第11話 永遠の安息を3


 クロヌシはストラが見えなくなるのをただ見ることしか出来なかった。

 クロヌシにあるのは心に積もった後悔と空を触るような無力感だけだった。


 いつもそうだ。今まで生きてきて後悔しなかったことなど一度もない。毎日毎日後悔の連続だ。

 自分の一挙手一投足全てに後悔がある。もっといい言葉選びがあった、もっといい話し方があった、もっといい伝え方があった筈なのだ。だが、もう遅い、全てが遅い。何もかも遅い。

 ストラは行ってしまった。彼女の覚悟を踏みにじって自分の願望を押し付けることもできない。

 ここが異世界であるのはもはや疑いようのない事実だ。強制ログアウトを待つまでもない。これはけっして夢などではない。

 現実だ。

 やり場のない感情を拳に押し付けた時の痛みも、心臓の鼓動で動く僅かな胸の振動も〈レクイエム〉には存在しなかった。 

 ストラは言ったのだ。五年前に記憶を失ったと。僕が転移してきた時期と惰眠ちゃんが転移してきたときに時間のズレが無いと保証するものなんてあるのか? いや、全てが未知だ。そんな保証などある筈がない。

 アダムとイヴの最後の光が原因だったとするならば僕一人がこの世界に来ているとは考えにくい。

 だとしたら、ストラは惰眠ちゃんなのでは無いのか。事故に巻き込まれて記憶を失ってしまった惰眠ちゃん。仮定に仮定を重ねる酷い話だ。だが、その可能性がゼロというのは納得できない。どうしてその可能性を考えなかったのだろう。考えていれば、もっと打てる手が他にあったかも知れないのに。


「ゴホッ! ゴホッ!」 

 倒れているおじさんが咳き込む。一本だけしか無い腕からは弱々しい血が流れ続けており、未だ止まる気配が無かった。 

「は!」

(馬鹿か僕は。いつまでクヨクヨしてるんだ! 頼まれたことぐらい責任もってやれよ!)

 自身の太ももを横から殴りつけ、じんわりとした痛みが太ももへと広がった。

 クロヌシは慌てておじさんの元まで駆け寄って回復をかける。

〈生命力回復・低〉ローヒール

 杖に展開された魔法陣は形を崩しておじさんの手の傷をみるみると塞いでいき、完全に穴が塞がる。ガガンボの細い腕といえど、進化しているのかそこには赤い血が通っており、腕も細すぎない程度に細いだけだ。 

 そして今度は首に〈生命力回復・低〉ローヒールをかける。

「お前さん……それは……」

 声帯は喉で間違っていなかったようだ

 おじさんはこちらに顔を向けてじっくりとクロヌシを見る。正確には見られているかはわからない。ガガンボの目は複眼。つまりは沢山の目の集まりで出来ている。人間と違ってどこを見ているのかはわからない。見られているような気分になっただけだ。

「あ、腕も治します。待ってって下さい」

 クロヌシは杖を無くなった腕の方へ持っていき魔法を発動させようとした。

「辞めてれ……」

 おじさんは杖の先に治ったばかりの手を伸ばして邪魔をした。

 それは見知らぬクロヌシを拒絶しているような様子ではなく、ただお願いしているかのような言葉であった。

「どうして……」

 クロヌシには治療を拒否する理由がわからなかった。

 自身の腕が治ればきっと出来ることも多くなる。

 ガガンボの体はただでさえ脆い、元いた世界のガガンボは何かにぶつかるだけで体が壊れてしまうような脆い虫だ。ここではそうでは無いかも知れないが、今の様子では脆くないとは言えない状態だ。 

「お前さんそんなに高価な物をワシみたいな老いぼれに使わんでおいてくれ」

(高価? まさか、この世界では回復魔法の値段が高くて手が出せないのか……だからこの状態のままだったのか) 

「僕は問題ありません、使わせて下さい」

「違う。ワシの問題もあるんだ……」

 おじさんの問題? 回復魔法を受けられない理由でもあるのか?

「お前さんの使ってる〈奇跡〉の原理は知っているか?」

(原理? そんなもの考えたことも無かった……言われて見ればこれはゲームの延長線上で何故か使えている力だ。理屈なんて分からない……) 

「お前さんがどこでそれを覚えて来たのかは聞かない。その力はなんでも治せる神の力のように思えるかもしれん。だが、そんなものは夢物語だ。生き物には老化という逃れられないシステムがある。これは生き物の細胞分裂に回数制限があることによって引き起こされる現象なんだ。その〈奇跡〉での治療は、強制的に細胞分裂を起こして治癒をする行為なんだ。いわば寿命を前借りしておるんだよ。ワシが若ければ何も問題はない。だが、こんな老いぼれの体で腕を治す程の大規模な細胞分裂を起こしてしまえば、ワシは今ここで息絶えてしまうかも知れない……今はそれだけは、避けなければいけない」

 回数制限付きの細胞分裂……。もしかしてヘイフリック限界のことを言っているのか? だけど、なぜそんなことを知っているんだ。到底、中世レベルの話ではない。

 

「お前さんに頼みがある」 

 おじさんは弱々しい体でゆっくりと姿勢を変えて、深々と頭を下げた。

「どうかストラを救ってはくれないか?」

 おじさんは真っ直ぐクロヌシへ顔を向けていいた。

 彼の手は震えている。一本の腕だけでは今の姿勢をを支えることすら簡単では無いのだろう。それでもなお、僕へ頼み込んでいるのだ。

(そんなこと……僕には……)

「ワシにはストラが……無惨に扱われることになるのが耐えられん……。人生売却制度を使った者の末路は悲惨なものだ……。ペットにされるものは最初に薬漬けにされ知性を奪われる。あくまでも愛玩動物なんだ……無駄な知性は邪魔なだけだ。ワシの為にこんな場所で生きて来たというのに……そんなものはあんまりだ……だからどうか……どうか……」

 すがりつくように再び頭を下げたおじさんを目の前にしても、直ぐに答えることは出来なかった。

(僕はいつもそうだ、中途半端で決められない。いつも先延ばしにしてる……だからいつも後悔する。僕だって……ストラを助けたいに決まってるよ! こんな別れ方でもう二度と会えないなんて、そんなの嫌だよ! でも……ストラはそんなの望んで無かったじゃないか……)

 おじさんは未だに頭を地面に付け続け、ただクロヌシの返事をずっと待ち続けていた。春を待つ花の蕾のように。

 

 ただ待つことしか出来ない彼に過去の自分を思い出した。



______________________________


 それは、あるボスに苦戦していた時の記憶だった。


「今回もまた、僕のミス……僕が上手くやれば絶対もっと簡単な筈なのに……また、僕のせいで……皆ごめん……」

 僕が上手くやれていれば、ここまで苦労する相手じゃない。

 とにかくパターンが多いせいで想定外の動きをしたら直ぐにパニックになって何も出来なくなってしまう。とっさの対応力がまるでない。

 運転で例えるなら子供が飛び出して来た時に後続車や急ブレーキによる二次被害を心配をして結局何も出来ず、跳ね飛ばしてからブレーキを踏むような感じだ。全てが遅い。

 自分の何も出来なさが嫌になる。


「クロヌシはさ、もっと自分勝手になっても良いんじゃないかなーって思うの」

 惰眠ちゃんは地面を眺めるクロヌシに声をかける。

「自分勝手に……?」

 落ち着いてからしろと言われるかと思っていたクロヌシには少し意外な一言であった。

「そう、ちょっと真面目過ぎるんだよ。きっと」

 惰眠ちゃんは少しだけ


「クロヌシはいつも私の考えた作戦を信じてその通りに動いてくれるし、いつも最善を目指して動いてくれてる。普段は皆がこれに助けられてる。アクさんも、アビスも、すうぃーつも、私だってそう。クロヌシの支援が無かったら負けてたってこともめっちゃ多い。きっとクロヌシは間違いを恐れすぎてるんだ。だから最善の手が見つからないと上手く動けないんだと思う」

 クロヌシの横にいた惰眠ちゃんはクロヌシの正面へと徐々に足を進める。

「確かに最善じゃ無かったら、ただの余計なお世話になるときも多い。これは学校や会社だったら面倒で鬱陶しいし迷惑なのかもしれない。だけど、私たちは仲間なんだ。迷惑をかけるのなんて当たり前。最善でなくて良い、次善でいい。次善が無理なら三善! ミスも迷惑もお節介も皆でフォローし合って行けば良いじゃん。だからクロヌシはもっと自分勝手でいいんだよ」  

 そう言うと惰眠ちゃんは振り向いて少しだけ頬を上げた。 


 これが、バーチャルの世界だからこそ頬を伝う涙なんて物が無く、震えた声にもなってない。それでも、心のどこかでホッとしているんだと思う。そう思える程には、どこか気持ちが楽になった。これはたかがゲームの話だ。落ち込む必要も無かったのかもしれない。だが、僕にとって大切な物であることに変わりはない。だからこそ彼女の言葉が胸に刺さる。

 

「そうだぜクロヌシ落ち込むなって! もっと自分勝手でいいんだぜ。雑すぎるぐらいでちょうどいいんだよ。皆が助けてくれるんだから」

 アビスは元気よく、明るい声をかけてくれた。

「いや、アビスは勝手過ぎよ。元をたどればアンタのヘイト管理が荒いから困ってるんでしょぉ!?」

「あっはい、ごめんなさい……」

 陽気で能天気だったアビスはすうぃーつに怒られアビスは肩をすぼめてしまう。

「問題ない。次に勝利を収めればいいだけだ。俺たちの勝利は未来にある!」

「っよ! 名言いただきました」

 アクさんも会話に混ざり、それを惰眠ちゃんが持ち上げる。いつものようなわちゃわちゃとした雰囲気を取り戻し、いつの間にか、クロヌシが感じていた肩の重さは無くなっていた。

「ありがとう。みんな」


______________________________



 クロヌシは手に加えた力によって震えていた手を一度完全に解放し力を抜いてから再び握りこぶしを作り直す。そして二度目に作った握り拳には震えは無くなっていた。

「わかりました。ストラを助けに行きましょう。……ええと……おじさん!」

「ありがとう……。それと、ワシの名前はジーンだ」

 ジーンは体を起こしたクロヌシと顔を合わせた。


(そりゃ、いきなりおじさん呼びは不自然だろ。なんで僕は呼んでしまったんだ……)

「お前さんはクロヌシ君……で良いのかな?」

 ジーンはクロヌシに問いかける。

「はい、そうです」

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