第11話 兄の遺書と、弟の日記
その後太郎は、教護院に行って、さらに卒業後は、仕事をかれこれ転々としながらその日暮らしを送っておった。
それでな、あの日の前日の夕方ごろ、うちに来て、わしに、挨拶したのよ。
「森川先生、御迷惑ばかりかけて、申し訳ありませんでした」
とな。それで、清美に渡してほしいと、どこで買ったのか、木綿のハンカチーフと、真っ赤な色のスカーフを、わしに託した。
その後、ほれ哲郎、わしが、清美にそのハンカチーフとスカーフを渡したの、覚えておるじゃろう。
あの話をした、すぐあとじゃったな。
~ ええ、覚えていますよ、と、哲郎青年。
さて、そんなこんなで彼が去って、次の日の昼頃のことじゃ。
警察署から電話がかかってきて、太郎が鉄道事故で死んだと、言われた。
なんでも、遺書もあったそうでな。
それが、なんと、わし宛と来たものじゃ。
あの火事のこととか、迷惑をかけたお詫びが、それはそれは丁寧につづられておったのよ。あと、妹の清美をよろしく、とな。
話は、それだけで済まなんだ。
その前の日の夜、実は、三郎のほうも、大変な目に遭っておった。
あの子は、中学を卒業後、しばらく靴屋さんに勤めておったが、思うところあってか、饅頭屋へと転職した。三郎もまた兄に似ていささかやんちゃでな、手のかかる子ではあった。ただ、兄ほどひどくはなかったけどな。
あれは、哲郎もご存知の通り、勉強嫌いでなぁ、さっさと仕事して稼いでひと山当てたらぁとか、ソネエナ言葉を、口癖にしとって、まあ、言うだけのことはあって、仕事はしっかりしておったようじゃ。
でもなぁ、それが、仇になったのやもしれん。
それがじゃな、その前日の夜、実は、勤めておった饅頭屋で、夜遅くまで、あんを作っておったそうじゃ。ところが、どういうわけか、おそらくは眠気に襲われてしまったのであろうな、それで、その熱い釜の中に入ってしもうて、全身やけどで、救急車で搬送された。しかし結局、翌日の、つまり、兄の太郎が死んだのと同じ頃に、こちらも、息を引き取ったというわけじゃよ。
さすがに三郎は、決意しての死ではないから、もちろん、遺書なんかなかった。
じゃが、あの子がつけておった日記の中に、こんなことが書かれておった。
「清美だけは、せめて、高校を卒業して、いい仕事について欲しい」
とな。そうじゃ、同級生で言及のあったのは、この哲郎君のこと。
「自分の息子や甥たちには、せめて、大宮哲郎君のように勉強して、O大学に合格して、しっかり勉強して、立派な人になって欲しい。もっとも、打倒・大宮哲郎への道は、険しいだろうが・・・」
こんなことも、書かれていた。
その日記が書かれたノートを、わしは今日、持ってきておる。
皆さん、どうか、見て下さらんかのう・・・。
そう言って、森川園長は鞄の中から、1冊のノートを取出した。そこには鉛筆で、やんちゃな彼にはいささか似合わない丁寧な文字が連ねられていた。
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