第16話 『籠の中の鳥』

 白い霧の中に何かが見える。


 白い霧…


 多幸は気を失ったのか、夢の中に居るのか、朧気な意識の中で、微かな画像が、多幸の脳裏の一幕に流れ始めた。


「貴女の世界が見える…」


 多幸はそう言うと、深く深く、心頭を始めた。


【白い霧が薄れて来た。


 その先の公園に2人、1人がブランコに乗り、1人がそれをゆっくりと揺らしている。


 映像がズームアップされる。


 ブランコには真っ白な病院服を着た若い女が乗っていた。

 顔色はその服よりも更に白い。


 ブランコを看護婦が優しく押している。


「もうすぐ退院できますからね。


 学校にも行けますからね。


 お友達も待っているわ。」


「私に友達なんか…」


「いるよ!きっと待ってるわよ!


 さあ、元気を出して!」


 ブランコに乗った若い女性はぼんやりと鬱等な目付きで正気のない眼差しを何処に向けるまでもなく、何を見るため見開いているわけでもなく、ただ、ただ、ぼんやりと前を見据えている。


 映像が変わる。


 今度はある家の中の映像となり、夫婦が台所で何やら話している。


「退院してもまた学校休んで、どうするんだ!」


「仕方ないのよ。まだ、完治してないのよ…」


「うちの家系に鬱病はないぞ!お前の家系から継がれた血筋だ!」


「すいません…」


 その会話を廊下の片隅であの若い女性が聞いている。


「私は厄介者…」


 女はそう呟くと自室に戻り、布団に包まり、目を閉じるが眠ってない。


 もう何日も寝ていないのに眠れない…


 女は枕元の薬瓶に手を伸ばし、何千回、いや、何万回と繰り返した効果のない睡眠薬を服用する。


 女の脳裏に幻想が現れる。


 階段を登り登って屋上に行き、スリッパを脱ぎ、手摺を越え、眼下の道路を見遣る。


 駅のフラットホームに立ち尽くし、目の前を猛スピードで通過する特急電車を何本も何本も見遣る。


 鬱蒼と繁った森の中をあても無く歩き続け、数羽の烏が止まり木にしている幹にロープをかける。


「死んでやる。死んで恨んでやる。」


 女は布団の中で幻想を見ながらいつもそう呟き続けていた。


 画像が変わった。


 今度は男2人が居酒屋で酒を呑んでいる。


「お前、あの女に振られたのか?結婚するなんて宣っていたのが、このザマか!」


「うるさい!いいんだよ。女は幾らでもいるんだよ。」


「大きい事言うねえ~、まぁ、いいけどな。


 しかし、どうして、そんなに結婚を急ぐんだよ?」


「出世のために決まってんだろ!」


「出世?」


「そう!26歳まで結婚しないと社会不適合人物として烙印を押されるんだ!」


「変わってるね!流石、お役所だなぁ。」


「早く結婚して何が悪いんだよ、いい事じゃないか!」


「愛の無い結婚だろう~、お前の世界は変わってるよ!」


「うるさいんだよ。俺の親父も26歳で結婚して、出世したんだ。

お役所には式たりがあるんだよ。お前等、平民にはわかんねぇ~のさ!」


「はいはい、親の二世様!

 

 親父さんが偉くて良かったもんだ!」


 画像が変わる。


 ある会社の応接室でお偉方2人がヒソヒソ話し込んでいる。


「君の会社に別嬪は居るのかな?」


「居ますよ、大勢、居ますよ!」


「26歳の子は居るかな。」


「丁度、居ます。容姿端麗、見たら気に入りますよ。」


「今すぐ見たいんだが。」


「かしこまりました。」


 1人の男が立ち上がり、前もって準備していたかのように、ドアを開けると、若い綺麗な女性社員が中に通された。


「うん、この子に決まりだ。


 この子の親には君から言っておいてくれ。


 顔見せ、結納、結婚式は全て、こちらで取り決めるとな。」


「かしこまりました。」


 この若い綺麗な女性社員は、あの死にたがっていた病んだ女であった。


 画像が変わる。


「いいじゃないか!願ってもない話だ。


 相手は役所のお偉方の御曹司だろう。


 いいじゃないか!」


「あの子の意志はどうしましょう?」


「彼奴に意志などあるもんか!


 これ以上、彼奴を養う事はない!


 結婚してくれれば御の字だ!」


「そうよねぇ、良い家に嫁ぐんだから、親としては喜ばないとね。」


「そうだ!吉報だ!」


 病んだ女の家の台所での会話


 それを女は5年前と同じように廊下で聞いていた。


 女は部屋に戻り、机の椅子に腰掛け、


「この家から、やっと出れるわ。


 誰でもいい…


 この家から出してくれれば、誰でも構わない…」と女は呟いた。


 画像が変わる。


「いいか、お前は外に出なくていいんだ!


 お前はこの家の中で、掃除と洗濯と料理をしていればいいんだ!


 分かったな!」


「はい…」


 女は結婚した。


 相手は居酒屋で出世のために結婚すると宣っていた男であった。


 画像が変わる。


 女は幼い子供を海の見える公園に連れて行き、楽しげに遊ばせている。


 子供2人が海辺で戯れている光景を見ながら、女は1人、ベンチに腰掛け、眺めている。


 女は思う。


「私、今、何故、此処にいるのかしら…


 私…、どうして、夫と結婚したのかしら…」


 女には子供を持ってから我が身を振り返る気力が蘇って来ていた。


「つべこべ言わなくていいんだ!


 お前は働く必要はない!


 子供の面倒と家事さえしていればいいんだよ!」


「私も社会に出たいんです。働いて見たいんです。


 子育ては夫婦揃ってやるものです。


 私だけ、どうして…」


「うるさいんだよ!


 今まで飯を喰わせて来たのは誰のお陰と思ってんだ!


 俺に従えばいいんだよ!


 お前はなぁ?


 お前は所詮、『籠の中の鳥』なんだよ!」


「『籠の中の鳥』…」


 画像が変わる。


「もう無理です。離婚してください。


 私は私のやりたい事をやってみたいんです!」


「お前に何ができる?


 お前は俺無しには生きていけないんだよ!


 別れて浮浪者にでもなるつもりか!」」


「お願い、別れて!離婚して!」


「離婚して子供を養えるのか?


 お前が養うのか?


 金もないくせ!」


「………………」


 画像が変わる。


 高級マンションの一室のベットの中で女は寝ている。


 ドアをノックする音が聞こえる。


 女は布団を被り、返事をしない。


 女はノックが止むと、起き上がり、タロット占いを始める。


「呪いのカード、呪いのカード」と呟きながら、カードを振り分けて行く。


 女の脳裏に一つの映像か映し出される。


 手を繋ぎ、河原の道を歩む夫婦


 時刻は夕暮れ時


 川向こうに、綺麗な夕陽が沈みかけている。


 女の繋いだ相手の掌は大きく、優しく、そして、しっかりと握ってくれている。


 すぐ前を子供たちが犬と一緒に駆けっこをしている。


 女は我に帰る。


 そして、女は低い声で呟く。


「幸せ者を呪う…、この世を差別した神を呪う…、私を『籠の中の鳥』にした運命を呪う…、私は全ての幸せを呪う…」と】


 多幸はゆっくりと目を開けた。


 多幸には見えた。


 黒髪の白い女の怨念の意志が!


 多幸は見えない四隅の暗闇に向かって、こう言った。


「恨みなさい。


 ただ、貴女は…、本当は分かっているはず。


 誰を恨むべきかを…」と

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