カフェ探偵はシッター中

天海透香

第1話

「た、貴兄たかにい!赤ちゃん拾っちゃった…!」

        *

 目の前のベビーカーに乗った赤ちゃんは、目が合うなり火がついたように泣き出した。

 なんで?どうして?こんなところに赤ちゃんが!?

焦りまくる私、顔を真っ赤にして泣く赤ちゃん。

なにこれ、どうすればいいの…?!



--話は遡ること一時間前。


「お腹、痛い…」


 中学への登校途中の公園で、ベンチに倒れ込んでいるお姉さんがいた。

 大変!

 私・花堂琴理はなどうことりは慌てて駆け寄って、声をかける。


「大丈夫ですかっ?!」


 顔色がひどく悪くて、よく見ると、淡い色のスカートに血が滲んでいる。


「……あ、あ」


 声を出そうと口をパクパクするけど声にならず、お姉さんはふっと意識を失ってしまった。

 どうしよう?!


「大丈夫ですかー?!」


 お姉さんの肩を叩いたけど、反応しない。

 周りを見回すけど、こんな時に限って猫の子一匹通らないのはなぜ?!

 私は自力で乗り切るしかないと覚悟を決めて、119番に通報した。

 そうして待つこと10分くらい。

 救急車が到着して、救急隊員さんに状況をいろいろ聞かれて話す。

 お姉さんが全く知らない人だということや、私が中学生だということで、あとは任せて登校するように言われた。


「あなたの連絡先をここに書いといてくださいね。じゃあ、ご苦労さま!」


 そのままあっさり行ってしまおうとする救急隊員のお兄さんを、慌てて引き留める。


「あの、このお姉さんどこに搬送されるんですか?お見舞いとか行けたら行くかもですし!」

「市内のK病院だよ」


 やっとのことでそれだけ聞いて、お姉さんの乗った救急車を見送った。

 ふと、顔を上げると、茂みの中に何かが突っ込んでいる。

近づいてよく見ると、それはベビーカーだった。

 覗き込むと小さな小さな赤ちゃんと目が合って--そして話は冒頭のシーンに繋がる。


         *


 パニックになる私に構わず、赤ちゃんは火がついたように泣く。

お母さんはどこ?!

あたりを見回すけど、誰もいない。

そうしてる間にも赤ちゃんの泣き方はどんどん激しくなるばかり。

 とりあえず抱き上げよう!

 私は意を決して、赤ちゃんに手を伸ばした。

 赤ちゃんを抱っこするのなんて初めてで、そのあまりにも軽く頼りなく、だけどあたたかくてしっかりした存在感のその「物体」を、壊さないようにそーっと持ち上げた。

だけど赤ちゃんは一向に泣き止まない。

 どうしよう、居心地悪いのかな。そりゃそうだよね、私だって怖いもん!

 誰か助けて!

 そんな訳で私は、兄の貴見たかみ--貴兄たかにいに泣きついたのだ。


 貴兄は推理小説家として執筆する傍ら、自宅の一階で「カフェ・一善」という喫茶店を営んでいる。

 本業はあくまで推理小説家(あまり売れてない)だと本人は言っているけど、最近は別の仕事がちらほら舞い込んできて、なんだか忙しそうだ。

 「推理小説を書いているくらいだから、探偵なんかもできるんじゃないか」と、近所の人がちょっとした困りごと解決の依頼を持ってくるその度に、貴兄は「自分は探偵ではない」と言い張っているのだけど……。


 自宅兼職場の喫茶店に変な時間に帰ってきた私に向かって、


 「おや、琴理。赤ちゃん産んだの?いつの間に?」


 泣いている赤ちゃんと泣きそうな私とを交互に見遣って、貴兄は人の悪い冗談を言う。


「わ、私?!ちがっ…!!」


 貴兄を見ると、その整った口元を隠して横を向いて笑っている。

 揶揄われたことに気付いた私がムッとしていると、ようやく笑いを収めて目尻の涙を拭った。(私が一度ヘソを曲げると長いということを貴兄はよく知っている。)


 「誰かの兄弟かな?ベビーシッターを引き受けるほどの子守のスキルは、琴理には無かったと思ったけど」

 「その通りです!だから困ってるの。どうしよう、貴兄!」


 私は今朝からの一連の経緯を貴兄に説明した。貴兄は軽く頷きながら聞いていたけど、目線はその間も泣き止む様子がない赤ちゃんに釘付けだ。


「貸してごらん」


 私が話し終わると、貴兄は私から赤ちゃんを抱きとった。

 その姿を見て、私はあれ?と思う。なんだか妙に手慣れているのだ。その証拠に赤ちゃんはすぐに泣き止んで、貴兄をじっと見つめている。


「貴兄、なんで慣れてるの?まさか貴兄の子?!」


 さっきの仕返しのつもりで、私は心の中で舌を出す。

 貴兄は咳払いをした。


「心外だね、琴理。十五年前に十二歳だった僕は、誰かさんの子守も結構していたんだけど」


 あっ、私のことか。失礼しました!

 貴兄は十二歳上の兄なのだ。

 と言っても、血は繋がっていない。


 私の両親は結婚当初子供ができず、当時五歳だった貴兄を養子に引き取ったのだけど、その七年後に思いがけず私を授かった。だから私は、両親と7つ歳の離れた血の繋がらない兄に可愛がられて育つことになったのだ。

 ところが両親は私が七歳、貴兄が十九歳の時に二人で交通事故に遭い、帰らぬ人となってしまった。

 それからずっと、貴兄は周囲の助けを借りながらもなんとか一人で私を育てて来てくれたのだ。

 大学生とか一番遊びたい時期に私がいて、本当はすごく迷惑だったんじゃないかと思うけど、貴兄はそういう気持ちを私に見せるようなことは一度もなかった。それだけでも私は感謝している。


 「琴理が赤ちゃんの頃を思い出すなぁ…。可愛かったよなぁ、あの頃。」


 すみませんね、今は可愛くなくて、と言おうとして貴兄を見たら、その切れ長の目の端になんとうっすら涙を光らせている。

 兄バカ…。

 最近ちょっと私への過保護ぶりが心配な兄である。

 そんなことを思いながら、貴兄が赤ちゃんをあやしているのを見ていると、

「この赤ちゃんはこのまま地面に置かれてたのかな?」

貴兄がふと、顔を上げた。


「あ、ベビーカーに乗せられてたんだった!」


 私は外に置きっぱなしにしていたベビーカーを店内に運んできた。

 さっきは気づかなかったけど、ベビーカーの下のかごに何か荷物がある。取り出して見ると、マザーズバッグと一通の手紙だった。

 手紙にはこう書かれていた。


『花堂貴見様 この子をしばらくの間よろしくお願いします。必ず迎えに伺います。』


「貴兄、やっぱりこの子、貴兄の……!」

「違うから!」

 貴兄は珍しくちょっと慌てて、食い気味に否定した。

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