第21話 貧乏人には金を、金持ちには誠意を 2
「実は、その逆の典型が、神戸の西沢茂君の入団のときでして・・・」
長崎氏が、珈琲をすすって話しをつなぐ。
二つ掛けのダブルの背広の左胸には、少し大きめのバッジがつけられている。
「長崎君は、スカウトの仕事もされたことがあると言われておったな」
森川園長の言葉に、宇野明スカウトが代わりに話に入っていく。
ええ。
長崎さんは、ユニオンズのマネージャーになられてすぐ、トレードマネーの件で私と当時代表で現在社長の松本義勝と交渉されまして、こちらはさんざんやられまくりで値切られましたけど、それで松本が長崎さんをえらく気に入られまして、私も、それからのお付合いで、いろいろ、先輩面というか、鬼軍曹の出来損じかもしれんですが、私も、彼にはいろいろ教えさせていただきました。
ユニオンズの解散後に長崎さんと来られた西沢君の入団交渉の前に、私も、老婆心ながら、彼にアドバイスいたしました。
なんでも彼は、神戸の金持ちの息子さんや、いう話でね、親父さんは議員もされておいでと、まあ、世にもしっかりしたご家庭の、ちょっとやんちゃじみた野球少年というわけですわ。ただ、そんなご家庭に、先程のお話のような、見せ金と言いますかね、そんな手は、使えません、って。
「長崎ちゃん、その西沢さん宅の交渉やが、間違えても、見せ金なんかせんとけよ。機嫌損ねるくらいのこっちゃ、済まんこと、なるで。ああいう方には、誠意や。金なんか、持って行かんでも、ええ。むしろ、交渉段階では持って行かんくらいでちょうどよかろう。悪いことは、言わん」
それだけ申し上げたら、長崎さんはさすがでね、川崎オーナーさんから、そのための小切手を持ってきていると、即座におっしゃった。
いやあ、この青年、大したものじゃなと、思った。
結局、その小切手、長崎ちゃん、使ったの?
宇野スカウトの問いに、長崎氏が答える。
ええ。使いました。
いついつ銀行に振込ませていただきますとその場で言っても、何かの行き違いで入金できなかったりすると、それだけで、こういう人の信用はなくなるも同然ですからね。その点、小切手を持参してその場で金額を書込んでお渡ししてしまえば、あとは先方次第ですから。
こちらも、さすがに当座預金が不渡りになるような真似はできませんからね。
それから、彼の後々の処遇と言いますか、野球はいつまでもできないということをもう親父さんはよくご存知でしてね、私のような素人が見ても、阪神の吉田選手や三宅選手のようなレベルには達しないであろうことはわかっていたくらいですから、いざとなったらそれをネタにして彼を説得すればよいと思っておりました。
そうしたら、阪神ファンの親父さん、あの解散のとき、やっぱり、それをネタにして彼に引退を促したそうですよ。
その代わり、フロントの残務整理をすること、その後は私のほうで政治の勉強を数年させること、そのあたりも、契約とは別に覚書を交わしておりまして、とにもかくにも、彼が将来実業家としてしっかりやって行けるように鍛えてやってくれという、まあそういう線での話を、これは私が川崎と相談してまとめたものですけど、そのおかげで、西沢茂君との御縁ができたことは、私にとっては、ありがたいことでした。
彼のおかげで、私も、学ぶところ多々ありましたから。
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