第10話 永遠の安息を2


「えーっと本当にこれでいいんッスッ……んん!……いいんですか?」

 テーブル越しに一枚の紙を置いて向かい合った二人に片方が確認を取った。

「はい、問題ありません」

 ストラは街にある役所の一つを訪れていた。役所といえど、街の中心ではなく端にあるためストラの家からはだいぶ距離があったためそれなりに時間がかかっていた。

 役所に来たのは初めてだったのだが、特に目新しいものがあるという訳ではなかった。移動途中に見えたカウンターは整理されていたが奥の机には書類の山が立ち並んでおり、どこかホコリ臭い。

 今見える範囲にも事務用の机は多いが、作業をしているのは目の前の少女だけだ。それ以外は作業していないどころか誰も居ない。

 ストラがこの場所に来たときはもう一人黒い肌の蟲者インセクターがいたが、彼はエスピアと共に何処かへ行ってしまい二人きりになってしまった。


 ストラは机に置かれた書類に自身のサインをカタカナで書き入れる。

 正面には透き通った二枚の羽を持ち、黄色く短い髪を持った少女がいる。黄金の装飾が入った喪服のような黒いコートにミニスカートを履いている。彼女が手続きを進めてくれていた。

「えっと……ストラモニウムさん、家族や知り合いとは基本的にこれで最後になりまが……別にお金を受け取ってからでも大丈夫なんですよ?」

「いえ、今戻っちゃうとせっかく覚悟を決めて来たのに。揺らいじゃうといけませんから」

 サインを書き入れるとストラは羽の付いたペンをペン立てに入れた。

「それでは確認です、安楽死ではなく愛玩動物行き希望となっていますが本当によろしいですか?」

「はい」

 少女は書類に書き示したことを口頭で直接言った。 

「では先程もお伝えしましたが、多少の血液サンプルと髪の毛を数本頂きます。形式上、証拠がどうしても必要なんです」

「わかりました……」

 サインを書いた書類には確かにそんな内容があった。だが、わざわざ血液と髪の毛を取る必要を感じない。私は肉体年齢こそ成人しているが、記憶の欠落があるせいでおじさんに教えられたことしか知らない。この人生売却制度は有名であるため知っていても、なんでこの制度があるのか、とか竜王国の歴史なんてものは全然知らない。

 クロヌシが竜王国を全然知らないと言っていたが私だってなんでも人に教えられるほどの教養がある訳じゃない。

(クロヌシ……いい人だったな……こっちのことまで考えてくれていた。あんな人は割りと珍しい。獣国から来たって言っても皆が悪いやつとは限らないか……おじさんの言う通りだったなぁ) 

  

 血液サンプルを取り、髪の毛を渡すと彼女は書類にもう一度目を通して一つため息をついた。

「支部長のエスピアのサインを貰って来ます。しばらくここで待っていて下さい」

「はい……」

 歩いて扉へと向かってズンズンと歩いていく少女の姿を目で追いかける。そして彼女は勢いよく扉を閉めてこの場所を後にした。

 私の対応をしていた彼女からは怒っているような様子ではなかったが、彼女の一連の動きは、誰に聞いても不機嫌そうだと答えるだろう――まぁこの場所には私以外に誰もいない訳だが。

 ストラは自分が原因だったのかと不安に思ったが、恐らく私ではないだろうという考えに落ち着いた。

「……」

 ストラは部屋に一人だけとなり、自分以外の何一つとして音がしない空間が出来上がる。もう、世界に一人だけになってしまったかのような。そう錯覚してしまいそうになる。

 建物の外へ行けばきっと誰か人がいる。昆虫か人間か蟲者インセクター。一人では無い。だが、この世界をこうやって眺めることができるのも最後かもしれないと思うと、胸の中にどこか虚しさが残ってしまう。

 

 ガチャリ、扉が開く音がした。その先には黒い肌に黒っぽい緑の髪を持った長身の男が居た。彼もまた先程の少女と同じく喪服のような服を着ている。シャツは暗い赤だ。

 彼は少女と共にエスピアの近くに居た蟲者インセクターの一人。銅のような色をした羽が特徴的であった。


「やぁ、お嬢ちゃん。これからお金一杯貰ってウハウハ生活送るって言うのになんでそんな辛気臭い顔してるんだ? 後の事は後で考えればいいじゃねーか。それに、ペット生活だって運が良ければ可愛がって貰えるぜ? 世の中どうせ運なんだ、考えても仕方ないぜっ」

 その男は無性に殴りつけたくなるような口調で無駄にカッコを付けたポーズを取っていた。

「……」

「おいおい、スルーしないでくれよぉ……大先輩であるこのレイジさんが教えてやってるんだから、な!」

 レイジは人差し指と中指を立て、投げキッスを飛ばすような――いや、これはもはや投げチョップのような動作をした。

「貴方がなにを言っているのかさっぱりわからないわ」

 ストラはレイジから視線を外し関係のないところへ顔を向ける。

 エスピアとは別の方向性の不快さがある。平常時であればきっと何も思うことはないかも知れない。だが、今はそんな気分ではない。肉を買いに来たのに栄養が偏ると昆虫食を買わされた気分だ。

「なんの用なんですか?」

 ストラがレイジに問いかけた。

「ただの大先輩からの助言だよ」

 彼と私はなんの関係もないどころか、私は今日初めて顔を見た。やはり何を言っているのか分からない。


「ちょっと先輩! 何やってるんッスか!」

 先程の少女の声である。

「げっ」

「ストラモニウムさんは今日ある夜の部のオークションに出すんですよ!? 先輩が喋るとろくなことにならないじゃないッスか」

 少女が扉の間から顔を出した。そしてその後ろにはエスピアの姿が見える。

「ええ!? そうなの……即日だなんて、珍しいなぁ……って! おい、それじゃ、ほんご――」

 レイジが頭を掻いていると少女から容赦のないパンチがレイジの腹部へ直撃する。そして「ゴフッ」と声を上げて体をへの字に曲げて崩れ落ちることになった。

「ストラモニウムさんすみませんね。うちの馬鹿が……どうせ変なこと言って」

 ストラの方へ軽く頭を下げて謝った。

「変なことって……決めつけないでぇ~」

 レイジはお腹を痛そうに抱えて弱々しい声を出した。


 一つ気がかりなのはおじさんのことだけだ。

(クロヌシ、おじさんのことちゃんと見ててくれるかな……って、なんで今日あっただけの人を私はこんなに信用してんだろ……こんな短い時間だけじゃ人の善し悪しなんてわからないって知ってる筈なのに……)


「それじゃあ私達の仕事はこれで終わりなので、エスピアさん。後はよろしくお願いしますねー」 

 少女はレイジを引っ張りながら扉を開ける。 

 扉を閉めると徐々にコツコツとした足音も聞こえなくなっていき。またしても静寂が訪れた。


 しかし今度は先程の静寂とは一つだけ違う。それはエスピアが隣にいるということだ。

不快で醜く汚い。こいつと二人きりにはなりたくなかった。

 だがしかし、これからオークションで私を売ることになっている。私はオークション会場の場所は知らないし、一人で行くわけにもいかない。きっとここの誰かに連れて行って貰うのだろう。だが、この場所には何故か誰もいない。何故か誰もいない・・・・・・・・

 まだ明るい。虫が夜行性というのは遠い昔の話。今日は休みである筈もない。休みであれば、何故エスピアはここに居る? さっきの少女たちは何故ここに居たのだ。だからきっと休みではない。だとするならば、元々この役所には誰も居ないのでは無いのだろうか。奥にある机は沢山の書類が置かれたままだ。整理などされていない。よくよく見てみれば、細かいところにホコリも積もりだしている。

 じゃあ、エスピアは一体な――

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