第26話 正しい人の想い方 ※

 夜。風呂上がりに、アイスを食べて。でも、案の定眠れなくて。私は、四人で使うベッドから抜け出した。抜け出そうとして、腕を掴まれた。

 目玉が飛び出そうになって、肩が跳ねた。そろりそろりと後ろを向くと、寝ぼけ眼のあさひがいた。顔が赤いのは……酔ってる?


「どこ、行くの」

「えーっと、とい――」


 トイレ、と言おうとして。誤魔化すのは辞めようと思った。


「少し、眠れなくて」

「ん。私も、つきあうよ」

「えぇ――うん。じゃ、そうします?」


 あさひと話すのは、楽しい。楽しいけど、申し訳ない。ほら。気持ちに答えてないからさ。なんというか、問題を放置している感じがあるというか。


「隣もベッド、あるらしいし。隣の部屋、使わせてもらおうよ」

「あーうん。そっか、そだね」


 多分、まつりは私がロビーにいないときは空き室で夜を潰すこともあるんだろうなとふと思った。私は、他人のすべてを知ることはできない。

 たまに、ふと思い出す。ひねり出す。そういうものが湧き出るときがある。分かるはずのないことを、知りたいと思う。

 分かってもらえるはずのない心を、分かってほしいと思う。――寂しい、というものだろうか。

 ふかふかのベッドに、体を沈めた。


「ねぇ、あさひ……」

「なに?」

「あさひはさ、私の事。なーんにも知らないじゃん」

「喧嘩売ってる?」

「売ってない。私も、あさひのこと、なんにも知らないし」


 付き合いは長いけど、お互いに知っているのは「あさひに対する」私とか、「私に接する」あさひとかなわけで。それは、結局のところ人間の一つの面に過ぎない。


「で、それが……どうかしたの?」

「私はさ、あさひのこと、まだ何も知らないから、好きかどうかとかわかんないし。あさひにも、私っていう人間できそこないを知ってから。判断してもらいたいなって」

「私は、私なりに判断してる。気の迷いなんかじゃないよ」


 気の迷いだよ。人の形をした、別に可愛くもない、自己評価の低いドブカス人間を好きになるのは。性的対象にするのは。どう考えても、とち狂ってる!

 まぁ、性的対象には誰でもできるか。

 弟が私のパンツ盗んでてもまぁ、他人のパンツだもんな……そういうのに使うかもしれないな? みたいな例が浮かんだ。途端にあの家に帰るのが怖くなった。弟じゃねぇよ他人だよ。


「あさひはさぁ、結局私の何が欲しいの? わかんないや。私はもらってばっかりで、何一つ渡せない、返せない、カスみたいな人間なのにさ。人の気持ちを強盗みたいに奪い上げて、それで。何をすればいいの?」

「たくさん、もらってるよ」

「渡したものなんて――」

「あさひは、私にはないもの、いっぱい持ってるんだよ。好きなものをとことん好きで、追いかけてて。そういうまっすぐさとか、好きなものとか。ないから」


 ぷつり。何かが切れた。私は、そんなことを言ってもらえる人間じゃない。


「私だって純粋に好きだ、なんて言えるモノ一つもないんだよ! 流行りのアニメ見て! 流行りのゲームして! テキトーだよ! じゃあなに? 私の事だって、まっすぐ好きにはなれないよね、だって私と同じみたいにみられるのが嫌なのが、あさひなんだから」


 言ってはいけないこと。掘り返してはいけないことが、口をついて出てきた。あぁそうか。「あの言葉」は、ちゃんと刺さっていたんだなと気づく。私の中で、刺さったガラス片で。ちくちくしていたんだ。

 そして、あさひの気持ちが。同様に分かった。もういっそ、嫌われたいと思う気持ちが。自分なんかが相応しくないと思う気持ちが。やっと、分かった。分かって、分かったのに。愚かしいことだって、そんなことしないでほしいって、私自身が思っていたのに。

 私は、まともに人を想うことすらできないんじゃないか。


 人間モドキ。


 出来損ない。


 欠陥品。


 不良は不良でも、不良品。


 縁なんて、何一つ大事にできない。


「それ、は――ッ。分かってる。ほんとは、私にゆかりのことを好きになる資格なんて、ないって。知ってる。甘えてた。謝っても、どうこうなる話じゃないよね……」

「待って、言いすぎたから。私は、私のことが嫌いなだけで。あさひのことを傷つけたいわけじゃなかった」

「いいよ。ほんとに、なんとも思ってない……いや、嘘だけど。ゆかりには、私を傷つける資格があると思うから。だって、先にやらかしたのは私なんだし」

「違う。違うんだよ。イヤだよ、隣にいてほしいんだ、あさひには」


 口からまろび出る言葉に、あさひが涙をためて睨んできた。


「勘違いさせるようなこと、言ってんじゃねぇよ!!! さっきから、何なんだよ!」

「私にだって、自分が分かんないよ! でも、ずっとそばに居てほしいよ!」

「なんだよそれ! 隣にいて、でも私のことを好きになってくれない人を想い続けろって?」

「あさひのことは、好きだよ! ――いゃ、そういう意味かはわかんないけど――」


 ベッドに、押し倒された。右肩を掴まれて、もう一本の腕で、胸を掴まれる。あさひの顔が視界にめいっぱい広がって。

 息が、顔にかかる。あさひの顔は、迷子の子供みたいだなと思って。そんな風に呆けていると。

 唇が、触れた。なにが、生暖かくて、湿ったものが、侵入してくる。まって、嫌だ。――怖い。


 咄嗟に、足で思い切りあさひの腹を蹴飛ばした。うめき声と同時に、あさひが崩れ落ちる。でも、そんなの顧みる余裕は私にはなくて。

 部屋から、出て。よくわかんない屋敷の中を走って、走って、走って。よくわかんない、どこかもわかんない部屋――書斎だろうか。

 立派な机の下で、体を縮めて蹲る。


「なに、あれ……」


 無理やり、キスされた。のだろうか。私が、迂闊だったのだろうか。あさひが、あんなふうに、変なことを……違う。好きだって、意志をあさひは私に伝え続けてた。それを、無いことにして、勝手に二人きりにして、思わせぶりな言葉を言って。



 全部、私のせいだ。

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