第5話 長崎君に蝶ネクタイで来させたのは、わしじゃ。
ぼくらは、園長先生に言われた通り、花立にかざぐるまを「献花」した。
花立に花以外のものを供えるなんてこと、もちろん初めてだった。
ちょうどその日は、程よい風が吹き抜けていてね、供えられたかざぐるまが、その風に乗って、くるくると、これまた程よい勢いで回っていた。園長先生を前にして、ぼくら大の男4人が、その後ろに並んで、慰霊塔に、手を合わせた。
確かに園長先生の言われた通り、ぼくらだって、一歩間違えればこのような慰霊塔でまつられる身になったかもしれないと思うと、やり切れなかったよ。
川崎ユニオンズというチームは、パリーグに3年間だけ存在した球団や。
人呼んで、「球界の孤児」とも、言われていた。それがしかし、その解散を迎えた場所の少し山側に向いたところに、なんと、本当に「孤児」を収容していた、孤児院の後を受けた「養護施設」があったという事実を思うと、何とも言えないわな。
森川先生は、もちろん、この球団が「球界の孤児」と言われていたことを、御存知だった。もっとも、あの先生には、ぼくらなんか「ぜいたくな孤児」みたいに見えておられたのかも知れないね。
みんなで手を合わせてお参りした後、ぼくらは川上さんのカメラで、慰霊塔をバックに写真を撮影した。
川上さんはクルマ屋をされているだけあって、子どもの頃から、こういう機械を扱うのが得意だった。だから、前の園長先生やこのときの森川園長先生らが、何とかその特技を活かせる場所をということで、岡山市長をされていた前園長先生の知合いのクルマ屋さんに就職させてもらったって。それで、めきめきとクルマだけでなく経営のことも学んで、当時まだ30歳来ていたかどうかのお年だったけど、すでに独立して自分のお店をお持ちだったのね。後に、米河君もお世話になったあの大槻君も、よつ葉園の職員をしながらたまにお手伝いに行っていたようだけど、彼もまた、そういう手先が器用だったようだ。ただ、大槻君は、のめり込んだときのことを考えたら、クルマ屋なんかやらなくて、正解だったと思うけどね。
慰霊塔を後にしたぼくらは、その後、川上さんのクルマで岡山駅前のレストランに移動して、珈琲を飲みながらしばらく話した。
森川先生、まずは、ぼくらが慰霊塔に参ってくれたことに、厚くお礼をおっしゃってくださった。そんな大層なことをしたとは思えなかったけど、なぜか、目に涙を浮かべて、ぼくと長崎さんに、それはそれは、丁重に御礼を述べられた。墓参りなんかしただけで、何でこんなに感謝されるのか、今もって不思議なくらいやで・・・。
そういえば、長崎さんはいつもは蝶ネクタイでダブルのスーツを好んで着られていて、眼鏡もセルロイドの丸型。ここにいる米河君とよく似たスタイルをされていて、この日も、そうだった。
しかし、慰霊塔に言うなら「墓参り」をするのに、何でそんな格好で、と思って、長崎さんに尋ねてみた。葬式とまではいかないけど、法事やそれに類する場に、蝶ネクタイはないのでは、って、思ったわけ。
そうすると、森川先生が、代わりに答えてくださった。
「その格好で来るよう、長崎君に申し上げたのは、実は、わしなんじゃよ」
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