第13話 永遠の安息を5

「どけぇぇぇぇ!!!!」

 クロヌシは魔術により加速された体による拳で丸々と太ったようなキリギリスを殴り付け、吹き飛ばす。エスピアはクロヌシが砂化させた壁の反対側に吹き飛ばされ、壁を貫通する。


 本来はダメージがとても少なく、障害物が無ければダメージを与えることすら困難な〈奇跡〉だ。とはいえ、壁を貫通するとはクロヌシも思っていなかった。

 たが、そんな些細なことを今、気にする余裕はなかった。

「――ッ!」

 台の上で倒れていることまでははわかっていた。だがここまで痛ましい状況にあることまではわからなかった。

 太ももから付き出した骨に潰れた肩、ストラは涙を流しながら不規則な呼吸を繰り返していた。

「ストラ!」

 クロヌシより一瞬遅れてジーンが壁に空いた穴から現れた。


 エスピアはピクピクと指を動かした後、自身の乗った瓦礫を落としながら勢いよく体を起こした。

「いってぇな――」

「はぁぁあ!!」

 エスピアが勢いよく立ち上がった瞬間、クロヌシはエスピアのみぞうち目掛けて拳を叩き込み、どっしりと響く音と共に再び吹き飛んだ。一度目より速く吹き飛び、エスピアは壁を突き破って外へと放り出された。

 クロヌシは左手に持った杖をジーンへと投げ渡してこう言った。

「ジーンさん! ストラを……頼みます……僕は、アイツをぶちのめします!」


______________________________


 規則的に立ち並ぶスギの木の一つが勢いよく宙を舞うエスピアを受け止め、轟音を鳴らした。

「いってぇ……」

 エスピアが立ち上がろうとするとメキメキと鈍い音を腕にある鼓膜によって感じ取った。

「マズい!」

 大きく横に飛び退くと直径数メートルもあろう木がエスピアの倒れていた場所へと倒れ、全身を揺らされるような衝撃がエスピアの足から伝わった。

「何が起こったかまるで分からねぇ……吹き飛ばされた? 俺がか?」

 体を多少動かし、体の異常を確認したが、背中にあるじんわりとした痛み以外に異常は見つからない。

(まぁいい、吹き飛ばされたのが森側で助かったぜ。表じゃ目立ち過ぎる) 


 視線を役所の方へ向けると、エスピアを吹き飛ばしたローブの男が壁に空いた穴から姿を現した。

(こいつは確か……あの女を回収したときに一緒に居た奴だな) 

「なんだぁ? あの女を回収しにでも来たのかぁ?」

 男からの返答は無い。だが、エスピアへとゆっくり近づいている

「何にせよ制度利用者を今、略奪されるわけにはいかない。これは仕事だ。お前の自己満足に付き合ってる暇は無い。失せろゴミが」

 男はだんまりを続けたまま拳を体の前で構えた。顎を引き二つの拳を顎ぐらいの高さまで持ち上げている。そして腰を多少落として多少体を揺らしている。


「くくっ、アッハハハハハ」

 エスピアの体からは徐々に溢れるように自然と声が出た。

 俺の目に狂いが無ければコイツはただのホモ・サピエンス。ネアンデルタールでも、ドワーフでも、エルフでも、獣人でも、蟲者インセクターでもないただのサピエンス。コイツらに優れた運動能力は無い。それなのに生態系の頂点に君臨する蟲者インセクターと正面から武器も持たずに真っ向勝負とは、頭の方もダメだったようだな。


蟲者インセクター相手にお前ら人間が素手で勝てると思ってんのか?」

「さぁ、どうだろうね」

 男はエスピアを強く睨みつけながらも、声は淡白であり冷たい。

「けっ……生意気だな。処分してやる!」

 エスピアは額にシワを寄せると、口の中にしまわれていた虫の平たい顎を出した。その形はさながらギロチンのようで、腕の半分程の長さがあった。

 大きく屈み込み、地面を強く蹴って一直線に男へ向かって突撃をしかけた。

「でゃぁぁ!!」

(狙うなら首だ。一瞬で片付ける。コイツの相手をしている暇なんて無い。食いちぎってやる!)

 男はこちらの動きにまるで反応できていない。それも当然だ、人間と蟲者インセクターの差は絶望的、コイツには悪いが死んでもらう。今は大事な時期だ。ミスの発覚は許されない。


 ガンッ!!


 エスピアの大顎は男の前で不自然にピタリと止められ極僅かな間、空中に浮いたまま止まる。それはまるで慣性が一瞬で消えたような不気味さがあり、異常な急停止であった。

「――ッ!??」

 次の瞬間エスピアはまたしても男の拳を顔面に受けて、吹き飛ばされた。

 慌てて姿勢を立て直し、手と足を使って勢いを殺した。地面には勢いの強さを示すように擦れた跡が残った。


「おい、おい。どんな手品だ?」

 エスピアは真っ直ぐ進んだはずであった。当然、壁も無い。だが何かにぶつかり、動きを止められた。あり得ない。その一言に尽きる。

(まさか、奴の拳が早すぎて俺が止まっているように感じていただけ……いや、確かにぶつかった。何かに)

「まぁいい、もう一度試せばいいことだ!」 

 エスピアはもう一度足に力を入れて同じ突撃を行った――ように見せかけた。

飛び出す角度を少し変え、最初に倒れた木を使って角度を変える。そして別の木と使って二度目の方向転換を完了させた。

 エスピアの攻撃方向は、先程喰らった右手でのストレートパンチの反対側であり、男が体を縦にして構えている関係上、背中側の攻撃であった。

 そして、エスピアが行った二度の旋回に男は反応こそ出来ていたが、姿勢を変える余裕は無いようだった。

(とった!!)

 エスピアの大顎が男の首を噛みちぎろうとする瞬間――

ガンッ!!

 またしてもエスピアの大顎は見えない壁に阻まれた。今度はハッキリと壁だと認識できた。気の迷いなどではなくハッキリ、青い透明な壁があると。そして――

ゴン!

(裏拳だと!??)

 エスピアは再び顔面に拳を貰い吹き飛ばされた。吹き飛ばされ方の問題で回転しながら飛ばされるが上手く着地を成功させ、二人の間に再び距離ができた。

 そして、男の前にあった壁は姿が再び見えなくなっていた。

(なんなんだコイツのパンチは……俺の巨体が吹き飛ばされる程の威力の衝撃で殴られている筈なのに吹き飛ばされ方と威力がまるで釣り合ってねぇ)

 エスピア自身、自身の巨体が吹き飛ぶパンチを何度も喰らった経験があった。だから不気味だった。

(この程度の威力で俺がここまで吹き飛ぶことはあり得ねぇ。だが、俺が喰らうダメージが少なくて済む、それだけの話だ)


「だが……ムカつくぜ」

 裏拳なんてものは命をかけた戦いにおいてあまりにもリスクが高い。自身の後頭部を晒らし、視界に映らない時間が必ずできるからだ。視界が狭い人間であればそんなハイリスクな行動は慎むのが無難だ。

 もし俺がさっき攻撃せずに移動しただけだったなら裏拳は空振りに終わり、死ぬリスクを背負わなければならない。舐めプも甚だしい。

(いや、あの壁に絶対的な自信があるから故の行動か?)

 そう考えると、さっきのタイミングで裏拳を出すことは面白い考えだ、だが面白いだけだ。

「……なめやがって!」


「なめてる? 僕は当たる方もどうかと思うけどね。お前たち虫は目が良いんだろ? それなのにこんなパンチに当たってるのか? やっぱりデブだと的がデカくて助かるよ」 

「…………なんだとぉ?」 

 エスピアの額には酷くシワが寄り、鬼のような形相になった。そしてギシギシという音を人の歯で鳴らした。

 それは男を少し威圧したようで、一歩後ろへと下がらせた。

 それをエスピアは見逃さなかった。一気に跳ね跳ぶ。

 一直線に向かった軌道には男は居らず、衝突先の地面を殴りつけた。人間サイズのクレーターができるように割れ、大小様々な岩の欠片が出来上がり、浮き上がる。

「何処へ向かってるんだよ。そっちに僕はいないけど?」

 男はエスピア煽るような態度を取り続ける。

「くそが! 死ねぇ! カス!」

 エスピアは地面に落ちた岩を一つ二つと何度も乱雑に男へと投げつけた。

 そしてその中でエスピアは男の妙な行動が目に入った。当たる軌道にあった投石の一つは透明な壁で受け止められた。だが、二度目に同じ条件にあった投石は大きく横に避けてかわしたのだった。透明な壁で防がずに、避けた。


(避けた、だと!? 何故……)

 エスピアの頭に浮かんだ疑問によって、無駄に入った肩の力がスッと抜けた。

 どうやら頭に血が上りすぎてたようだな。だが、その分収穫もあった。俺はラッキーな奴だ。

 まず第一に、コイツは普通の人間じゃねぇ……恐らく聖職者。触媒も魔法陣もねぇし、おかしい点は多いが、それ以外は論外。そう、なめてたのは俺の方だ。

 それに……わざわざ奴が避ける理由……壁が見えたあとにすぐ消えるところを見るに……今思いつくのは二つだな。いち、壁は一定以上の大きさにしか機能しない可能性。に、壁は連続で機能しない又は作れない可能性。どちらもあり得る。だが、しいて選択するなら後者! 俺の体重での突進を軽々と受け止められるような壁をどこでも自由に何回も作れるなら異常だ。

そんなことできやしねぇ筈……となると……

 エスピアは目だけを動かし辺りを見回した。そして手頃な石を探して手に取る。ちょうど手に隠せる程度の大きさのものを。

「無駄だってわかんないの?」

「つくづく感に障る野郎だなぁ!!!」

 エスピアはあえて大きな声を上げて喋る。

(悟らせるな……コイツが何者かは知らねえが、底は見えた)

「これで怒るってことは、やっぱりそうだったのか! 今が日が暮れた後なのはとても運が良い。目が良いって虫の長所を潰すことが出来た」

「何が言いたい?」

「実は暗くて見えて無いんだろ?」

 エスピアの口から笑みがこぼれた。

(おっと! コイツはラッキーすぎるぜ。コイツ俺たちのことを何にも知らねぇ)

 バッタは昼行性だが、キリギリスは夜行性。薄れつつある習慣だが、俺たちキリギリスは夜に使えない目より優れた耳と長い触覚で狩りをしてきた歴史がある。目だけが虫の特徴じゃない。そんなこともコイツは知らない。

「これは困った。バレてやがる……」

 エスピアはわざとらしく、後退りする。怖気づいているかのように。



「謝るなら今のうちだ! ストラを傷つけたことを謝罪しろ! そうすれば許してやる」

(傷つけた? 許す? 気持ちわりぃー! 制度使うレベルにまで追い込んでおいてどの口が言ってやがる。コイツみてぇな舐めた奴が一番嫌いだ。全てを他人に押し付けてまるで自分は全く悪くないと主張する奴。自分が優位になったらすぐに高圧的になる奴! オメェみたいな奴のせいでストレス貯まんだろ!! 俺はお前に触れることすら出来ねぇ、その上殴られ続けてるから何も出来ねぇ……そう思ってろ! ゴミが!)

「ホントは俺もしたくなかったんだぁ。仕方ないかったんだよぉーーでも上の命令でさぁー。許してくれよぉ。俺は悪くねぇんだよぉ。だからさーもう殴らないでくれよぉー痛てぇーんだ」

 エスピアは地面に座り込み、頭を地面に近づけた。

「ほら、このとーり!」


 パンチを繰り出す瞬間はあの壁がなかった。その瞬間を狙いさえすれば必ずこっちの攻撃もきっと当たる。だが、それを狙うのはシビア過ぎる上にカウンターでしか使えねぇ。ならまだ可能性の高い連続攻撃を試す。そうなると、今手に持ってる石を投げた後、追撃の蹴りを加える。それが一番早くコイツに届く。ひるませる為に最初に砂煙を立てれば完璧だ。俺にムカついて近づいたとき……それがお前の最後だ

 男は構える様子も見せず、無防備で徐々にエスピアへと距離を詰めて歩いてくる。

(そうだあと三歩、二、一!)

「でりゃぁ!!」

 男が近づいたところで大きな声を上げながら手で砂煙を巻き上げる。

(視界を奪う! そして……)

「だぁぁぁ!!」

 エスピアは再び大きな声を上げた。

(石を投げる!)

 最初から声を上げて攻撃していたのは、声の後には何か来る。そう印象づけるためだった。

 その先入観を植え付ければ、逆に音が無いなら攻撃も来ない。一瞬でも音との関係を結びつけさせることを狙っていた。

 ガンッ!

 壁に石がぶつかり音を鳴らして壁が一瞬青く光る。そして、男の上半身めがけて力いっぱい、右足で蹴りつけた。

 バリーン!! 

 エスピアの蹴りはまたも壁に阻まれそうになったが、青く透明な壁はガラスのように砕け散り、蹴りは男へと命中し蹴り飛ばした。

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