第10話 あの夏の日の火事

 そうこうしているうちに、皆、ケーキを食べ終えている。

 甘い香りも、薄まった。

 その代わり、ウエイターが再び珈琲のおかわりを注いでくれる。

 甘い香りは、苦みを伴った香りへと、とってかわられている。

 再びやってきた暖かい珈琲をそれぞれ口にし、一息ついている。

 老園長は、再び話し始めた。


 それで、妹のほうはまあええとして、問題は、兄二人。

 太郎と三郎じゃ。


 うちはですな、昭和23年の7月、一度、園舎の2階が全焼する火事を起こしたことがありましてな・・・、

そのときはなんとまあ、大変だったわけではあるが、その時火をつけたのが、実は、太郎なんじゃ。


 あの子は当時14歳じゃったか、あ、いや、13歳か。哲郎よりは3つ程上の子であったが、なんせ、父親が完全に行方不明、母親はというと、これまた、うちにこの子らを預けて間もなく、病気でなくなってしもうとってなぁ、完全に戦災孤児となってしもうておった。

 そんな状態で、年を重ねるにつれ、やんちゃに磨きもかかって、悪さにも手を染めておったところよ。で、あの日の昼過ぎ、遊び金がいるからか、郵便局から金を下ろしたいと言って参ったのじゃが、わしは、やめとけと申した。

 それがこの日は、どういうわけか激しい口論になって、もうくそくらえじゃとか何とか言い出してなぁ、わしが目を離した隙に職員室にあったマッチと新聞紙をもって2階に上がって、マッチを擦って新聞紙に火をつけて、それで、火を放ちよった。

 その日は2階には誰もおらなんで、けが人は出ずに済んだ。

 じゃがなぁ、街中から消防車は来るわ、火事の相場で、やじ馬が来るわ、まあその何じゃ、本物の馬こそ来なんだが、かなわんかったのう。

 残った職員で、何とか、戦時中に鍛えたバケツリレーもやって、何とかかんとか、1階部分までは燃え広がらずに済んだのは、幸いじゃったな。

 もう一つ言えば、夏場で夏至のすぐあとでもあって、日が長いことも幸いじゃったな。火がつけられたのは、夕方の4時前くらいじゃったから。明るいうちに、何とか消火できたのは、ホンマに、運がよかったとしか、言いようもないわいな・・・。


 あの後は、ホンマに大変じゃった。

 新聞にも、小さいながら記事が出たし、なぁ。


 哲郎の親父さんは嘱託医をしてくださっておってな、その日の診察が一段落してやれやれ一段落と言ってお茶を飲まれとった矢先に、最後に診た患者さんが、煙が見えると言って飛んで帰って来られたらしい。その方が言うには、どうも、よつ葉園の方向ではないかとも、言われた。なんせ近所に住まれている方じゃから、そりゃあ、気になるわな。それで、その患者さんと一緒に、慌てて飛んできてくださったのよ。

 まだ火事は収まりきっていなかったが、けが人はいないかと、声をかけてくださった。お陰様で、けが人も、まして死人も出なんだのは、不幸中の幸いじゃった。

 哲郎の親父さんが、けが人はいないと知って、ほっと胸をなでおろされておったのを、今も覚えておるよ。

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