第6話 選挙初日の候補者挨拶のつもりで・・・

 森川園長は、ことの経緯を話し始めた。


 これは何も、川崎さんからの御依頼でそんなことを申したのでは、ない。

 話は少しそれるが、わしは、今の憲法は進駐軍によって押付けられたものであり、早急に改正すべきであると思っておる。もっと言えば、教育勅語の精神こそが教育の一番の肝要たるところであるとも、な。

 じゃが、現憲法のすべてを否定するつもりはない。前の憲法に明記されていなかった、改善どころではない程良くなった規定も、少なからずある。

 その一つを、わしは、長崎君に問うた。早稲田の法学部を好成績で卒業したくらいじゃから、そのくらいはわかろうと思ったら、もちろん六法も何もなく、即答してくれた。

 国会議員は公務員であるが、公務員は誰への奉仕者か、とな。

 全体の奉仕者であって、一部の奉仕者では、ない。

 長崎君は、実業家でもあり参議院議員でもある川崎さんに目を掛けられて、愛媛のお世辞にも裕福でないみかん農家から、旧制松山中学を経て早稲田大学に進み、川崎龍二郎さんの書生をしながら卒業し、秘書もやっておる。川崎さんのお話では、長崎君は実業家としての素養はさほどでもないが、政治家としての素養が大いにあるとのことで、ゆくゆくは愛媛から衆議院のほうで議員になってもらいたいと思っておいでであるとのことじゃが、それなら、わしも、ひとつ、思うところがあってな。

 わしは、この墓参りの前に、長崎君に、尋ねた。


「この度参る慰霊塔に祭られている子どもたちに、長崎弘という人物を一発で覚えてもらい、投票があるならば、間違いなく君の名前を書いてもらえるようにするには、どうしたらよいか。そこを考えて、対処されたい」


とな。

 長崎君は、普段のこのスタイルが自分自身のトレードマークのようになっておりますので、この格好で参ります。葬式や法事というわけでもないですからと言われた。

 それで、本日彼はこのような格好でお越しというわけじゃ。

 長崎君、何かあるかな?


 長崎氏は、目の前のコーヒーに口をつけた。

 そして横にある水をすすった後、そのことを話し始めた。


 ええ、そのように、森川先生の前で明言しました。

 確かにこの岡山県の児童福祉施設の供養塔に祭られている子どもたちは、私とは生前何の縁もない子どもたちだった。この世で会うこともかなわないばかりか、投票してもらうわけにも、さらには選挙の運動員として活躍してもらうこともままならないでしょう。その慰霊塔に参ったからと言っても、一言で言って、1票にもならないかもしれません。いや、ならんですわ。

 しかし、だからと言って、恩人の川崎龍二郎に言われましたので、この度参りましたとばかりに格好を整えてお参りしても、子どもたちにとって、どうでしょうか?

 なんか、愛媛から出た少し賢げなアンチャンが来て、俺らを何かで利用しようとしているのかなんて思われるのが、オチでしょうね。

 仮にこの場はそれで済んだとしても、そんな対応は、いつかどこかで、ボディーブローと言いますか、じわじわと、効いてくることは間違いない。

 もちろん私が、聖人君子であるなどとは申しませんが、せっかくの機会を川崎より森川先生を通じていただく以上、それならば、ここに眠る子どもたちに、今私たちが生きているこの世の中を、少しでもよくして、不幸にしてこの世を去った養護施設や孤児院時代の子たちに顔向けできるよう、尽力したい。

 まずは、こんな大人もいるのだということを、知ってもらいたい。

 そう思いまして、私は、普段のこの格好で来ることにしました。

 シャツも、実は仕立てたばかりのダブルカフスシャツですし、カフスボタンも、派手にならない程度のものですが、これも、新品です。

 このくらいなら、成金と思われないかと、思いまして、ね(苦笑)。

 気持ちとしては、これから選挙に臨む、初日の最初の事務所前の候補者本人の挨拶のつもりで、参らせていただきました。


 確かに、長崎青年の背広姿は、他の背広姿の若者や老園長、そして大学生で学生服を着ている大宮青年らの中でも、際立って目立っている。

 そして彼のつむぐ言葉も、その服装以上に際立っている。それが証拠にか、彼の話す言葉に、ついつい、近くにいる客たちが思わず聞き耳を立てている。



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