第24話 空っぽの人間は夢を見る夢を見るか?
それから、しばらく遊んで(結局宿題はしなかった)、夕食を食べて、だだっ広い風呂場で風呂に入った。露天風呂。ちょっとした銭湯くらいあったけど、お湯を張ったのは随分久しいと石山姉が言っていた。
体がポカポカになったところで、皆で就寝である。私は、――少しトイレと言って。ソファのある例の部屋でぼんやりしていた。暖かいなと思う。温かいなと思う。そして、心が人のぬくもりに触れると。自分はなんて冷たいんだと驚くことがある。
私は、冷たく重い。雨上がりの路面のようにじっとりとしていて、水を含んだ泥のようにべったりしていて、なめくじやカタツムリのようにねちょねちょしている。そういう人間だ。
誰かに見限られることも、誰かに見放されることも嫌いで。でも、自分を変えたくはなかった。変える契機などどこにもなかった。
私という人間は。他人のぬくもりも。自分のあらぶりすらも知らないまま生きてきた。気持ちがまるで赤ちゃんで、こころをこの瞬間までろくに育てていなかったんじゃないかと思う。
「私、は――」
なぜか、涙が溢れだしていた。ソファが軋む。隣を見ると、石山姉がいた。
「どうした。ウチの妹か、まつりか、きみの友人にひどいことでも言われたか?」
首を振る。違う。
「私は、こんなに――こんなに素敵な経験をして、いいんでしょうか?」
「ま、一泊四万くらいの価値はあるからね。そんなことに感激してたのか?」
「違います。運転手さん」
「一応、ここの家主だからね。下人扱いすんなよ」
「いさりさんに似てます」
「顔が?」
「突っ込みが」
「なるほどね。君はそうやって、道化ぶることでしかコミュニケーションを取れないのか」
「違います。いや、違います」
「――君に、もし素直に感情を示せばいいよなんて言えば、きっと反発するだろう。私には君という人間がまだわかっていない。そうだな……ま、湯冷めしないように。毛布を貸してあげよう」
「暑いです」
「なら、アイスをプレゼントだ。ハーゲンだよ」
冷凍庫から投げてよこされたハーゲンダッツ。バニラ味。最初の方はかちかちだから、お茶でも飲んで待ちぼうけ。
「悩んでも、死なないように。誰の後味も苦くはしたくない」
そういうものを、流行らせたいのさ。そう言って、石山姉は寝室へと入っていった。私たちとは別の。
幸せすぎて泣いているというのは、今さらながら、こんなふうに私とかかわってくれる人がいたということに、驚いているからで。私は、この縁を大事にしないといけない。でも、大事にしてばかりじゃ、壊れてしまうのが人との関係性だと思う。素直に言いたいことを言っても、途切れることはある。自分にはどうすることもできない。そんな他人の心が欲しい。矛盾だ。
まだまだ固いアイスの表面に、銀色のスプーンを突き立てる。硬い手ごたえ。刺さらないスプーン。少しだけ削れた、アイスクリーム。
「私は、私は――」
私は、友達が欲しかった。あさひは、友達じゃなかった。他人のすべてが彼女だった。あさひさえいればよかった。そんな私は、もうとっくの昔に居なくて。否。まつりとあって。あさひに無視されて。インターネットに引きこもって。
私は、恋人がほしいと思ったことは無い。他人のことを縛りたくないから。性的に求められて、性的に感じて、性的に受け入れて、受け入れられる自分というものを想像したくないから。――本当は、生理だって、虫唾が走るくらい気分が悪くて。でも、他人より遅かったからまだましだなんて言い訳で慰めて。もし、男に生まれていればこんなことを思わずに済んだだろうか。
答えは否で。私は男になりたかったんじゃなくて。女になりたかったんじゃなくて。ただ、人として。分からない。私は、性的に求められることが。心底嫌なんだなと思った。
そんな癖に。自分はそんな自分を求められたくは、認められたくはないのに。私は、どうしようもない人間だから。
アイスを口に入れる。甘くて冷たくて。強く香るバニラとミルク。
その冷たさがここちよくて。でも。自覚してしまった感情は最低最悪で。
涙が止まらないせいで、鼻水まで止まらない。甘い口の中に、しょっぱい鼻水が入り込んでいく。こんなに泣いたのは――あさひにひどい言葉を投げかけられて以来だ。
自分は好きになられたくないのに、他人のことを好きになってしまった。そんな時、どうしたらいいんでしょうか。
神様がいるなら、どうして私なんかをこの世に産み落としたのでしょうか。
私は、私のような人間を。私のような思いを。誰が矛盾なく受け入れるのでしょうか。
苦い煙の臭いに、振り向く。涙でぐちゃぐちゃの視界には、誰も映らない。ちがう。誰だか分からない。ただ、煙草の煙の臭いだけが突き刺さる。
「――なんでまだ起きてんだよ」
まつりの声に、鼻をすすった。
「お前、未成年だろ」
「老け顔ってのは便利でな。年齢確認されたことねぇや」
ソファの前の灰皿に煙草を安置して、まつりは私のアイスをひったくる。
「お前、昼に言ってくれたよな。一人で抱え込むなって」
「そんな言い方、してない」
「あっそ。でもな、ゆかり。――私も、多分あいつらも。お前の心のこと、大事にしたいって思ってるから。私じゃなくてもいいからさ。相談できる奴に言え」
「それは――」
まつりに、もし私がまつりに少しでも頼りにされたらいいなと思っていったこと。打算めいた発言だったことを。言ったら。どう思うだろうか。軽蔑するだろうか。呆れるだろうか。
私に相談しろって、どうして言わないのか。
「一回しか言わねぇけど。いいか、二度と言わないけど。私はお前のおかげで人生の重荷を一度外してもらってる。お前に救われたよ、狙い通り。だから――お前がなにか背負ってるなら。お前がその気になったときでもいいから、重荷ごと抱えてやる」
――今さらながら。
「なんで、煙草吸ってるの」
「――かっこつけ。いきり。バンドの真似。文句あるか」
「体は大事にしなよ」
「うっせ」
「ありがとね」
「……おう」
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