第2話
「でも花堂貴見様って指名してあるけど…」
なおも私は突っ込む。
「その理由はこっちが聞きたいくらいだ」
「なんで僕の名前が書いてあるのか、全くもって分からない。けど、その救急車で運ばれた女性の赤ちゃんの可能性が高いね。とりあえず、K病院に行ってみようか」
かくしてカフェ・一善は今日も「closed」の看板を出して臨時休業となった。
私も「家の用事」で中学を欠席する連絡を貴兄に入れて貰って、制服を着替えた。
そうして私たちは、赤ちゃんを連れて市内のK病院に向かった。
「こんなに小さい赤ちゃん、見たことないよ」
歩きながら、貴兄の腕の中で今にも眠りに落ちそうな赤ちゃんを覗き込む。
「それはそうだろうね。この子は見たところ新生児みたいだ。新生児と呼ばれる生後一か月以内は抵抗力も弱く、感染症にかかりやすいので、なるべく外出しないように指導されるんだよ。身内にいない限りは街中でそうそう新生児は見かけ無いね」
そこまで滔々と話しながら、貴兄は抱っこした赤ちゃんのお尻をトントンしていた。赤ちゃんの瞼がゆっくり落ちてきて、ついには眠ってしまう。
貴兄にこんな才能があったとは、とさっきから私は目を瞠りっぱなしだ。
ずっと一緒に暮らしている兄の新たな一面を発見して、私はしげしげと隣にいる貴兄を観察してしまう。
もうすっかり貴兄の腕の中に収まって、赤ちゃんはすやすやと眠っている。
もともと端正な顔立ちをしている貴兄は、男の人なんだけどまるで「マリア様」みたいだなぁ、なんて思ってしまった私だった。
「電車に乗る前にオムツを換えておこう」
貴兄はデパートの赤ちゃん用品売り場の近くにある「授乳室」に寄った。こんなところ、私一人だったら絶対近寄らないような場所なのに、貴兄は迷わずずんずん入って行く。私の方がよっぽど挙動不審だ。
「琴理、この子は男の子でした」
そこでオムツを換えて初めて、赤ちゃんの性別が判ったのだった。私は、慌てて目を逸らす。
それにしても貴兄の手際の良さに、またもや私は感心していた。
どれだけ私のオムツを替えてくれたんだろう…。
オムツを替えたら、赤ちゃんが目を覚まして泣き始めた。
貴兄は今度はミルクを手際よく作って、手首に垂らして温度がちょうどいいのを確かめてから赤ちゃんに飲ませる。
一生懸命に哺乳瓶に食いついてミルクを飲んでいる赤ちゃん。
あっという間に哺乳瓶は空になり、貴兄は赤ちゃんを縦抱きして頭を肩の上に乗っけて背中をトントンしている。
「それは何をしてるの?」
「空気を一緒に飲んでいると吐きやすいので、こうしてゲップを出させるんだ」
板についてるなぁ…。
感心して眺めていると、隣にいたよちよち歩きの男の子を連れたお母さんが、私に向かって話しかけてきた。
「旦那さん、育児が板についていていいわねー」
「いえ、違うんです…!この人は兄で…」
「ご、ごめんなさい!」
女の人はきまり悪そうに慌てて去っていった。
貴兄と私の歳の差と実年齢を知らない女の人の発言に、若干傷つく。
これでもウラワカキ中学生なのに…!
でもその後も街を歩くと、
「いいなぁ、イケメンパパと若いママ」
「あんたも早く結婚すれば?」
「相手がねー」
そんな会話が耳に飛び込んでくるのを、私は冷や汗をかきながら聞いていた。
私、まだ15才。そしてこれは兄です!血は繋がってないけど!
大声で叫びたくなる私だった。
そんな視線や会話にも貴兄は動じずどこ吹く風で、赤ちゃんに愛おしそうに笑いかけている。
赤ちゃんも貴兄を見て笑っている。
「相思相愛だね」
私は半ば呆れながら言う。
「いや、この時期の赤ちゃんが笑うのは、新生児微笑と言って反射のようなもので、何か感情があるわけじゃないよ」
でも貴兄を見てまた笑う赤ちゃん。やっぱり貴兄を見て笑ってると思うけど……。
道中そんなやりとりをしながら、K病院にたどり着いた。
受付で、「私が救急車を呼んで搬送された女性がいると思うのですが…」と聞いてみる。
しばらくして病室を教えてもらえた。
三階のナースステーションで病室の場所を尋ねる。そこは産婦人科病棟だった。
「あなた、宮川さんのお知り合い?実はいなくなっちゃったのよ。もう少し入院して検査なんかをしなきゃいけなかったんだけど…」
いなくなった……?!
ここに来たら赤ちゃんを返せると思っていた私は、途方に暮れてしまった。
「どうしよう、貴兄!」
「さて、どうしようか」
貴兄は看護師さんと少し話をしてくる、と言って行ってしまった。
その間、私は貴兄から受け取って赤ちゃんを抱っこした。
途端にもぞもぞと落ち着かなげにして泣きそうになる赤ちゃん。
ひえっ、助けてっ!
貴兄が帰って来るまで、ヒヤヒヤしながら赤ちゃんをなだめる。
お願い、泣かないでくださーいっ!
慌てる私。
でも貴兄は、看護師さんと話したあと腕を組んだ右手の人差し指と親指で顎をつまんだ姿勢のまま、しばらく彫像のように動かなくなってしまった。
えーっ、今?!
突然の貴兄の集中モードに、私は焦りながら必死で赤ちゃんをあやす。
そして約二分後、ようやく帰ってきた貴兄に赤ちゃんをバトンタッチしたのだった。
つ、疲れた…。
「またミルクとオムツかな」
交代した貴兄が呟く。
「でも、さっきどっちもしたばかりだよ」
「それが赤ちゃんという生き物なんだよ」
親になるって、大変なんだね……。
「琴理、もしこの子のお母さんが夕方までに現れなかったら警察に届け出ようと思うけど、いい?」
そうだよね、それは覚悟していた。
むしろ、貴兄の方が淋しいんじゃないかなって、私は逆に心配してしまった。
「そもそも今日中に見つける心当たりあるの?」
私が聞くと、
「店に戻って、この子のお母さんが現れるのを待とうかと」
貴兄はにっこりとその綺麗な顔を綻ばせた。
その笑顔に見惚れながらも、待ってるだけで本当に現れるの?と私は思ったけど、貴兄はなんだか確信があるみたいだったので何も言わないことにした。
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