何かを持った選手だと、わしは気づいておった。
西沢君はお判りだと思うが、野球選手ってな、そのときの上手下手だけで将来が決まるわけでも、ないのよね。
何とも言いにくいのやが、持っているモノがあるかないか、そして、それを活かせるだけのタマか否か。それを見抜くのが、わしらの仕事や。
そりゃあ、な、野球だけ見ておけばええなんてものやないのは当然や。
それにしても、米河君、あんたのお母さん、中学を出て働かれたそうやが、もし高校に推薦で進んでおったら、平松君と同級生になったみたいやな。
まあ、余談やけど。
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